第8話

「これ似合ってるかな」


 夏恋が鏡の前でフレアと名のつく白いスカートを腰に合わせる。橋で出会った日に穿いていたあのカーテンスカートに似ている。


「似合ってると思うよ」


「さっきから感想が似合ってるばっかりで、真剣に考えてるのか疑いたくなっちゃうんだけど」


「仕方ないでしょ。こっちは聞き慣れないカタカナと戦ってるんだから」


 姉や妹がいると、女性の服装に自然と詳しくなるというのは決定的な思い違いだ。

 先ほどからずっと、なに語かも分からない世界に翻弄され続けている。


「服の名前とかジャンルなんて分からなくてもいいんだよ。ただ、服に対しての率直な感想を教えてほしい。別に難しいこと求めてるわけじゃない」


「この場所にいること自体が僕にとって困難を極める事態なんだよ。こんなおしゃれな店で服買ったことないんだ。異世界に転生したような気分だよ」


 僕らが今いるのは、意味があるのかないのかよく分からない店名のブティックだ。

 明るい色の木目で彩られた店内は、洋楽ヒットチューンが流れていて、多くの若者で賑わっている。正直、とても居心地が悪い。

 未知の世界で場所であること以上に、夏恋がずっと周囲の視線を集めていて、店員さんに絡まれまくるのが大きな理由だ。

 僕の存在はそこら辺のマネキンよりも影が薄い。冗談抜きでマネキンのほうが関心度高いと思う。


「女子高生には至って普通の世界だよ。感じたことをそのまま口にしてくれればいい。私は冬真くんの個人的な好き嫌いを知りたいだけだから」


「僕の趣味趣向を知ったところで、なんの役にも立たない。ゴミ箱行きの知識になるだけだ」


「どうしてそんな風に言うのかな。冬真くんって自分のこと嫌うの本当に好きだよね」


 夏恋は手際よくスカートをラックに戻した。


「自分を嫌ってるんじゃなくて、客観的事実をありのまま言ってるだけだよ」


「それさ、勝手な解釈って言うんじゃないのかな。事実かどうかちゃんと確認した? 」


「確認しなくとも、学校での僕の姿を見れば一目瞭然だ。楓以外は話しかけてこないし、そもそも興味すら持ってない。夏恋は経験したことない世界だろうけど」


 夏恋は手を一瞬止めて、悲しそうに僕を見た。夏恋の表情を見て、自分のしょうもない言動を自覚する。楓が僕を急患として扱っていたのは、あながち間違いじゃなかった。


 気まずい沈黙の後、夏恋は違う服を手に取って僕に満面の笑みを向けた。


「この服どうかな? 」


「似合ってると思うよ。素敵」


 素敵を添えて明るい口調で言うだけという、我ながらレベルの低い解決策に夏恋はうなだれた。


「抽象的だなぁ。さっきのほうがいいかもねとか、色はこれがとか教えてよ。もし、冬真くんに恋人ができて、ずっとこのやり取りしてたら速攻でフラれるよ」


 似合ってるかなって質問が一番抽象的なのは間違いないのだが、反論を脳の奥底に沈めた。口をついたらおそらく最後だ。


「冗談じゃなく、全部似合うから困ってるんだよ」


 夏恋はなにを身に合わせても本当に似合う。服に着られている感じが一切なく、自ずから完璧に服を着ている。

 夏恋は僕の言葉を一蹴するように口を尖らせた。


「ずっと同じことの繰り返しになるからさ、冬真くんが私に似合いそうな服選んでよ。店員さんに聞かずにね。高いのはいらないから、とにかく私に似合いそうなのを自分で選んでね」


