第43話 「じゃ、頑張って」

「……何か言い残すことはあるか?」



「そうだな……『クソ食らえ』かな」



「ハッ。やっぱりお前、ヘンリー・グランツじゃなくてシャロン・オーウェルだな」



 鼻で笑いながらも、セレニア様の顔はどこか寂しげだった。



 ヘンリーは弁明の余地もないほどの大罪人だ。騎士としての裏切り。同胞、国王、王妃、王子の殺害。極刑は避けられないだろう。セレニア様はそんな彼に裁きを下そうとしている。たとえそれが自身の旧友であったとしても、彼のやろうとしていることは正しい。



 けれども私は、そんな彼の手をとめていた。



「だめです、セレニア様……殺しちゃ、だめです」



 私に手を握られ、セレニア様が息を呑む。だが、セレニア様よりも驚いていたのがヘンリーで、狼狽を顔に漂わせていた。



「何を言ってるんだよ、セナ……俺は、重罪人だよ? 死刑は絶対に免れない」



 ヘンリーが頬を引きつらせながら私に言う。彼の言っていることはごもっともだ。そして何より、彼自身がもう死の覚悟をしている。それでも私は、掴んだセレニア様の手を離そうとしなかった。



「わがままを言ってごめんなさい……でも私は、ヘンリーには生きてほしいし、セレニア様の手も汚してほしくない……」



 そう言いながら私は、彼の手を握ったまま両膝を折ってその場に座りこんだ。涙で視界が歪む。緊張のあまり手が震える。それでも私は、ヘンリーに本心を告げた。



「……確かにきみは、取り返しのつかないことをした……人もたくさん殺した……でも……このままだと、きみは罪を償う前に死んでしまう……そんなのはだめだ……生きて……生きて、罪を償ってよ……」



 言葉と一緒に大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。子供のように咽び泣く今の私は騎士とは呼べない。それくらい情けない姿だった。



 ヘンリーはそんな私を見て唖然としていたが、やがて悟ったようにクスリと笑った。



「そっか……セナ……きみは、そうだったんだね……」



 遠い目をしながらヘンリーが天井を仰ぐ。その表情はこれまでずっと引っかかっていた何かがストンと腑に落ちたような、それでいてどこか申し訳なさそうな顔をしていた。



 そんな私たちを見て、セレニア様はばつが悪そうにガシガシと頭を掻いた。



「……だとよ。ということで、惨めったらしく生きやがれ。お前には、ちょうどいい罰だろ」



 ため息をつきながらセレニア様が持っていた剣をポイッと投げる。その行動にヘンリーは大きな目をさらに見開くくらい驚いた。



「お、お前まで何を言ってるんだよ!」



「あーあー、うるせーうるせー。おい、そこの下僕。俺の気分が変わらないうちにご主人様を連れてさっさと失せろ」



 セレニア様はしかめた顔で耳の穴をかっぽじりながら、床で横たわっているアレンに言う。すると、セレニア様の一撃と劇薬のダブルパンチで動けないはずだったアレンが徐に起きあがった。



「アレン……無事だったの?」



「まあ。それなりに」



「ちっ。やっぱり演技してやがったか。油断も隙もないやつめ」



 悪態つくセレニア様を尻目に、アレンは座り込んでいるヘンリーに腕を回し、ゆっくりと立ちあがった。



 アレンならきっと、怪我をしているヘンリーを安全なところまで運んでくれるはずだ。それに、アレンならきっとこれからも彼のそばにいてくれる。安心できるはずなのに、ヘンリーに献身的な彼を見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



「……ごめんな……ヘンリーのこと『よろしく頼む』って言ってくれてたのに」



 私は、何もできなかった。少なくとも私はヘンリーのことを気の置ける同僚と──友達だと思っていたのに、私は彼のことを何ひとつわかってやれなかった。私がもう少し良くしていれば彼の心の闇に気づくことができたかもしれないのに。



 だが、アレンは私を責めることはなかった。



「いや……十分すぎるよ」



 そう言いながら、アレンは少しだけ口角を上げる。



「こいつのこと、死なせないでくれてありがとう」



 その笑顔があまりにも切なくて、温かいくらい優しかったから、私も釣られるように頬をほころばした。



 その横では、未だにセレニア様とヘンリーがいがみ合っていた。



「お前……俺を生かしたこと、いつか後悔するぞ」



「また復讐しに来るかもってか? 構わん、返り討ちにしてやる」



「致命傷負っているやつが良く言うよ……」



 そんなことを言いながらもヘンリーは侘しそうに笑っていた。



「じゃーね、ふたりとも。国の復興、頑張って」



 部屋を出る直前、ヘンリーはとびっきりの笑顔を浮かべながら私たちにそう言い捨てた。



 ヘンリーとアレンの足音が遠くなっていく。



「また復讐しに来るかも」と話していたが、そんなことはないということを全員わかっていただろう。彼らと会うのは、これで最後だ。そんなやるせない思いで彼らの足音を聞いていた。



 セレニア様に異変があったのは、その足音が完全に聞こえなくなってからだ。セレニア様の体がふらふらと揺れ出したのだ。



「……セレニア様?」



 名前を呼んでも返事はない。ただ、私のほうに振り返ろうとした時、彼の足がもつれてそのまま倒れ込んだ。



「セレニア様!?」



 倒れ込んだセレニア様を慌てて受けとめる。だが、覗き込んだ顔は青白く、軽くゆすってみても反応はない。ただ彼は私の腕の中で静かに目を閉じるだけだった。

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