第18話 魔の手がそろり、そろり

「あ、セナ! よかった。目が覚めたんだな」



 ヘンリーは木のトレイを持っていた。その上にはパンと水が入ったグラス、スープを入れる器が乗っている。



「昼ご飯、食べ損ねただろ? お腹減ってると思って……食べられそう?」



「あ、うん……ありがとう」



 朝食しか食べていないことを言われるまで忘れていたというのに、スープの美味しそうな香りが鼻に入った途端、一気に空腹を感じた。



 遠慮なくいただいたが、器に入っていたスープはオニオンスープのはずなのに、無味だった。パンだっていつもはほんのり塩味が効いた素朴な味を感じていたのに、今は砂をかじっているみたいに美味しくない。それでもせっかくヘンリーが気を遣って持ってきてくれたから、無理矢理お腹に入れた。



「……あれから、どうなった?」



 水が入ったコップを片手におそるおそる尋ねる。すると、ヘンリーは「いや~……」と困ったように頬を掻きながら話してくれた。



「あれからもうひとりの男も俺を襲ってきてさー……反射的にっちゃったの。そうしたら、イワン団長に『またやったのか』って、怒られた」



「そう……か」



 正当防衛とはいえ、イワン団長が怒ってしまうのもわからなくもなかった。



 騎士を襲う紙袋をかぶった男たち。手口は前回の城の侵入者と似ている。何が動機か。誰の差し金か。少しでも情報を知りたかったはずだ。だが、彼らが死んでしまった以上、それも叶わない。



「『殺すな』って言われてもさー。俺の剣は加減が難しいんだよー」



 ヘンリーは椅子の背もたれにどっかり持たれながら天井を仰ぐ。



 ヘンリーの剣はとにかく速い。居合切りに近い型で、彼の太刀筋を避けるのは相当な手練れでないと無理だろう。パワーこそ私のほうがあるかもしれないが、それをカバーできるほどのスピード力。だが、それは自分でもコントロールするのは難しいらしい。



「……でも、その剣で私は救われた。ありがとう」



 真顔で頭を下げるとヘンリーは「よせやい、よせやい」と笑いながら手を振る。しかし、頬は少しばかり赤らめており、照れていることは見て取れた。そんな彼の姿を見ていると、自然と笑みがこぼれ落ちた。



「そ、そうだ。そういえば、あいつらのことについて一個わかったことがあったんだ」



 ゆるんだ頬が消え、ヘンリーが姿勢をまっすぐに正す。



 いきなりおちゃらけなくなったヘンリーに思わず身構えていると、彼の口からとんでもない言葉が発せられた。



「……襲ってきた奴、また騎士試験の受験者だったらしいよ」



「え?」



 あまりの衝撃に声が出た。しかし、言われて見ればあの体格には既視感がある。けれども、どうして──



「どうして、そんな人が反逆をしようとしているんだ?」



「わっかんねえよなー。試験に落とされた腹いせ?」



「どうだろ……でも、そんな感じの人だったか?」



 顔は見えなかったから、あの試験にいた誰が私たちを襲ったのかはわからない。だが、あそこにいたほとんどは騎士を志すというよりかは待遇……つまり、金に惹かれた者たちばかりの印象で、ろくに剣を扱えない輩ばかりだったはず。



 金だけで騎士になろうとした者たちが、腹いせで反逆になる? それはなんか、ピンとこない。



 あごに手を添えながら考え込んでいると、ヘンリーがじっと私のことを見ていた。その顔にいつもの笑顔もあどけなさもなく、ちょっとだけ悲しそうに見えた。



「……どうしたの?」



 尋ねてみると、ヘンリーは「あのさ……」とやるせなさそうに私に問う。



「もしかして、セナって──」



 そこまで彼が言ったところで、ノックもなしにいきなり扉が開かれた。入ってきたのは、まさかのハースト様だった。



「ハ、ハ、ハースト様!?」



 突然の近衛騎士最強とも言われる人物の登場に私もヘンリーも慌てて立ちあがる。だが、当のハースト様はいつもの厳めしい顔のまま、ずかずかと部屋の中へ入ってきた。



「……こいつを回収しに来た。手間をかけたな、ヘンリー・グランツ」



「い、いえ、とんでもございません」



 いつもはイワン団長にすらフランクなヘンリーも、ハースト様を前だと緊張で固まっていた。ハースト様は、そんな石のように固まる彼のことなど見向きもせず、私の正面に立って見下ろした。



「行くぞ」



「……はい」



 その言葉だけで押しつぶされそうなくらい圧を感じた。しかしハースト様はそれ以上何も言わず、無言で部屋を去っていった。



「セナ……大丈夫?」



「大丈夫。色々ありがとう」



 心配してくれるヘンリーにお礼を言い、ハースト様の後に続く。ヘンリーは心配そうに眉尻を垂らしていたが、ハースト様が待っていることもわかっていたからすぐに「じゃ、また」と僕に別れを告げた。



 部屋を出て静かに扉を閉めると、ハースト様はすでに寄宿舎の外へ出ようとしていた。



 慌てて駆け足をすると、ハースト様が珍しく私のことを待ってくれていた。だが、私のことを気遣ってくれている訳ではないのだろう。



「ハースト様……申し訳ございませんでした」

 


 頭を低くして詫びると、ハースト様は視線だけこちらに向けてくれた。

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