第6話

「お前今日さ、西川のことばっか見てどうしたんだよ。冬真がクラスメイトに興味を持つなんて重大事件だぞ。少なくとも天野楓ニュースでは字幕スーパー付きの速報流れてる」


 楓が机を運びながら話しかけてきた。僕も同じく机を運んでいる。掃除当番を五十音順で決めるのどうにかならないだろうか。毎年四月のあまり汚れてない教室を掃除するのは全然楽しくない。あるのは義務感と徒労感だけ。

 だって、汚れてないんだから。もう一回繰り返すけど、汚れてないんだから。


「高校生がクラスメイトに興味を持つのが速報だなんて、天野楓ニュースってとんでもなく下世話な番組なんだね」


「やっと、冷淡な現実主義者も恋愛にうつつを抜かす高校生活を送る気になったか」


 楓は番組に届いた中傷を無視して、能天気に煽って焚き付ける。


「僕を恋に熱中して視野がシマウマぐらいになってしまう人達と同じにしないでくれ」


「シマウマは両目の視野狭いけど、片目の視野は人間よりも遥かに広いだろ」


 いつも通りの適当な冗談を口にしても、自分でぎこちなさを感じるのはおそらく気のせいじゃない。気を確かめると、やっぱり中心に昨夜のことが佇んでいたのだった。


「さては西川夏恋となんかあったな。帰り道が同じだったとか、ひと目見たぐらいじゃ冬真の心は動かないはずだからな」


「別になにもないよ。彼女の周りが騒がしくてあまりに睡眠を妨害されるから、どうにかしたいだけ。ほうき取ってくれないか」


 ロッカーから二人分のほうきを手に取った楓が、満面の笑みで近づいてくる。


「あらあら冬真クン、強がっちゃって。本当は西川の虜になってるくせに」


「うるさいな。楓の噂話が本当なのか、ほんの少しだけ気になってるだけだよ。真偽あやふやだったからさ」


 嘘を変な方角に飛ばす。嘘ってちゃんと意図しないと成立しないらしい。自分でなに言ってるのか分からなくなってきた。


「なるほどね。もうすでに、西川の手のひらで全力ダンスをかましちゃってるわけだ。意気揚々と踊ってるねぇ」


 無いホコリを掃く手に力がこもる。焚きつけられた心に火がつき始めた。


「虜にも踊り子にもならない。僕は、夏恋みたいに学校生活を存分に謳歌できるような種類の人間が嫌いなんだ。折角の青春時代なんだから一緒に楽しもうよ、あれ、なんで楽しまないのって青春ハラスメントしてくるから」


「おい、冬真がクラスメイトを名前で呼ぶとかありえた話じゃないぞ。やっぱりなんかあっただろ」


 驚愕顔の楓に、とんでもないぐらい鋭く芯を刺されて閉口する。火が音もなく暴発して消え、滑った口が乾き閉じる。やってしまった。

 諦めという名の決意を固めて、大きなため息をついた。


「付き合いが長くなってくるって嫌なものだね。楓の言う通りだよ。名前で呼ぶぐらいには色々あった」


 楓がおちょくるような態度を引っ込めた。掃く手を止め、ほうきの柄の頂点で手を重ね合わせて眉間にしわを寄せる。


「冬真、関節は痛くないか、鼻とか喉に違和感はないか。絶対お前風邪引いてるぞ」


「認めたら認めたで意外だと思われるの心外なんだけど。楓のせいで頭が痛いな。これは熱あるかもな。あとの掃除頼んでもいい? 」


 楓は上から目線で拍手して、僕の頭痛を悪化させた。


「新学期初日にして多くのライバルから抜け駆けを決めたわけだ。流石だぜ」


 楓がヒューと吹いた口笛に、舌打ちしながら反論する。もう、あとの祭りだけど。


「競争しているつもりはないし、悪いけど西川夏恋を恋人にしようなんて一切思ってないんだ。楽しい高校生活を送るために努力をする気もない」


「などと言っておりますが、この期に及んでまだ否定しようとするなんて、被告はどれだけ往生際悪いんでしょうか。信じられません。どう思います、天野楓さん。そうですねぇ、率直に申し上げますと酷いと思いますね。被告には正直に罪を償ってほしいですね」


