第十一話 誘拐

「んぅ……んー……ふわぁ」

 カーテンの隙間から差し込む日差しと風を受けてアルが身体を起こした。

「もう朝か……なんか体が怠いなぁ……あの日かな? 」

 一応確認のためステータスを開くと、予想通り血液不足のアイコンがしっかりと表示されている。

「あーあ、これ無ければ完璧なんだけどねぇ……まぁそれでも吸血鬼にしては吸血鬼らしいところがここしかないから悪くないと思っちゃうんだよねぇ……っと、カノン起きてる? 今日あの日なんだけど――」

 血を貰うために、声をかけながら隣に並ぶカノンが寝ているベッドへ視線を向ける。

「え……カノ……ン? 」

 いつもアルより起きるのが遅くて、幸せそうな寝顔をしている彼女が、そこにはいなかった。

「え? カノン? どこ? 」

 カノンがアルより先に起きることはたまにあったけれど、寝ている間に一人でどこかに行ったことは無い。

 初めての事態に混乱するけれど、一度深呼吸して落ち着いて考える。

「ふぅ……ま、まぁお手洗いに行ったとかそんなところだと思うし、それかお腹空いて宿屋のおばちゃんに何か作ってもらってるんでしょ。うん」

 そう納得できるよう結論付けて、怠く重い身体を無理やり動かして自室を出る。その足で宿共用のトイレまで移動する。

「誰もいない……」

 電気も点いて無く、誰も使っていなかった。それならばと、次はカウンターの方へ向かう。そこでは食事もできて、テーブルに着けばおばちゃんが注文を取ってくれる。

「ここにも……いない……」

 他の客は数人いたけれど、しかしカノンの姿はそこにも無かった。

「じゃ、じゃあどこに! い、いや落ち着け私……まずはおばちゃんに聞こう。いつも人が出入りしてるところ見てるはずだし」

 次の行動を決め、早速動く。やはり体は重いがそんなこと気にしていられない。

 カウンターに立っているおばちゃんに話しかける。

「おばちゃん、カノン見なかった!? ここから出てったりしてない!? 」

 アルが詰め寄ると、おばちゃんは驚いたように目を見開き両腕をアルの肩に置いてきた。

「嬢ちゃん、ちと落ち着きな。カノンって、嬢ちゃんの連れだろう? 」

 これでもだいぶ落ち着いているつもりだったけれど、宥められてしまった。そんなに必死に見えただろうか。

「そ、そう! 髪の長い黄色い目をした女の子! 」

「すまないが、見てないね。あんたたちも見てないかい? 」

 おばちゃんがカウンターの後ろに広がる厨房と椅子に座ってご飯を食べてる他の客に向かって声を上げる。しかし、皆見ていない様子だった。

「嬢ちゃんすまないね。うちの誰も見ていない。部屋に本当にいなかったのかい? 」

「た、確かに……いなかっ……た。…………もう一度見てくる!! 」

 重い身体なんて関係ない。階段を駆け上って自室の扉を思い切り開け放つ。

「カノンッ!! 」

 そこにカノンは――いなかった。窓からの風が頬を撫でる。

「――え……風? 」

 見ると、窓が開いていてカーテンが風に揺れている。

「おかしい。いつも窓は閉めてるし、昨日もエルナさんに言われて閉めたのを確認したはず。カノンが誰にもバレないように窓から外に出た? 何のために? 昨日私に見せたいって言ってたやつ? ううんそれも違う。何かを見せたいって私に言ってるし、何も言わずに私の前からいなくなるはずが無い」

 なら?

 そこまで考えて、昨日のエルナさんの話を思い出した。

「行方不明。髪の長い、十四、五歳の少女だけ」

 呟いてようやく理解した。その事実を受け入れたくないが、受け入れるしかなかった。

カノンが、攫われた。

 反射的に自室を出て、階段を駆け下り、おばちゃんが呼び止める声も聞き流して走り出した。

 いつもは気にならないのに、やけに日差しが痛い。夏だからだろうか。それとも吸血鬼だからだろうか。まぁ灰になってないだけいい。

 もう、身体の重さなんて気にもならなかった。とにかく走る。

 ようやくたどり着いた場所の扉を開け放つ。視線が大量に集まった。走ったからか、それとも不安からか、汗が頬を伝う。

汗を拭って呼吸を整えていると、アルの直線状に立った女性が駆けつけてきた。

「ど、どうしたんですかアルさん。ず、随分と急いでいるようですけど……それに、カノンさんは――」

「エルナさん! カノンが……カノンがいなくなって……!! 」

 駆け寄ってきたエルナさんの肩を掴んで縋るように叫んだ。一瞬目を丸くしたが、こういう状況に慣れているのかエルナさんは落ち着いていた。

「アルさん、今は落ち着きましょう。ひとまず呼吸を整えて、ゆっくり深呼吸です」

 エルナさんに言われるまま、ゆっくり深呼吸して呼吸を整える。

「それでアルさん、カノンさんがいなくなった経緯について、順に説明していただけますか? 」

 アルは頷き説明していった。朝起きたらカノンがいなくなっていたこと、宿屋中探してもいなかったこと、他の客もカノンが宿屋を出入りしているところを見ていないこと、閉めたはずの宿屋の窓が開いていたこと。

