第17話 不審者は突然に

「セナ……今、変な人が路地に入らなかった?」



 急に声色が変わったヘンリーにたまらず息を呑む。



「ご、ごめん。わからなかった」



「ちょっと行ってみないか? 俺の気のせいだったら、それでいいし」



 いつになく真面目な顔になるヘンリー。だが、彼の言う通りだ。私たちの任務は怪しい者を取り締まること。



 それに、本当にヘンリーの見間違いじゃなければ、その「変な人」がセレニア様を狙っている不届き者の可能性もある。不安材料はなくすに越したことはない。



「そうしよう。くれぐれも用心して」



「よしきた。そう来なくちゃ」



 ヘンリーはニッと歯が見えるくらい笑いながら、腰元に差した剣を抜く。私はというと、ひとまず剣の柄を握るだけ。この剣が抜かれないことを祈りながら、ヘンリーと共に路地に入った。



 見覚えのある路地だった。土埃まみれの地面に廃棄されたまま放置されているボロボロの麻布袋と割れた樽。ここは私が倒れていた路地だ。だが、それよりも見覚えのある人物がそこにいた。



「……紙袋?」



 ヘンリーが見た怪しい者はどう見てもこいつらだと思った。丸太のように太い腕。がっしりと筋肉がついた体格。そして優に二メートルは越えている身長。そんなガタイのいい男がふたり、紙袋をかぶって顔を隠していた。



「そこ、何をやっているのだ」



 なるべく低い声で威嚇するように話しかけると、男たちはふたりして肩をすくみあげた。どうやら紙袋をかぶったばかりで油断していたらしい。



 それにしても、この紙袋をかぶった男。先日城に侵入しようとした不審者に風貌が似ている。やつらの仲間だろうか。まあ、やつらの仲間でなくても、その腰に差した剣を抜いただけで制圧対象だ。



「うおぉぉ!」



 いきなり声を荒らげた男が剣を私に振り下ろす。



 私は腰に差していた鞘で男の剣を押さえ込む。わずかに出した剣の刃でかろうじて防御できたが、男の力は強い。この刃を受け流して私も臨戦しなければ。



 そう思った矢先、今度はもうひとりの男が私に向けて刃を向けた。押さえ込んだ私を確実に仕留めようとしている。悪い手ではない。だが、男の刃を目で追えてない訳ではなかった。



 このまま私を押さえ込んでいる男を払い除けて、襲いかかるもうひとりの男を切れば問題ない。わかっている。頭ではわかっているのに、私は手にかけた剣を抜くことができなかった。



「セナ!」



 ヘンリーが声をあげた時、私はすでに男に切られていた。だが、間一髪のところで体をひねらせたので、男の切っ先は私の腕をかすめただけだった。



 致命傷ではないとはいえ、防具で護られていないところを切られたのは不運だった。切られたのは一センチも満たないだろう。それでも私の左腕からはだらりと血が流れ出た。



 しかし、ひざまずいても男たちの攻撃はとまらない。腕を抑えて動けない私に向け、男は大きく剣を振りかぶった。



 まずい。切られる。だが、腕が痛くて動かな──



 ──そう思った矢先、私の前に黒い影が立ちふさがった。その影がヘンリーだと気づいた時、彼は勇ましい声をあげながら剣を振るっていた。



「おらぁ!」



 声を荒らげたヘンリーが襲いかかる男の腹部を断ち切る。すると切られた男の腹部からだらりと赤赤しい血が流れ出た。



「は……ちが……」



 目を剥いた男が血の海に倒れ込む。



 赤い血が、地面に流れる。男が、絶命する。



「う、うわ……」



 真っ赤な世界を目の当たりにすると、無意識に声が出た。それはかすれるような、今にも消え入りそうな声だった。



「……セナ?」



 私の異変にヘンリーが気づいたがもう彼の顔すら見ることができなかった。



 呼吸ができない。胸が苦しい。頭の中が、真っ白になる。



 ──ごめんなさい、セレニア様。



 一瞬よぎった彼の背中に、心の底から謝罪する。そしてそれを最後に、私の意識は遠くなった。




 目を覚ますと、ベッドの上にいた。懐かしい固さのベッドだった。



「……はっ!?」



 違う。私はヘンリーと一緒に路地にいたはず。そこで男に襲われて、ヘンリーに助けられて、それから……覚えていない。



 飛び起きて、辺りを見回す。ここは寄宿舎の一室だ。正しくは、私が前に暮らしていた部屋だ。


 元々は物置だった場所で他の居室より狭く、ベッドをふたつ置くのがやっとのような部屋だった。私は近衛騎士になるまでヘンリーと一緒にこの部屋に暮らしていた。たった十日くらいしか暮らさなかったが、この狭さが妙に落ち着いた。だが、懐かしさを感じている暇はない。



 あれから何があったのだろうか。ヘンリーに聞こうにも彼はいなかった。ただ、切られた腕には包帯が巻かれている。誰かが怪我の処置をしてくれたみたいだ。幸い、着替えはされていない。切られたところが着替え不要なところでよかったと思う。



 ふと窓を見ると、空がオレンジ色になっていた。いつの間にか日が暮れている。私はどれくらい寝込んでいたのだろう。



 頭が一向に追いつかず、ぼうっと窓の外を見つめていると、部屋の扉がガチャッと開かれた。入ってきたのはヘンリーだった。

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