第41話 切られるなら誰がいい?

 こんなに猛攻されていると、いつかは一発もらってしまう。隙を見て反撃をしないと──



 そう思った途端、私の心境を読んだかのようにヘンリーが大きく振りかぶった。



 ヘンリーには似つかわしくない、まるでスイカ割りでスイカでも割るような大振りだ。そこまで大きく振るなんて、隙でしかないというのに。だがこれは好機だ。



 ──わかっているのに、やはり私は刺してある鞘を抜くことができなかった。相手を切ろうと思った瞬間、金縛りにあったように体が言うことを聞かなくなる。だめだ。手も腕もまったく動かない。



 そんな顔を青ざめる私を見てヘンリーがあざ笑う。



「あーあ。だめだよ、セナ……ここでちゃんと切らないと」



 そう言った時には、大きく振りかぶっていた剣が私に振われていた。



「くっ!」



 力任せに振られたヘンリーの剣を鞘に入れた剣で押さえ込む。



 だが、反応が遅れたせいで上手く押さえ込むことができず、私の剣はそのまま振り落とされた。勢いがとまらず、剣が私の頭部へ降ってくる。このままでは頭部が切られてしまう──



 寒気がするほど感じた死の気配に抗うよう、瞬時に体を反らす。しかし、避けた刃は頭部の代わりに右肩に落ちてきた。



「かっ……はっ……」



 自分でもなんて言っているかわからない言葉が漏れた。



 肩から血がどくどくと流れている。だが不思議と痛みは感じない。感じているのは灼熱のような熱さだ。まるで右半身だけ燃えているような感覚。体が痺れて動けず、たまらずその場で倒れた。



 倒れる私の顔をヘンリーが覗き込む。私のことを切ったのに、まだ不服そうだ。



「あれぇ……思ったより傷が浅いや。死なせてられなくてごめんね」



 謝りながらも、彼が握る剣の切っ先は私に向けられていた。慈悲はない。多分、私を殺したあと、そのままセレニア様も殺す気だろう。だが、体の熱さと痺れで指一本も動かせない。


 

 苦痛で顔を歪める私を見て、ヘンリーが笑う。



「でも……セナのせいだからね。せっかくチャンスを与えたのに、俺のことを切らないから。だめだよ。こっちは殺しにかかってるんだから、きみもその気にならないと」



 冷やかすような口調で、ヘンリーがつんつんと私の頭部を突く。だが、どんなに馬鹿にされても、あざ笑われても、今の私には反論する余地も、剣を握る力も残っていない。



 悔しい。こんなにも国が傾こうとしている時でも、私は大切な人ひとりすら護れない。



 泣いたってどうにもならない。なのに、私の意思と反して目から涙がこぼれ落ちてくる。これは剣で切られた痛みの涙か。それとも悔し涙なのか。それすらもわからない。



「あーあ。そんな泣いちゃって情けない……わかったよ。そろそろ楽にしてあげる」



 見下した眼差しでヘンリーが剣を振りかぶる。しかし、その瞬間に全身に鳥肌が立つほどの寒気を感じた。これは、殺気。けれども、私に向けられたものではない。



 この異様な空気をヘンリーも察していたのか、剣を振るいかぶったまま停止していた。おそるおそる顔をあげて状況を把握する。



 ヘンリーの背後には人影がいた。そこにいたのはセレニア様だった。



「『俺のことを切らないから』……ねえ」



 セレニア様が持っていた短剣をヘンリーに向けながら告げる。



「なら、俺に切られるか? シャロン……いや、ヘンリー・グランツ」



 肩で息をしながらも、セレニア様は歯を見せて笑うくらい余裕があった。彼の背後にはうずくまったアレンの姿が見える。どうやら私とヘンリーが戦っている間に決着がついていたらしい。



「へえ……なんだ。実力は衰えてなかったんだ」



「当たり前だろ。俺だって、このまま死ぬ気はないんだよ!」



 セレニア様が短剣を振るう。だが、彼がヘンリーを突き刺す前にヘンリーは即座に体を回転させ、彼の斬撃を防いだ。



 ふたつの刃がじりじりとせめぎ合う。しかし、そのすき間を拭うようにセレニア様がゆるりと力を抜き、ヘンリーの剣を受け流した。



 ヘンリーの剣からすり抜けた後は一歩踏み込んで彼の顔面に向けて短剣を突き刺す。けれども、それもすぐにヘンリーの剣に押さえられた。



 あれが普通の剣だったら一本取れていただろうに、セレニア様の武器は短剣だ。リーチが違いすぎる。それでも彼は、怯むことなくヘンリーに立ち向かっていた。



「ちょっとちょっと……女の子の格好ではしたないんじゃないの? セレニア様」



 言葉は余裕そうだが、ヘンリーの顔は引きつっていた。相手は短剣で、ましてや服装がドレスだ。ここまで善戦するとは思わなかったのだろう。戦いは互角。いや、むしろセレニア様のほうが優勢かもしれない。ヘンリーの剣技の速さについていけているだけでなく、セレニア様のほうがパワーがある。



 このまま続ければ、押し勝てそうだ。多分セレニア様も、ヘンリー自身もそう思っているだろう。



 ──そう、ふたりだけの戦いならば。



「悪いねセレニア様……こっち、二対一なんだわ」



「何?」



 セレニア様がヘンリーの剣を押さえながら慌てて振り向く。すると、倒れていたはずのアレンの手がもぞもぞと動いていた。彼の手に何かある。小瓶だ。小瓶のキャップを取ったアレンは、セレニア様の足元に向けて小瓶ごと投げた。



 小瓶から逃げるようにヘンリーが後ろに飛び、服の袖で鼻と口を押さえる。小瓶から出てきたのは液体だ。まるで腐ったパイナップルのような臭いが私のところまで香ってくる。



 だが、その臭いが流れ出た途端、セレニア様が頭を押さえてその場で膝を着いた。

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