第37話 黒幕の名は

 なるほど、だからイワン団長の応急処置がすでに済んでいたのか。



 見ればハースト様の腹部も負傷しているが、こちらの処置も終えているらしい。おそらく自分でやったのだろう。だが、傷が深いようで包帯に血が滲んでいる。



「とにかく、きちんとした手当をしないと!」



 だが、私が語気を強めたところで、ハースト様は拒絶した。



「いい……これくらい寝れば治る。それよりも……俺の話を聞け」



 ハースト様が顔をしかめる。おそらく、体力がもうわずかなのだろう。落ちてくる瞼の重力に耐えようと、何度も瞬きをしている。それでも彼は私に懸命に伝えようとしていた。



 彼にはわかっているのだ。この事件の、黒幕を。



「昨晩俺はイワンとグランツの話を聞くために寄宿舎へ向かった……しかし、生憎ふたりとも席を外していてな……だから日を改めようとその時は戻ろうとしたんだ……だが、その時にバルコニーに人影を見た──あの、包帯の男だ」



 明らかに怪しい人物の後を追うためバルコニーに向かったハースト様は、武器庫の扉が開いているのを発見したらしい。



「そこで見つけたのが……包帯の男とすでに切られていたイワンだった……だが、敵はそいつだけではなかった……もうひとり、黒幕はいたんだ」



「もうひとり……それは、誰ですか?」



「顔は見えなかった……武器庫に保管していた鎧と鉄仮面で顔を隠していたからな……でも……俺にはわかる……あの剣技は……あいつしか、いない」



 ハースト様の言葉がたどたどしくなる。呼吸も荒々しく、切れ長の目だってほとんど開いていない。もう喋ることだって相当しんどいはずだ。けれどもハースト様は、最後の力を振り絞って黒幕の名前を告げた。



「俺を切ったのは……シャロン……シャロン・オーウェルだ……」



「──え?」



 シャロン・オーウェル。かつてシャムス国王に仕えていたオーウェル伯爵のご子息であり、セレニア様とハースト様の剣友だった人。



 けれども、サイラス様とセレニア様の入れ替わりを強行しようとしたシャムス国王に反対の声をあげ、家族や召使い共々シャムス国王に手を下されたと聞いていた。



 あの時オーウェル伯爵たちと亡くなったと思われていた彼が生きていたというのか。ならば、包帯の男も生き残りか? ひょっとして、その時の復讐をふたりでおこなっているのだろうか。



 だが、ハースト様に意見を求めようにも、彼の意識はもうなかった。



 きっと、誰かに黒幕を伝えるためにシャロンに襲われた昨晩から「倒れまい」とずっと自分を奮い立たせていたのだろう。一日中働いたうえに負傷してもなお、半日近く意識を保ち続けていた彼を心から尊敬する。



 イワン団長もハースト様も眠りについてしまったが、幸いここまで敵が来るような気配はない。下手にふたりを戦場となっている城の中に運ぶより、ここで休んでもらったほうが安全だろう。



「待っていてください、おふたりとも……絶対にあとで救助を呼びますから」



 今はセレニア様に黒幕の正体を伝えなければ。私がここにとどまっている猶予はない。

 私は近くにあった布をイワン団長とハースト様にかけ、武器庫をあとにした。




 城の中へ戻ってみると、踏み入れただけでわかるくらい鉄臭い血の臭いが充満していた。



 廊下からでもあらゆる場所で人が倒れているのがわかる。その中には騎士もいるし、市民もいる。逆にこの地獄絵図の中で立っているのは私しかいないみたいだった。



 吐き気と眩暈がいっぺんに私を襲ってきたが、ここで倒れたら元も子もないから、唇を噛んでその場を持ち直した。



 二階が殲滅。となれば、セレニア様とエミールさんがいる三階に手が回っているかもしれない。セレニア様たちのところに急いで戻らないと。



 だが、廊下を走っているうちにとある部屋に違和感を抱いた。他の部屋の扉は全部閉まっているのに、この部屋だけ扉が開いているのだ。確かこの部屋は──ルーナ王妃の寝室だ。



 彼女の部屋を横切った時、あまりの悲惨さに足がとまってしまった。



「……ルーナ王妃……」



 ぽつりと彼女の名前を呼んでみるが、彼女の返事はなかった。



 ルーナ王妃はベッドの中で横たわっていた。だが、彼女の胸元には騎士の剣が深く突き刺さっている。彼女が絶命していることは、部屋に入らなくたってわかってしまった。



『ありがとう。あなたのような子に泣いてもらって、サイラスもきっと喜んでいるわ』



 不意に彼女の声と、儚い笑顔が頭をよぎる。




 気づけば私はその場で膝を折ってうずくまっていた。腹の奥から胃酸がせり上がってくる。だが、いくらえずいたところで何も吐き出すことができなかった。出てくるのは胃酸と涙と、虚しさだけ。この虚無感に打ち砕かれそうで、叫ばずにはいられないと思った。



 だが、私が声を荒らげる前に、誰かが私に話しかけてきた。この部屋にいるのは、彼女だけではなかったのだ。



「そこに……誰かいるのか……」



 それは消え入りそうな男性の声だった。息を呑みながら顔をあげると、ベッドの脇に横たわるシャムス国王を発見した。



 彼の腹部にも剣が突き刺さっており、未だに血がだらだらと出ている。もう虫の息だと言っても過言ではないが、それでも彼は「誰か……」と私のほうに震えた手を伸ばしていた。


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