「キャスターの主観強いし、被告だったらまだ推定無罪だから罪を償ってほしいってコメント間違いだからな。楓、明日は自販機二本ね。じゃないと課題見せてやらないから」


「おいおい、金銭的要求とは大きく出るじゃないか。代わりに昨日あったこと話してくれるんだろうな」


 嘘をつき通せそうにないので、仕方なく頷いてちりとりを持ってきた。


「口外しないって約束してくれよ。情報漏れたらどうなるのか検討つかないし、夏恋は昨日あったこと秘密にしたいんじゃないかな」


「天野楓はとにかく口だけ堅いで有名だから信じてくれよな」


 聞いたことない噂を無視して、わずかなほこりを集めながら口を開く。

 会話を全て覚えていたわけではないので、覚えているものを中心に伝えた。不眠症になった詳しい理由は昨夜と同じようにぼかした。

 夏恋に配慮をするなら、昨夜のことは誰にも話さず自分の中だけで留めておくのが正解なんだろうけど、背負うには重かった。

 誰にも話すなって明確に言われたわけじゃないし。

 

 一通り黙って聞いていた楓は、ぼやくように言った。


「嘘や秘密は、だれかを傷つけないために意図されたものってのは意味ありげだな」


「そうなんだよ。自分の嘘に気づいてほしいけど、気づいてほしくないみたいな矛盾を感じた。勝手な解釈かもしれないけどさ」


「話聞いてると、ただでさえ情報錯綜してミステリアスな西川が、余計不思議な存在になってくるな。だから今日、冬真はずっと気に留めてたのか」


 頷いてちりとり片手にゴミ箱へ向かう。わずかなほこりが、綺麗なゴミ袋に舞う。


「いかんせんスッキリしないじゃん。手首の傷とか、寂しそうな表情を思い返すと心配だしさ。今日学校来たし、元気そうだったから安心したけど、なにか複雑な事情があるんだろうなと思ってる」


 楓は数回浅く頷いて、机を元の配置に戻し始めた。


「中身開くと中々深刻な話だったな。煽りまくって悪かった」


「急に謝るなよ。調子崩れるから」


 楓が運んだ机を整列する。やっぱり、この掃除って意味あるのだろうか。


「にしても、あまりの美しさと可愛さから、学校中でちょっとした噂になる西川夏恋が、ボロボロの状態で自殺図ってたなんて全然想像つかねぇな」


「同感だね。今日の夏恋の様子を見て、昨日あったこと全部夢なんじゃないかって疑うぐらいには明るい様子だった。別人みたいだったな」


 楓が適当に相槌を返しながら言う。


「フラれたって言葉はどんな意味なんだろうな。普通に考えれば、好きな人に対する告白が成功しなかったとか、付き合っていた人にそっぽを向かれたとか、失恋って意味でいいんだろうけど」


「フラれたって一口に言っても、生きてるの嫌になるほどのものだからね。相当強烈なことがあったのかもしれない。人を好きになったことないから、あんまりよく分かんないけど」


