5章 ヴァルキリーとプリンス

第44話 戦いの後始末

「セレニア様! セレニア様ってば!」



 大きめな声で彼の名前を呼んでみたが、それでも返事はなかった。ただ、耳を澄ましてみると「すー……すー……」となんともあどけない寝息が聞こえてくる。単純に眠ってしまっただけのようだ。



「もう……なんて人騒がせな……」



 いきなり倒れたものだから不覚にも焦ってしまった。



 しかし、アレンの劇薬の気体をもろに吸ってしまったのだ。本来なら即座に倒れていたところを気合いで持ちこたえていたというところだろう。まったく、無茶をする人だ。



 セレニア様を抱きかかえ、ゆっくりと立ちあがる。傍から見ればお姫様を「お姫様抱っこ」で抱えている騎士だ。「これまでで一番騎士っぽいことをしているな」とひとりおかしく思いながら、ベッドまで運んで彼をゆっくりと寝かせた。



 だが、彼を寝かせたところで私の気力もなくなってしまい、崩れるように座り込んでしまった。



 立ちあがろうにも体に力が入らない。それどころかヘンリーに切られた肩の傷がいきなり熱を帯びたように痛みだす。だめだ。血が足りなくて頭がふらふらしてきた。



 クソ……私もここまでか……。



 そんな悔しい思いとは裏腹に眠気が襲いかかってくる。だが、どんなに抗ってもこの睡魔に勝てることはなく、私はパタンとその場で寝転んだ。



 そんな私を起こしたのは、聞き覚えのある野太い声だった。



「セナ! おい、しっかりしろ!」



 名前を呼ばれて瞼を開けると、大きな体のシルエットが目に飛び込んだ。そこにいたのはイワン団長だった。



「イワン団長……ご無事だったんですか……」



「ああ……すまない。私が倒れている間に……お前がセレニア様を護ってくれたんだな。よくやった」



 イワン団長が褒めながらも申し訳なさそうに眉尻を垂らす。だが、顔色が悪いし、表情も痛そうに歪んでいる。ハースト様が応急処置をしていたとはいえ、まだ傷が痛むのだろう。相当無理をしているように見える。 



「待っていろ。今、城下町から医師を呼んでいる。それと、もうすぐ侍女の人も来てくれるはず──」



 そうイワン団長が言いかけたところで侍女の人が部屋の中に入ってきた。部屋に入った途端に短い悲鳴をあげた彼女だったが、すぐに真剣な表情でこちらに駆け寄った。



「だ、だ、大丈夫ですか!? ひどい怪我……」



「私は大丈夫です。それよりも、エミールさんを……」



 私に言われ、侍女の人が振り向く。壁の隅で倒れているエミールさんを見つけたのだろう。「わかりました」と言った後、血相を変えて彼女の元へと駆けていった。



「そうか……侍女の人たち、戻ってきてくれたのですね……」



「ああ……先ほどな。みんな昼食を返上して動いてくれているよ」



「昼食……もう昼を過ぎているんですか?」



 何気なく言ったイワン団長の発言に度肝を抜く。気づかないうちに僕も数時間は眠りについてしまっていたようだ。その間にイワン団長が目を覚まし、避難していた侍女の人たちが戻ってきたというところだろう。



「お前も怪我をしているところ申し訳ないが……もし動けるのならば、手伝ってほしい」



「勿論です。怪我の処置をしてもらったらすぐに行きます」



「感謝する。では、私は生存者を探してくる」



 そう言ってイワン団長は負傷した腹部を押さえながら一旦部屋を出ていった。



 それにしても、生存者か。果たしてどれくらいいてくれるのだろうか。そんな一抹の不安を抱えながら、僕は怪我の処置を待った。



 ◆ ◆ ◆



 肩の処置が終わってから、緊張しながらも部屋を出る。



 だが、どれだけ時間が経とうとも、地獄は地獄だった。壊れた外壁。飛び交う血。そして重なるように横たわる人々。頭痛と眩暈で私も倒れそうになりそうだったが、倒れる訳にもいかないからとにかく気力で乗り越えた。



 ここまでの惨劇を見ても、不思議とヘンリーとアレンを恨む気持ちは生まれなかった。それは多分、彼らもこの国の被害者だということを頭と心で理解しているからだろう。今はただ、彼らが罪を償って真っ当に生きてくれることを願うだけだ。たとえそれが周囲から非難を浴びる思考であっても、私は願う。



 そんなことを考えているうちに再びイワン団長と出くわした。他にも侍女の人と巡回等で城に不在で奇跡的に無傷だった騎士が忙しなく廊下を行き来している。



「イワン団長。状況はどうですか?」



「セナか……ひどい。ひどいものだ。生き残りはいるにはいるが、ほとんどが死んでいるみたいだ。多分……このままだと城の棺も足りないだろう」



 この国の長い歴史の中で、こんなにいっぺんに人が亡くなることなんてなかったのだろう。そう話すイワン団長は本当に心苦しそうだった。



「とにかく、生存者がいたらすぐに侍女の人に報告。そして、亡くなった者は市民も含めて一階の霊安室に運ぶことになった。彼らの弔いは、セレニア様が目を覚ましてから考えよう──とな」



「……わかりました。では、行って参ります」



 私はイワン団長に一礼をし、再び城の中を巡った。だが、私に残された仕事は、亡くなった人たちを霊安室に運ぶのがほとんどだった。

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