第19話 騎士の中での最弱者

「……自分の力を過信するな。あと、助けてくれたグランツに感謝しろよ」



「はい……」



 と、返事をしたものの、ハースト様は私が返事をする前に再び歩きだしていた。この返事も聞こえていないかもしれない。だが彼は私に謝罪する時間を与えてくれた。一分一秒空いた時間のないくらい多忙な人が、だ。



「……ありがとうございます」



 聞こえないだろうと思いながらも、お礼を言わずにはいられなかった。私に機会を与えてくれたこと。そして、こんな無様な結果になっても私の力を信じてくれたハースト様に。



 ──無論、負傷したのは私が自分の実力を過信したからではない。単純に、人を切れないのだ。



 そのことについて、きっとヘンリーは気づいているだろう。先ほど私に聞こうとしたことは多分そのことだ。なんせ彼は、そばにいたのだから。



 あの時というのは、城に侵入者が現れた日だ。



 その日、私は城内の見回りをひとりでしていた。一階の廊下を端から端まで何往復。あの時はまだ入団して十日も経っていなかったから、緊張した面持ちで、全神経集中させていた。



「あらゆる侵入も許してはいけない」と思っていたから、時々窓の外の様子も見ていた。



 窓からは門番をしていたヘンリーと先輩騎士の姿が見えていた。本当は警護中は私語厳禁なのだが、同じ場所でずっと突っ立っているのは飽きるのだろう。話し声までは聞こえないが、楽しげにしゃべっている様子がここからでもわかった。



 ヘンリーと一緒に警備している先輩は私たちが入ってくるまでずっと下っ端だったらしい。



 ヘンリーに先輩風を吹かしたかったのだろう。ヘンリーもヘンリーで人懐っこいし、おだてるのも上手そうだから、先輩も気持ちよく話ができたみたいだ。



 怒られても知らないぞ……。



 とは思ったが、遠目からでも先輩の上機嫌が伝わってきたから、見て見ぬふりをして巡回に戻った。



 ──重々しい爆発音が響いたのは、まさしくその時だ。



 轟く音に慌てて外を見ると、庭園のほうから黒い煙があがっていた。



 窓を開け、縁を飛び越えてヘンリーがいるところへと向かったら、そこにはすでに先輩の姿はなかった。「様子を見てくる」と言って、警備をヘンリーに任せたらしい。



 いきなり現れた私にヘンリーは驚いていたが、すぐに緊張した顔つきになった。由々しき事態。それは新米騎士である私たちでもわかっていた。



『うわー!』



 途端、先輩の悲鳴が聞こえたから、ヘンリーと共に声があがったところへ走った。すると、そこには例の紙袋をかぶった男がふたり、座りこむ先輩の前に立ちはだかっていた。



 先輩は自分の目元を抑えて悶絶していた。



 侵入者の男は空の小瓶を手にしていた。どうやら先輩はあの男に液体を顔面にかけられたらしい。目が見えていないのか、落とした剣を手探りで探していた。



 侵入者の男はそんな無防備な先輩に対し、無情にも剣を振り下ろしていた。このままでは先輩が切られる。だから私は無我夢中で相手の男目がけて剣を振るった。



 振るって、しまった。



 事の重大さに気づいたのは、振るった剣の切っ先が男の腹部に突き刺さった時だ。



 切った瞬間、男の腹部から赤い血が流れた。男の血は腹部に刺さったままの剣の刀身を伝い、私の手に付着する。その生温かさとは裏腹に自分の体温が一気に下がっていくのが感じた。



 人を切った。その事実が、私の頭を真っ白にさせた。



『セナ!!』



 ヘンリーの声に振り向くと、もうひとりの男が私に刃を向けていた。しかし、私を襲う前にヘンリーが男を切った。



 ヘンリーが切ったのは男の首だった。動脈を切られた男の首からは、噴水のように赤い血が吹いていた。



 溢れ出る血液。未だにうずくまって唸る先輩。そして、血を流して倒れる侵入者の男たち。美しかったはずの庭園に鉄の臭いが充満する。



 そんな地獄のような光景の衝撃を前に視界が突然ぐらぐらと揺れ、私はそのまま意識を手放して倒れた。そして、その時から剣を振るえなくなってしまったのだった。



 私が切ってしまった彼は、この世界では罪人だ。あのまま城の侵入を許してしまったら、大惨事になっていたかもしれない。だから誰も私のことを咎めなかった。むしろ、あの対応が的確だったとイワン団長に慰められた。



 けれども、私の生まれ育った世界は違う。人を傷つけてはいけない。ましては、人を殺めてはいけない。その「教え」が骨の髄までしみ込んでいるのだ。疑いもしなかったこの「教え」が、この世界で弊害になるとは思わなかった。



 私が幸運だったことは、その夜にセレニア様と出会えたことだ。おかげで近衛騎士に昇格し、あれから前線に立っていない。だが、セレニア様の命を狙われている状況である今、いつ戦いになるかはわからない。現に今日だってそうだ。



 私は弱い。このままではセレニア様を護れない。わかっている。わかってはいるのに、やはり私の腕は、このなまくらを振るうことができなかった。こんな状態では、あの人の隣に立つ資格なんてないというのに。



 うなだれながら、ハースト様と一緒に階段をあがっていく。この先に続くのは私らの居室と、セレニア様の部屋。正直気分が重かった。今の私は、どんな顔でセレニア様に会えばいいのだろう。



 だが、気分が重たくなる私を差し置いて、ハースト様は淡々と私に告げた。

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