第7話 女子高生/黒須世奈

「お前も笑っているではないか!」



「はははは! す、すいません……セレニア様の顔が面白くて……」



「お前……この俺を侮辱するとはいい度胸だな……」



 笑う私に眉間のしわが深くなったセレニア様だったが、すぐに頬をほころばせた。



「昔話はやめるのではないぞ。でないと……お前の心が故郷に帰れないだろ」



 セレニア様にいつになく優しい声で言われる。だが、その優しさに触れただけで私の胸はちくりと痛んだ。



「……はい、そうですね」



 目を伏せて、遠い故郷を思う。



 そう、私はこの国──いや、この世界の者ではない。いわゆる転移者だ。本当の名前は、黒須世奈くろすせなと言う。



「『トーキョー』と言ったか、お前の故郷は」



「そうです。『ニホン』という小さな島にあります。『トーキョー』というのはその首都です。といっても、王様もいませんし、こんな立派なお城もないんですけどね」



「そうか……それで、どう行った経緯でヴィラスターまで来たのだ?」



 セレニア様に問われ、途端に口籠る。こんなにも自分の話をしていたのに、セレニア様にはどうやってヴィラスター王国までやってきたかは話していなかった。



 しかし、こんなことを話したところで、果たしてセレニア様は信じてくれるのだろうか。これまで私が外国人であるていで話していたが、異世界転移となると話が変わる。



 あんな与太話のような出来事だ。大抵は笑われるか、「ふざけるな」と怒られて終わるだろう。本当のことを話しているのにそんなリアクションをされてしまったら、ちょっと傷つきそうだ。



「どうした? 言いたくないのか?」



 うつむく私の顔をセレニア様が覗き込んでくる。近い。息がかかりそうなくらい近い。しかし、そんな心配そうな顔で見られてしまっては、私も無下にあしらわれない。



「……今から言う話、信じてくれます?」



 そう言うと、セレニア様にキョトンとされた。



 どうしてだろうか。話したところで信じてくれないとわかっているのに、こうしてセレニア様と接していると「彼になら言ってもいいか」と思ってしまうのだ。



「──話してみろ」



 セレニア様は小さく笑いながら、ベッドの縁に腰を下ろす。いつもはだらけながら私の話を聞くくせに、こういう時だけちゃんと姿勢を正すからずるい。



 そんな彼の佇まいに思わず笑みをこぼしながら、私は淡々とここに来た経緯を話し始めた。



 ◆ ◆ ◆



 時はおよそひと月ほど前まで遡る。その時は、私もただの女子高生だった。



 ヴィラスター王国に転移したきっかけは、最後の高体連を終えた帰り道のことだ。あの日の私はジャージ姿のまま、所属していた剣道部の仲間たちと共に帰路についていた。



 青空の下で信号待ちをしている最中でも、話題は先程の大会のことだった。私の三連覇という有終の美を飾れた今大会。だから試合を終えてからも興奮は冷めやまず、後輩たちは私を黄色い声援をあげながら褒め称えた。



 そんな楽しいひと時が音も立てずに終わりを告げるとは、この時は誰も思っていなかっただろう──信号が変わって一歩踏み出した友人に向かって、トラックが猛スピードで突っ込んでくるまでは。



『あ──』



 友人の名前を呼ぶ前に、体が勝手に動いていた。



 時間にすると、多分一瞬のことだった。それなのに、私の目に映る光景が全てスローモーションに見えた。



 突っ込んでくるトラックを前に絶句する友人。意識が飛んでいるのか、ハンドルを握ったままうつむいているトラックの運転手。金切り声で絶叫する後輩ふたり。そして、力の限り友人の体を突き飛ばす私。



 ハッと息を呑んだ時には、トラックの車体は私にぶつかっていた。全身に痛みが走った。けれどもその頃には私の視界も真っ暗になっていて、最早暗闇の中で体から流れ出る生温かい血の感触しか感じていなかった。



 意識が遠くなる。誰かの泣き叫ぶ声が聞こえる。そんな悲しげな声を聞きながら、私はひっそりとこと切れた。なんとも呆気ない、十八年の短い命だった。



 ──そう物思いにふけられたのも、たった数秒の出来事だったと思う。



 次に目を覚ました時、最初に耳に入ってきたのは幼い少女の悲鳴だった。



 顔を上げると、割れた木樽と表面がやぶれた麻袋が視界に飛び込んだ。あまりにあり得ない光景だったから、夢でも見ているのかと思った。なんせ、横断歩道で車に轢かれたはずなのに、今度は見知らぬ路地にいる。



 しかも血まみれだったはずの服には血液はついておらず、代わりに土埃で汚れていた。気候もむせそうになるくらい乾燥しており、風で細かい砂が飛んでいる。



 ここが日本ではないことは、即座に理解した。だが、私が倒れた場所がヴィラスター王国の城下町にある裏路地のゴミ捨て場であったことを知るのは、それからずっと後のことだった。



 目を覚ましてから一分も経っていないと思う。私はすぐに立ちあがり、近くに落ちていた自分の竹刀袋に手をかけた。そして飛び込んできた光景に言葉を失った。



 両腕が丸太のように太い中年の男が、少女の上に覆いかぶさっていたのだ。少女はまだ十歳にも満たなさそうなあどけない子だ。男に必死に抵抗しようとしていたが、小枝のように細い腕が男の大きな手に抑え込まれていた。



『そこで何をしてるんですか?』



 声をかけると、男がギョッとした顔でこちらを見てきた。

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