 目を丸くする。傍から僕のことを見た人は、頭上のクエスチョンマークを確認できただろう。


「無理だよ。異性の服買ったことないどころか、サイズすら知らないんだからさ。どう考えたって無茶だ」


「大丈夫、大丈夫。小さくて着られないってことさえなければどうにかなるし、どうしてもサイズ合わなかったら、私が店員さんに説明して交換してもらうよ」


 たった今、夏恋の船に乗った気がした。頭ごなしに否定しないといけなかった。


「絶対変な目で見られるよね。ものすごい恥ずかしいんだけど」


「プレゼントなんですとか、頼まれたんですなんて適当に言い訳すればいいじゃん。それに、メンズの服から選んでもいいよ。私、全然気にしないから」


 船長は船員の気持ちなど全く考えていないようだった。大変な後悔になりそうだ。


「服って失敗したとき、取り返しつかなくないかな。せめて他のものにしようよ。互いに傷つけ合う結果は避けたほういいって。ギクシャクしたくない」


「大丈夫だって、私文句言わないって約束できるし、冬真くんが本気で選んでくれたならなんでも嬉しいよ」


 夏恋は本気での部分を強調した。まさに本気だ。


「超えなきゃいけないハードルが高すぎるんだけど。率直に言わせてもらうと嫌だよ」


「色々妄想膨らませて、自分で勝手にハードル高くしてるだけだよ。難しいこと考えなくていいからさ」


「無理だって、お願いだから服はやめよう。お昼ご飯の代金出すからさ」


「だめ。なんでも似合うって言ってたから選びやすいじゃん。楽勝だよね」


 縋った言葉が塵になって宙に舞う。そして、さっきまで自分が発していた言葉が姿を変えて帰ってきた。こんなに鋭利だったっけ。


「自分で自分に似合うと感じる服を買うほうが、絶対心地いいと思うんだけど。今回の遊び自体もだけど、どうしてそんな僕にこだわるのさ」


「ちゃんと服選んできたら教えてあげる」


 見事にカウンターを食らって、何度目かの完敗を喫した。負け惜しみだけが浮かんでくる。

 

「大好きな嘘だ。どうせ教えてくれないんでしょ。分かってるよ」


「拗ねないでよ。私も冬真くんに似合いそうな服選んでくるからさ」


「いや、いいって。さっきから言ってるけど、服はリスク高いって。やめようよ」


「うるさいな、大丈夫って言ってるでしょ。私、もう冬真くんに似合いそうな服浮かんじゃってるからね」


 夏恋に力でねじ伏せられた。一生勝てる気がしない。


「そう言ったって……」


「ルールは自分の感性で選ぶこと、一時間以内にこのビルの中で選んで、駅に繋がる二階の出入り口前に戻ること。はい、よーいどん」


 早口でまくし立てて、音が出ないよう控えめに手を打った夏恋は、手にしていた服を元の場所に戻して足早に店を出ていった。


 今日は朝から夏恋に振り回され続けている。まだ昼にもなっていないことを考えると、午後の展開がおぞましくて仕方ない。

 夏恋のせいで、自分のことは自分で決められる孤独の特権が崩壊している。僕は、自分の行動を他人の意思で決めることに慣れていない。帰ったらすぐ部屋に籠らないと、おかしくなりそうだ。



 重い足取りで店を出て、ただただビルの中を徘徊する。

 このビルは多数のブティックや飲食店、雑貨屋がある。

 色んな洋服を見ようと思えば、階を行ったり来たりしなければならず、心と体が疲弊していく。美味しそうだなあの洋食屋。


 何度目かのエスカレーターに乗って、息を深く吐いた後、思いっきり頭を掻いた。


 どう考えたって身長や胸囲すら分からないのに、服を選ぶという行為は無茶だ。

 無茶通り越して不可能だと叫びたい。


 無意味にブティックに入っては出てを繰り返している。服を選び、買うという場所の概念が失われている。



 腕時計に目をやると、集合の時間まであと十分しかなかった。


 もう諦めたいのだが、どうすれば逃してくれるんだろう。どうすれば責任を放棄させてくれるんだろう。そもそも果たすべき責任なのだろうか。


 冷静に考えれば、夏恋にこれという借りはない。でも、遊びの内容は彼女に一任したのだ。言質は取られている。

 誘われたとき、簡単に任せるなんて口にした過去の自分を心の底から呪う。


 迫りくる現実を背に、理由なく人の波についていくと、ある雑貨屋の前で足が止まった。

 店内に足を踏み入れると、気品と落ち着きのある匂いが漂ってきた。

 鞄や帽子、財布やぬいぐるみなどが置かれている中で、種類豊富な香水やルームミストが壁一面に陳列されていた。どうやらフレグランス系の商品が目玉の雑貨屋らしい。

 

 当たり前だけど、香水はファッションアイテムの一つだが、服ではない。だから、夏恋の注文とは明らかに違う。

 ただ、服はあくまで手段で、夏恋のためになにかを選ぶという行為が求められているのだとしたら、香水ほど適したものはないだろう。香りは人の好みが露骨に出る。

 香水も服同様、プレゼントするにはあまりにリスクが高い。失敗の確率大だ。

 だけど、服よりは幾分マシに思える。気に入った香りの商品をそのままあげればいい。選ぶという点においては負担が軽い。

 

 シャツの袖を雑に捲くって、腕時計を外した。そして、総数を数えたくないほど種類豊富なテスターに手を伸ばしていく。

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