「いやさ、お前は人間に恋して初めて好きという感情を知るファンタジー映画の怪物かよ」


 楓の呆れた視線を気にせず喋る。


「だって、人を好きになるって好きな相手に諸々の期待をするってことだろ。どうせ裏切られるんだから、最初から期待しなければいいに決まってる」


「出た、出た、冷淡な現実主義者。期待しないでどうやって関係構築していくんだよ。まずは妄想と期待からでしょうよ」


「だから、関係はいつか壊れるんだからはじめから作らなければいいんだ。妄想とか期待もしなければいいんだよ」


 楓は顔の前で手を拒絶するように振る。


「とんちみたいで頭おかしくなりそうだから、そこらへんで終わりにしてくれ。まぁ、現状なに考えても推測の域出ないだろうな。続報教えてくれよ。週刊天野楓に載せるから」


「続報なんてないでしょ。夏恋みたいな人が僕と関わるなんて想像できないだろ。夏恋は日向にいるような人で、僕は暗くて薄い影だ。混じり合うことなんかない」


 口をついた嘘は、強がりになって心を固くした。凝固した違和感が残る。


「じゃあ、なんのために向こうから連絡先聞いてきたと思ってんだよ。西川が冬真のこと気にしてないんだったら、自分から連絡先交換しようなんて言わないだろ」


「ただの社交辞令だったんじゃないかな。連絡先交換したくせに全く連絡してこなくて、そのまま関係なくなる人いるじゃん。今回はその一つの例だ。嘘好きだって言ってたし。きっと弄んでるんだよ」


 昨夜、夏恋に抱いた感想とは全く逆方向の言葉が並んで、自分で自分に心外だと言いたくなった。

 楓のわざとらしいため息が聞こえたところで、教室の入口から記憶に新しい声が聞こえた。


「ねぇ、冬真くん、今ちょっと時間あるかな」


 スクールバッグを肩にかけた夏恋が視線の先にいて、楓と僕は数秒間目を合わせた。意外な展開に、楓が神妙な面持ちのまま顎で行けと合図した。



 放課後の音が響き渡る廊下で夏恋と向かい合う。


「どうかした? 」


「あのさ、冬真くんって来週の土曜日って空いてたりする? 」


 戸惑いから「あー」と間抜けな声を出しつつ、脳内のカレンダーをめくる。自由帳みたいに白紙だった。


「空いてるけど、なんか用でも? 」


「一緒に遊んでくれないかなと思って」


 最近読んだミステリ小説以上に衝撃的な展開で、心臓が飛び出しそうになる。


 また今度があったらいいなと思ったけど、それはオンライン上で二週間に一回会話するとか、学校の席が二個ぐらい隣とか、極めてささやかな願望だった。直接的な関わりを期待していたわけではない。

