第1話

 私はたぶん、悪魔に愛されている。いや、違う。たぶん、私自身が悪魔なんだと思う。

白峯しらみね高校前、白峯高校前。お忘れ物のないよう、お降りください」

 アナウンスと同時に、バスのドアがぷしゅっと開く。ICカードを翳してバスを降りた。

「……あれ、ない」

 バスを降りてすぐ、バッグに付けていたはずの古いお守りがないことに気付く。

 周囲を見るけれど、落ちていない。

 バスの中で落としたのだろうか。それとも、もっと前から?

 いつ失くしたのか定かでないから、探しようがない。

「……ま、いっか」

 それほど大切なものでもなかったし、と思い直して歩き出す。

 視界のいたるところで、紺色のセーラー服がちらつく。

 このバス停で降りるのは、ほとんどが白峯高校の学生だ。私は、同じ制服の波に紛れるようにして学校に向かった。

「おはよー」

「あ、リナおはよー! 新学期だねー!」

「ヤバいよ、クラス替えだよ! あたしリナと離れてたら死ぬ〜!」

「あはは、大袈裟だって」

「ねぇ、昨日のドラマ見た!?」

「見た見た! めっちゃ胸きゅんした〜!」

「今週実力テストじゃん。勉強してねーんだけど」

「お前それいつものことだろ」

 学生たちのカラフルな喧騒が耳につく。

 友達と並んで歩く生徒、音楽を聴きながら登校する生徒、スマホを見ながらのんびり歩く生徒。

 笑い合う女子生徒を前にして、楽しそう、と思わないではないけれど、私には関係のない世界だから、羨んだりはしない。

 そういう時期はもうずいぶん前に乗り越えた。

 私は楽しそうに歩く女子ふたりを追い越して、坂を上っていく。

 ――春。

 今日から新学期だ。

 下駄箱から上履きを取り出し、ローファーをしまって階段の前にある掲示板へ向かう。

 生徒たちはだいたい、階段を上がっていく生徒と階段前の掲示板で足を止める生徒のふたつに分かれる。

 階段前に集まっているのは、すべて二年生だった。二年生は教室が一階にあるため、クラス分け表が毎年階段前の掲示板に張り出されることになっているのだ。

御島みしま……御島」

 クラス分け表にじぶんの名前を見つけ、人混みをそろそろと抜け出す。そのままひっそりと、じぶんのクラスである二年五組の教室へと向かった。

 新しい教室の前まで来たところで足を止め、一度深呼吸をする。眼鏡を押し上げ、鞄を持ち直して、扉を開けた。まばらな生徒の中、私は黒板のほうへ向かった。

 マグネットで黒板に留められた座席表を確認する。

「御島、御島……あった」

 私の席は、廊下側から二列目の一番うしろだった。春は基本的に名前順で座席が決まるから、ま行の私はだいたいいつもこの辺りだ。

 席につき、カバンの中身を机の中に移し終えると、文庫本を開き、読書を始めた。

 先生が来るまでの余白時間、私はいつもこうして過ごす。近い席の生徒たちと話すようなことはない。

 べつに、ひと付き合いがきらいとか、そういうわけじゃない。ただ、私にはそういうふつうの学校生活は向いてないから、しない。それだけ。

 今までにだって、仲良くなった子がいなかったわけではなかった。だけど、その子たちはみんな、例外なく私の前から姿を消した。

 ――私の、忌々しい呪いによって。

 私はよく、夢を見る。

 おそらく、予知夢よちむというものだと思う。

 その予知夢は決まって私に仲のいい子ができたとき、その子に関するものを見る。内容は、必ずと言っていいほどその子にとってよくないこと――いわゆるいじめとか事故とか――だった。

