第7話


 四月下旬、新年度の喧騒はやっと落ち着き、桜は緑を纏っていた。


 視界の中央にそびえるのは、地方中枢の役割を果たす都会の駅だ。駅周辺には商業ビルやアパレルショップが立ち並び、華やかな雰囲気が漂っている。


 この駅は、東京と直通の新幹線があり、週末には多くの観光客がやって来る。今日は土曜日なので、例に漏れず人の往来が多い。

 待ち合わせ場所として伝えられた、駅前の噴水広場にも明るい弾みを感じる。


 お日柄もよく、幸福や希望を肺に詰め込んでくる陽気な空気の中、僕は不安でいっぱいだった。


 まず、夏恋に罠をかけられていて、なにか怖い目に合うんじゃないかという勝手な妄想が、一週間ぐらい前から全然止まない。

 計画について一任してしまい、集合場所と時間しか教えてもらえなかったのが不安を大きくしていた。分からないことって怖い。あれこれ考えてしまう余地を作っちゃいけなかった。

 反省してるから、誰か夏恋に誘われるちょっと前に戻してくれないか。


 そして、自分が夏恋に釣り合う人間なのかが物凄い不安だ。恋人がいた経験ないし、誰かに告白された経験もない。最近はクラスメイトに話しかけられもしない。容姿においても、性格においても僕は魅力的な人間だと思われていない。

 だから、夏恋と横並びで歩くと、道行く人に後ろ指を指されそうな気がする。


 なにより、遊んでる中で夏恋との時間を明確に楽しいと感じてしまったら、僕はどうすればいいんだろうか。

 新しい幸せは新しい苦しみがもたらされるんだから、あまり楽しすぎると、とんでもなく悪いことが起こりそうで怖い。ひっくり返って、頭から真っ逆さまに落ちていきそうだ。

 ひっくり返った瞬間の、圧倒的な絶望と無力感はどうしても味わいたくない。

 

 やっぱり、断ればよかったかもしれないな。誰か誘われるちょっと前に戻してくれ。頼む。


 つまるところ、夏恋と一緒に遊ぶという状況が、まだ現実として落ち着かずに妄想世界で暴れていた。脳内の天気は荒れ模様だ。


 腕時計に目をやると、そろそろ集合時間だった。来てくれるといいなと思いつつ、来ないなら来ないで安心するから、どちらの展開も同じぐらい期待してしまう。


「おはよう冬真くん、待たせてたらごめんね」


 突然、視界の全てが美しく彩られて息が止まった。

 荒れていた脳内世界が壊れて、晴れやかな現実に引き戻される。


 夏恋は、肌色とグレーを混ぜたような落ち着きあるベージュ色した長袖シャツに、青を基調として、薄い茶色と白をアクセントにしたチェック柄のロングスカートを合わせていた。斜めがけの黒くて小さいカバンとの調和が完璧で、言うことなしだ。

 華奢なスタイルに清楚な格好がよく似合う。おしゃれって言葉は夏恋みたいな人に使うんだなと思った。

 にこやかに笑った顔が、学校で見るよりも数段輝いている。

 ピンク色の唇と、煌めきを増した目はメイクの影響だろうか。とても可憐で、魅力的に可愛く映る。


 もちろん、学校で見る夏恋は十二分に可愛く見えるのだが、今日の夏恋は伝わってくる情報量が違う。今日は工夫や意図、時間と気持ちが込められている。

 もしかしたら、今日みたいに伝わる情報が多いとき、人は最上の可愛さを感じるのかもしれない。


「絶賛今来たところだよ」


 きらびやかな瞳に向かって言うと、夏恋は目を大きく開けて、僕の顔を楽しそうに見つめた。


「嘘ついてるでしょ。バレバレだよ。隠さなくていいのに」


「嘘じゃないよ。今来たんだってば」


「冬真くんが左手に持ってるそれ、結構減ってるけど」


 反射的に視線を落とす。脳内世界にいたせいか、いつのまにか天然水のペットボトルが砂漠になっていた。恥ずかしくなって、ショルダーバックの中にペットボトルを突っ込む。


「少し格好つけるような嘘ついたっていいじゃん。必要でしょ」


「あれ、嘘をついて隠すことで守れることってないと思うって言ってたくせして、普通に嘘ついちゃうんだ」


 夏恋の言葉に、橋で初めて出会ったときの会話が思い出される。


 二週間ぐらいしか経っていないのに、なんだか遠い昔のように感じる。

 あの日出会うまで、どこまでも遠い場所にいた夏恋が目の前にいるなんて不思議でたまらない。


「ケースバイケースだよ。いやさ、夏恋は集合時間通りに来たんだから、状況としては僕が勝手に待っていたが正しい。待たせたわけじゃないんだから、そんなに気にする必要ないよ」


「だって、冬真くんが時間より早く集合場所に来てくれそうだなっていうのは事前に予想ついてたのに、色々やってたらこんな時間になっちゃったんだもん」


 そう言って、夏恋は悔しそうに口を結んだ。嘘偽りない素直な表情に、罠をかけられているんじゃないかなんて妄想が壊されていく。ふざけた妄想だった。


「むしろ、丁寧に時間かけてここまで来てくれてどうもありがとう。おかげで、怖い目に合うんじゃないかって不安が完璧に払拭されたよ」


 安堵して気を抜いたら、本心がひょっこり顔を出した。夏恋の表情が一回なくなる。


「え、私が冬真くん使ってなにか悪いことしようと企んでるって考えてたの? 」


 どの返事が最適か分からなくて、ただ「うーん」と、どうしようもない呟きが漏れた。


「酷いよ。そんなことしないって。来たばっかりだけど、帰っちゃおうかな」


 嘘か真か、夏恋は心底悲しそうな表情を浮かべる。負け筋がはっきりと見えた。


「ごめん。言い訳並べるようなことしないから、どうか今日だけでも一緒にいて欲しい。お願いします」


「後半なんて言ってるのか分かんなかったから、もう一度言って」


 胃腸で吸収されそうになっていたエネルギー全てを使って口を開く。脳から必要だったはずの糖分が抜けていく。


「今日だけは一緒にいてほしい」


 夏恋は、抜けた糖分を受け取って甘く柔らかに微笑んだ。


「よろしい。許してあげましょう。ただし、しばらく根に持っておくことにするから覚悟してね」


「結局、一番怖いのは西川夏恋って結末だったな」


「変なこと言うのが悪いんだよ。また怒らせたいわけ? 」


「あはは」とこれまた気の抜けた返事をしたら、夏恋は気を取り直した様子で言った。


「でも、私も結構失礼なこと言っちゃってるから、お互い様だよね。そろそろ行こうよ、今日はとことん付き合ってもらうから」


「はいはい、承知しましたよ、お嬢様」


 冗談めかして言うと、夏恋はなにも言わずにただただ嬉しそうな顔をした。


 こんなに裏を感じない素直な表情することあるんだ。抱いていた印象とかなり違う。


 今日の感じだと、手首に傷があったことも、苦しくて悲しくて寂しそうでたまらない表情をしていたことも、すっかり忘れてしまいそうだ。


 本当の西川夏恋って一体どこにいるんだろうか。


「なにぼーっとしてるの。早く行かないと時間だけ過ぎちゃうよ」


 元気な声に引きずられて、先を行く夏恋を追う。

 今日は難しいこと考えるべきじゃないのかもな。ほら、糖分足りないし。


 僕らを包む陽気な空気が、肺循環のルートで全身をめぐった。

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