「え、二人で? 」


「うん。二人だけで」


「え、なんで? 」


 驚きのまま疑問を投げる。戸惑いが極まって、自分で自分が不思議そうな顔をしているのが分かった。

 そんな様子を見た夏恋は、呆れ半分で笑いかけた。


「なんでってなんでよ。そんなに驚かなくてもいいじゃん。これでも一応勇気振り絞って誘ってるのに心外なんだけど。話聞いてくれるって言ってたじゃん。なんか迷惑だった」


「全然迷惑じゃないよ。ただ、ちょっと急な展開に驚いてただけ」


 たじろぎながら答えると、夏恋は明るく笑った。


「決まりだね。場所とか集合時間は今週中に連絡取りあって決めようよ」


「そうだ、連絡先交換したのに、なんで今わざわざ直接誘いに来たの? 」


「だって、直接じゃないと断られそうな気がしたから。冬真くん、私の誘いを軽く無視してなかったことにしちゃうかもと思って」


 図星も図星でご名答すぎて言葉が出ないでいると、背後の壁から吹き出して笑ったような声が漏れ聞こえた。夏恋に見えないように壁を軽く蹴る。


「まぁ、その可能性なくはなかったかな」


「やっぱり。どうにか勇気振り絞って直接誘うことにしてよかった」


 こんな風に誰かを誘うのはいつものことだろうな。わざとらしい。

 偏屈な言葉が出そうになって、物理的に唇を噛んでぎりぎりで食い止めた。危なかった。


「じゃあ、具体的なところは全部夏恋が決めていい。僕の意見聞かなくても問題ないから」


「ありがとう。思う存分好きに決めさせてもらうね。来週の土曜楽しみだな」


 失礼なことを言いそうになったゆえの罪悪感から生まれた謎の配慮に対して、夏恋は目を細めて微笑んだ。そして、肩のスクールバッグをかけ直す。


「僕も楽しみにしてる。じゃ、またね、夏恋」


 手を振り合って、夏恋が一歩踏み出したところで足を止めた。不思議に思っていると、真剣な眼差しが向けられた。


「私、冬真くんのこと弄んで楽しんでるわけじゃないから」


「えっと、ごめん。全く本意じゃないんだ。僕の悪いとこ出たっていうか、その嘘だよ。嘘、嘘。楓に煽られないため嘘だったんだ。ちゃんと意図のある嘘だよ」


 しどろもどろになりながら必死の弁明を続けていると、夏恋が文脈の分からない笑みを浮かべた。そして、僕の目を真っ直ぐ見る。


「嘘つき」


 つぶやきのような、囁きのような、夏恋の言葉が心に刺ささる。急にカメラをズームしたような接近感のある響きがある。なんだこの感覚。経験したことない。


「いつから聞いてたの? 」


「いつからだろうね。じゃあね、冬真くん」


 切迫した心模様をどうにか誤魔化して尋ねると、当然のようにかわされた。

 夏恋の姿が廊下の奥に消えていく。

 彼女の存在と同時に、さっきの刺された感覚も消えていく。保持していたくて、心で掴んだ感覚なのに、何度か物理的に手を開いたり閉じたりした。



 教室に戻ると、帰り支度を済ませて、窓枠に座った楓が満面の笑みを向けてきた。


「速報です。たった今、冷淡な現実主義者でお馴染み伊東冬真が、なんとあの西川夏恋さんとのデートの約束を取りつけました。歴史的快挙です」


「まだ終わってなかったのかその番組。向こうから誘ってきたんだから、僕がデートの約束を取りつけたっていうのは誤報だ。それに、そもそもただ遊ぶだけなんだからデートじゃない。夏恋もデートだって言ってなかっただろ」


 楓は番組に届いたの熱いおたよりを無視する。意にも返さない様子だ。早く終われよ天野楓ニュース。


「西川のこと好きな人々は二人で遊ぼうって言われて、なんでって疑問ぶつけちゃうような不躾なやつに取られて、さぞ悲しいだろうなぁ」


「うるさいな。当然、楓だって僕と同じような疑問持ったはずだろ」


 抗議の声をあげると、楓は一本立てた人差し指を左右に振った。


「冬真クン、いくら自分で不思議だったとしても口に出しちゃうのはよくないよ。愛しの夏恋チャン呆れてたじゃないか」


「なんなんだよその格好つけたキャラ。掃除終わったし、さっさと帰るよ」



 忘れ物がないか確認して、リュックサックを背負おうとしたとき、ふと、不安がものすごい速度で頭をよぎった。


「ちょっと待て楓、一旦冷静になってくれ。自分で言うの悲しいけど、なんか変じゃないか。特殊な出来事があったとはいえ、昨日会ったばっかりの人といきなり遊びの約束するか? 」


 楓はおどけた顔を取っ払って、顎に手を当てた。


「確かに。よく考えると段階飛ばしすぎだ。西川は一体なにが目的なんだろうな」


「断ったほうがよかったかな。不安が期待を負かし始めてるんだけど」


 楓は真剣な表情に、真剣な口調を重ねる。


「いや、断る必要はないんじゃねぇかな。ただ、怖そうな人が出てきたらすぐ逃げろ。壺とか買わされそうになってもきっぱり断れ。あと、まずいことになったら恥捨てて騒げ。誰かは助けてくれるだろうよ」


「分かった。色んな可能性を考慮に入れておく」


「順調すぎて怖さあるけど、昨夜の詳しいことだけじゃなくて、西川の人となりを確認するチャンスではあるな」


 楓の言葉にゆっくり頷いて、遊ぶことを口外しないと約束させた。口外されたら本当に命が危ない。



 楓は別れ際、伊東冬真が俺以外のクラスメイトと遊びに出かけるなんて、雪が振った挙げ句に気温が四十度になる、とニュース番組の気象予報風に予告して去っていった。

 明日、課題を盾にして壮絶な復讐をしようと、爽やかな風吹く夕日前の太陽に誓った。

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