 聞いたエルナさんは、いつもの柔和な笑みではなく、珍しく真剣な顔をしていた。

「アルさん、カノンさんが自分から窓から出たという可能性は――」

「絶対に……無い……」

 その必要性が全くない。

「そうですよね……」

 エルナさんは少し考え込んでから、また口を開いた。

「アルさん、あのですね――」

 言いかけたところでエルナさんは言葉を止めた。

「――あの、アルさん大丈夫ですか? 息も荒いし顔も赤いし、なんだか辛そうですが……走ったから、というわけではないですよね? 」

 いつも依頼を受けて魔物を討伐してから何事も無かったようにケロッと普通に生還してくる人物が、少しの距離を走っただけでここまで苦しそうにするはずが無い。

 ついにアルが膝からくずおれた。

「ど、どうしたんですかアルさん! なにか――」

「……血」

「――血? 」

「一滴でいいから、血をください……」

 アルがかろうじてそう言うと、エルナさんが受付の方に戻って一本のペーパーナイフを握って戻ってきた。

「私のでも大丈夫ですか? 」

 頷くと、エルナさんが持ってきたペーパーナイフで指先に刃を撫でた。

「――ッつ……アルさん私のですが、どうぞ吸ってください」

 砂漠でオアシスの水を見つけた渇き切った人のように、反射的にエルナさんの手を掴み、指を咥える。

「ひゃんっ」

 エルナさんから可愛い悲鳴が聞こえるが、お構いなしに口内に流れ込んでくる血を舐めとるようにして、こくんと飲み込んだ。

「ん……ふぅ……ありがとうございますエルナさん。助かりました」

 指から糸を引いた唾液を拭いながら感謝を伝える。

「あれ? エルナさん、どうかしました? 」

 言っても、いつも返ってくる返事が返ってこずエルナさんを見ると、アルが咥えた指を呆然と見ながらへたり込んで固まっていた。おまけに顔まで真っ赤だった。

「あの……エルナさん? おーい……きゅ、吸血って副作用とか無いよね? ていうか今回牙立ててないし何も無いと思うんだけど……」

 顔の前で手を振っても反応が無いので、何も無いはずなのに不安になってくる。

「……はっ! ア、アルさん! よ、よかったもとに戻ったんですね」

 しかし、すぐにエルナさんが現実に戻ってきた。ただぼーっとしていただけらしい。一安心だ。

「はい。ありがとうございますエルナさん。本当に助かりました」

「い、いえ。吸血がどんなものかちょっと怖かったですけど、あんなにエッ――じゃなくて、その、くすぐったいものだとは思いませんでした」

「へぇ……吸血ってくすぐったいんですね――って、そんなこと言ってる場合じゃないんですっ! 早く助けに行かないと! 」

 ギルドから飛び出していこうとしたところを、エルナさんに腕を掴まれ引き留められた。

「何ですかエルナさん! 放してください! 早く……早くカノンを助けに行かなくちゃ! 」

「なら、まずは落ち着いてください。カノンさんの居場所はわかってるんですか? わかっていなくとも目星がついていたりするんですか? 」

 何もわかっていない。グーの音もでない正論を叩きつけられて口を噤む。

「やっぱり、何もわかっていないんですね」

「……で、でもカノンが……」

「わかっています。早く助けてあげるためにも、今は情報を集めましょう。こういう時は情報が肝心です」

 警察だって、行方不明になった人を探すときはまず聞き込みをして調査を進めていくだろう。実際は知らないけれど、前世の刑事モノのドラマでやっていた。

「皆さん! 昨晩カノンさんを外で見かけた人はいますか! 」

 エルナさんがギルド内にいる冒険者たちに声をかけるが、冒険者たちは皆揃えて首を横に振るだけだった。

「カノンさんみたいな目立つ髪色をした人を見れば気づかないはずないですもんね……。少なくともこの街にいるか、外に行ってしまったのかわかればよかったんですが……」

 初手から躓いてしまった。確かにこの街のどこかにいるならまだしも、遠くに行かれたら捜索は困難を極めるだろう。

「あの、アルさん、いつも魔物を見つける時ってどうしてるんですか? 依頼達成が早いアルさんは魔物を見つけるのも早いですよね? それって人に対しても使える技術なんですか? 」

「そっか! 索敵魔法があった!! 」

 急に大声を出して叫んだアルを見て、エルナさんが口を開けてポカンとしていた。

 気にせず索敵魔法を使う。半径三キロ円内のマップが表示される。白いアイコンの周りにたくさんの青いアイコンがあり、街中にもたくさん青いアイコンがあった。全てをタップしていく。しかし――

