第4話 私が言えることでもないけれど

 幸いにも、彼の近衛騎士になってからも私の正体はバレていない。むしろ給料も待遇もぐんと良くなっているから恵まれているほうだろう。ただ、私をおもちゃのように弄ぶセレニア様の相手をするのがちょっと、いや、かなり面倒である。



 彼がセレニア様と偽って十年。ほとんど部屋から出ることを許されていない彼にとって、同年代の私の存在が新鮮でたまらないのだろう。



 しかも私は女性。セレニア様もお年頃だからちょっかいをかけたくて仕方がないらしい。まあ、女性といっても、周りから男性だと思われているくらい女らしさのかけらもないのだけれど。



 それに、たとえお互いの弱みを握りあっている立場であっても、私は近衛騎士。王女であるセレニア様を護るのが私の仕事。



 今だって危害が及ばないよう、こうして彼に貼りつくようにベッドの横に立って護衛しているというのに……当の本人はベッドの上で寝そべり、だらけている。



 そんなセレニア様を見ているうちに自然とため息が出た。



「セレニア様はもっと、こう……自分が命を狙われているという自覚を持ったほうがいいのではないですか?」



 こんな呑気にベッドの上でゴロゴロしながら私を誘ってくるセレニア様だが、先日殺害をほのめかす脅迫文が送られたらしい。



 私が最近この城の騎士になった理由も、そんなセレニア様への護衛の強化のためだ。



 脅迫文が届いたのは私が入団する前の話なので詳細は不明だが、実際、先日も城に侵入者も入ってきて門番であった騎士が負傷した。そんな状態であるのに、セレニア様は私の発言に「ああ?」と眉をひそめた。



「お前、今なんと?」



「え? だから、もっと自分が命を狙われているという自覚を持ったほうがいいのではないか……と」



 突然怖い顔になったからてっきり怒られるかと思ったが、セレニア様はうろたえる私に構わず「フンッ」と鼻を鳴らし、徐に起きあがった。



「……命を狙っているのなら狙っているで、さっさと俺を殺せばいいのだ」



 先ほどまでの強面はどこへ行ったのやら、自分の太ももに肘をつきながらそう漏らしたセレニア様の表情は儚げで、ちくりと胸が痛んだ。



 まるで、本心でそう言っているように見えてしまうのだ。自分を偽ることは、自分の意思ではやめられない。それならば、いっそ誰かに……と。けれども、そんなことは私が許さない。



「……ご安心を。それは私が絶対にさせませんので」



 そう言うとセレニア様は少し驚いたように目をみはらせたが、すぐにフッと小さく笑った。



「あほ抜かせ。お前ごときに護られるほど俺も柔ではないわ」



「いや、そんなことを言われても、私はあなたの近衛騎士なので大人しく護られてください」



「『護られる』ねえ……こんな細いのにか?」



 ニヤリと笑ったセレニア様が私の手首を掴む。



 筋肉はついているほうだとはいえ、セレニア様くらいの大きさの手ならばがっちりと私の手首を握ることができた。振り払わせないつもりなのか、握力が強い。「こんなので、護れるのか?」そう言っているみたいだ。



 言葉なき圧をかけられたとしても、私は動じなかった。



「……そういうの、私の国では『セクハラ』って言うんですよ」



「せくはら? なんだそれは」



 私の発言にセレニア様がポカンとする。ここで彼にセクシャルハラスメントについて説明してもいいが、したところでこの手のセクハラはやめなさそうだ。だから、「なんでもないです」と話を流した。



 そんな茶番をしているうちに、「コンコンコンコンッ」と部屋の扉が四回ノックされた。時間からして湯浴みの知らせだろう。



「ちっ。行ってこい、セナ」



「かしこまりました」



 セレニア様に言われ、代わりに部屋の扉を開けに行く。



 扉を開けると、侍女のエミール・スチュワートさんが深々と頭を下げていた。足元には木蓋が乗った大きな水瓶が置かれている。中には沸かしたお湯が入っているのだろう。



「セナ様、ご機嫌麗しゅう」



「ご、ご機嫌うるわしゅー……」



 エミールさんに釣られるように私も頭を下げると、エミールさんは顔を上げ、ニコッと笑った。



 白いエプロンドレスを身に纏い、黒い長い髪をお団子にしてシニヨンキャップに収めたエミールさんの佇まいは『侍女』という存在を絵に描いたような風貌だ。



 それをさらに引きたてさせる細い腰元に長い手足。そして少しだけ吊りあがった大きな目。大人びた魅力のある、美しい女性だ。女性である私ですら、こうして目の前に立たれて微笑まれるとドキッとしてしまう。



 ちなみに齢は三十。この魅惑的なオーラが城の騎士たちを虜にさせているとかなんとか。そんな彼女はセレニア様の正体を知る唯一の侍女だ。そういう理由からセレニア様の身の世話を全てひとりでおこなっている。湯浴みもそのひとつだ。



「それでは、私はここで……」



「ええ。よろしくお願い致します」



 会釈するエミールさんは大きな水瓶を持って静かに、そして素早くセレニア様の部屋へ入る。私はというと、この間は部屋の扉の前に立って見張りだ。



 王宮には大きな沐浴室があるらしいが、セレニア様の場合は人目を避けるために部屋で湯浴みをする。



 といっても、風呂釜にお湯を貯めるような感じではなく、木製のバスタブに座り、頭や体を沸かしたお湯で流したりする程度だとか。石鹸はかろうじて存在するが、シャンプーやリンスはない。しかし、こうして豪勢に水を使えるということ自体が王族の特権なのだ。

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