 だから、私はだれとも仲良くしない。家族とも、必要最低限しか会わないしかかわらない。

 私は、ひとりでいることでしか、大切なひとを守れないから。

 仲がいい子限定で予知夢が発揮されるのなら、ひとりでいればいいだけだ。そうすればあの忌々しい予知夢を見ることはないし、だれかを不幸にすることもない。

 ひとりが寂しくても。毎日がつまらなくても。

 だれかを不幸にするよりは、ずっといいから。

「……はよ」

 聞こえるか聞こえないかくらいの挨拶と同時に、右隣の席の椅子が、ガラッと勢いよく引かれる音がした。

 挨拶よりも椅子の音に驚いて、私は反射的に顔を上げる。見ると、さっぱりとした短髪の背の高い男子が隣にいた。男子がふっと私のほうを見る。

「あ……」

 うっかり目が合ってしまい、どうしたらいいか迷った結果、私はバッと本に視線を戻して、なにごともなかったように読書を再開した。

 ……が、しかし、なにごともなかったことにするのは無理だった。

「ねぇ」

「…………」

「ねぇってば」

 声をかけられた。横を見なくてもひしひしと男子の視線を感じ、さすがに無視するわけにもいかなくなって、

「……は、はい……?」

 ちらりととなりを見ると、やはり目が合った。

「御島さん、だよね?」

 名前を訊ねられ、私は男子の足元辺りを見たまま、かくかくとした動きで頷いた。

 クラスメイトと話したのが久しぶり過ぎたせいか、距離感がうまく掴めない。

 おろおろしていると、再び声をかけられた。

「俺、山内やまうちひなた。隣の席だし、これからよろしく」

「……う、うん。……よろしく、お願いします」

 小さく頭を下げて、再び読書に集中するふりをする。話しかけるなオーラを全開にして。

 こうすれば、だいたいそれ以降は話しかけられずに済む。

 ……のだけど、そんなことはなかったようだ。

「ねぇ、御島さん、それ、なに読んでるの?」

「え?」

 気を取り直して本を読んでいると、山内くんがずいっと顔を寄せてきた。

「……これ、は、小説だけど……」

 驚いて、軽く身を引きつつ答えると、さらに質問が飛んでくる。

「へぇ〜何系?」

「何系? えと、れ、恋愛……?」

「意外! 御島さんってそういうの読むんだ? じゃあじゃあ、儚い系? それとも甘い系? ほら、恋愛系って言っても、いろいろあるでしょ?」

「……えと、強いて言えば、笑える系……かな?」

 正直に答えると、山内くんはわっと口を開いて笑った。

「えーなにそれ! そんな分野もあるの? めっちゃ面白そうじゃん。読み終わったら貸してくれない?」

「え……」

 まるで真夏の水面のようにキラキラとした笑顔に、私は思わず言葉を詰まらせる。

「……あ、ダメだった? もしかして御島さん、読んでる本とか、知られたくないタイプのひと?」

「いや……べつにいいけど。……でもたぶんこれ、男の子向けじゃないと思うよ。主人公、女の子だし」

 戸惑いながらもそう返すと、山内くんはなぜだか嬉しそうに私のほうへ身を乗り出した。

「いいよいいよ、そんなのぜんぜん! 俺が読みたいんだから。じゃあ、読み終わったら貸してよ!」

「う、うん……分かった」

 頷くと、山内くんはなぜか「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをして、

「あ! それからさ」

 と、机から身を乗り出した。

「なに?」

「御島さん、俺と友達になってくれない?」

「……え」

 友達。

 一瞬、なにを言われたのか分からなくなった。

 だって、友達になろうなんて言われたのは、小学生以来だったから。

「俺のことは、ひなたって呼んでよ。ね、御島さん、さっそくだけど、連絡先交換しない?」

「連絡先?」

「クラスメイトだし、なにかと必要じゃん?」

 そうなのだろうか。

「……一年のときはだれとも交換しなかったけど、特に不都合はなかったよ」

 ちら、と山内くんを見ると、きゅるんとした潤んだ目に射抜かれた。

「ダメ……?」

「あ……えっと……はい」

 仕方なく、スマホを出す。

「やったー!!」

 殺風景だった連絡先に、山内くんの名前が追加される。私はスマホ画面を見て、途方に暮れるのだった。

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