「カノンが……いない」

 マップに表示された街の中・外関係なくすべてのアイコンをタップしたが、カノンの名前は無かった。

「えっと、アルさん? 」

 エルナさんが不審なものを見るような目をして声をかけてくる。

「エルナさん、カノンが街のどこにもいません。街どころか半径三キロ以内にもいない」

 そんな視線も気にせず淡々と情報を共有する。

「えっ!? あの一瞬でそこまで!? いえでも、そうですか。半径三キロ以内にもいないとなると、ほんとにどこに行ったか検討もつけようも無いですね。そうだアルさん、カノンさんと離れてても連絡を取り合う方法って無いんですか? 」

「……あ! 」

「……言ってみただけなんですが、あるんですね……」

 エルナさんに呆れたような目を向けられ、少し肩身が狭くなる。

「し、仕方ないじゃないですか! 焦ってたんですよ!! 」

「はい、わかっていますよ。すみません。早く試してみましょう? 」

「は、はい」

 促され、集中する。頭の中でカノンを思い浮かべる。そして、語り掛けるように。

『カノン! カノン! 聞こえる!? 』

『………………』

 それでも返事は返ってこなかった。

「どうでした? 」

 数秒間黙って目を閉じていたアルが目を開いたのを確認すると、エルナさんが心配そうにのぞき込んでくる。

「ダメでした。念話でもダメって……そんなのもう……ううん、何か理由があるんだ」

 もしかしたら念話にも限界距離があって届かない所まで移動してしまったのかもしれない。少なくとも、どこかで生きている。そう思いたい。

「そうですか……。でも、この街から離れて遠くへ行ったのは間違いないんですよね? 」

「はい。間違いないです」

 力強く頷く。カノンはもう、この近くにはいない。索敵魔法にも視認できず、念話も届かなかった。でも、この近くにいないと言うことだけでもわかったことが進歩だ。

「それなら、アルさんに黙って離れることも無いでしょうから、カノンさんの意思で離れたわけではないのは確定ですね。それならやはり、誰かが拉致した、というのが妥当でしょう。狙われるお心当たりは……」

「エルナさんが昨日言っていた、髪の長い少女だけが狙われるという話くらいですね」

「ですよねぇ」

 エルナさんもそれくらいしか心当たりがないのか、うんうん頷いている。

「なぁ」

 そこで、急に声をかけられた。

 声がした方へ顔を向けるとそこには冒険者の男が立っていた。

「クリークさん……」

 エルナさんが複雑な表情でその名を言った。

 その顔と名前には見覚えがあった。初めて冒険者ギルドに足を踏み入れた際、アルを吸血鬼だと知った瞬間斬りつけてきた男だ。

「ああ、急に済まない。けれど、一応言っておこうと思ってな」

 アルは無言でクリークを見つめる。あの一件以来言葉を交わしたのは初めてだ。お互いに関わらない方が良いと思ったから。

 クリークはアルの視線を受け止めて続けた。

「あの天賦の天使のことはわからないが、昨晩街を歩いていたら見知らぬ男達を見つけてな。なんだか重そうな荷物を肩に担いで北門から出て行ったんだ。キョロキョロと辺りを警戒していて怪しかったから覚えていたんだが……拉致と聞いて、もしかしてと思ってな。それだけだ」

 言うだけ言ってクリークは去ってしまった。やっぱり根はいい人なんだろう。

「えーっと……アルさん、そのぅ……」

「エルナさん、やっぱり北が怪しいと思いますか? 」

「えっと、はい。クリークさんはああ見えて一流の冒険者ですし、その男達が怪しい動きをしていたと言うのは間違いないのだと思います。それに、この冒険者の街に来て冒険者ギルドに寄らず、大きな荷物を抱えてその日の夜に出ていくなんて、明らかに怪しいです」

 エルナさんは一瞬目を丸くしたが、頷いて怪しい理由まで答えてくれた。この街に詳しいエルナさんがそこまで言うのなら、間違いは無いだろう。

「そうですか。なら私、北へ行ってみます」

「えっ!? で、でも本当にいるかどうかはわかんないんですよ!? もうちょっと情報を集めた方が……」

 アルが急に走り出さないようにか、エルナさんが手をギュッと掴んで言ってくる。確かにエルナさんの言う通りかもしれない。

「はい。でも、ここで足踏みしてても何も変わりませんし、私の直感が北へ行けって言ってるんです。それに、私本気出したら結構足早いんですよ? すぐ見つけて帰ってきます。だから――」

 アルはエルナさんの方に向き直って。

「――ここでまた、私達にお帰りって笑顔で迎えてくれたら、嬉しいです」

 明らか無理に作った笑顔で、そう言った。

 飛行魔法を使って、全速力で北へ。

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