第3話 地雷火大爆発
さて、太閤秀吉が世を去って、早くも十余年。幼かった秀頼(ひでより)も成人して十五歳になりました。大阪方の人々は、今に徳川家康が約束通りに点火を秀頼公に譲るだろうと、皆、心待ちに待っておりましたが、何しろ深く腹にたくらんだ家康。そんな約束は知らぬ顔で、ちっとも天下を返しそうな様子がありません。
そればかりか、淀君(よどぎみ)が派手好きで見栄坊(みえぼう)なのをうまくおだてあげて、せっかく太閤が軍用金にと城中の金蔵へ蓄え残しておいた莫大の黄金を、やれ大仏建立だの何のかのと言っては、惜しげもなく使い捨てさせ、残り少なくなった頃を見計らって、今度は様々の無理難題を吹っかけ、大阪方を怒らせて、戦を仕掛けさせ、秀頼を滅ぼして、徳川の天下の礎(いしずえ)を固めようと、実に抜け目のない計略を立てて、ジリジリと大阪方を痛めつけ始めました。
注 坂口より
「淀君とは、秀頼公の母君です。秀吉亡き後、幼い秀頼に代わって政権を握っておりました。その性格は実に激しくフリーダムなお人として描かれております」
起こったのは秀頼公、淀君をはじめ大阪方の人々です。
「さては、家康のためにウマウマと図られたか。この上は、天下の要害たる大阪城に立て籠もり、関東と一戦を交えて、天下を取り戻さねば、亡き父上太閤殿下にあいすまぬ」
と、秀頼公もついに決心いたされ、いよいよ合戦の支度にとりかかります。そこで、八方へ触れを出して、諸国の浪人たちを招きました。むろん、第一番に招いたのは、紀州九度山の真田幸村でございます。
幸村は大阪城からの使者を受けると、
「よしッ、今こそ太閤殿下の旧恩に報い、秀頼公をお助け申して、関東の古だぬきに一泡吹かせる時節到来。さっそく入城仕りましょう」
と、まことに潔い返事。死者は大喜びで、
「して、軍師にはいつ、ご入城下さいまするや?」
「左様、来る十八日が吉日である。その日に入城いたそう」
と、固く約束しましたので、喜んだ使者はさっそく、大阪城へ立ち帰り、秀頼公はじめ一同に報告しましたから、城内はただもう大喜び。いよいよ士気が奮い立ちました。
こちらは幸村、さっそく、例の十勇士を集めて、それぞれ命令を与え、諸国に散らばっている昔の家来共を呼び集めさせます。
何しろ、真田紐の行商で諸国を歩き回らせていたのは表向き、実はこうして諸国の様子を探ると共に、散り散りになっている家来共とも、いつも打ち合わせをさせてあったのですから、すわ旗揚げとなると、たちまちのうちに勇み立って集まって参ります。
その家来どもを、人知れず河内、和泉(大阪府)あたりに待たせておいて、いよいよ慶長十九年九月十七日に、幸村はただ一人、鼠木綿(ねずもめん)のドンツク布子(ぬのこ)を来て、不器用な手作りの木刀を腰に差し、供も連れずノソリノソリと山を下って参りました。
途中、浅野家の関所へ差し掛かると、普段から間の抜けた幸村の様子に油断しきって甘く見ていた番士共、
「これはこれは真田殿、お出かけでござるか。今日はどちらですな。ピクニックですか、それともシネマでござるか」
と、からかっている。幸村はそ知らぬ顔で
「ハイ、高野山へお参りして来ようと思ってな」
「それは御信心な事でござるな。気を付けて行かっしゃい。お土産は羊羹(ようかん)がようござるぞ」
「ハイハイ、では一寸(ちょっと)行ってまいります」
ペコペコお辞儀をして山を下ります。その間の抜けた後姿を見送って、番士共
「どうだい、あのボケた格好は。あれで元は信州上田五万石の城主阿波守のせがれだというのだから、人間も落ちぶれると性根までがタガがゆるんでしまうものと見える。哀れなものだな」
「ハッハッ、あんな者をわざわざ関所を作って見張るなど、馬鹿げた話でござるのう」
と、指をさして笑いましたが、この連中、後になってどんなに肝っ魂をデングリ返したことでございましょう」
さて幸村は、山の麓の橋本の宿まで参りますと、日頃懇意な仁部川(にべがわ)角兵衛と申す大庄屋の家へブラリと訪れました。
「おお、これは真田様、よくお出かけで」
「この間打ち分けになっている碁の勝負を、今日は是非ともつけようと思って参った。さあ、勝負だ勝負だ」
「ヘッヘッ、返り討ちに遭いに、わざわざ山から下りてこられたか。どれ、ではさっそく一局を」
と、仲の良い碁敵(ごがたき)同志、パチリパチリと打ち始めました。双方しばらく夢中で石を戦わしていますと、宿内(しゅくうち)がにわかにワーッという騒ぎ。往来を駆け歩く大勢の足音が入り乱れて聞こえてきましたから、驚いた角兵衛、
「ほほう、何事が始まったのかな?誰か、表へ行って様子を見てきてくれ」
「ヘイヘイ」
と、召使の者が、門口へ飛び出してゆきましたが、やがて顔色を変えて戻って参りました。ブルブル震えていて、ろくに口もきけません。
「だ、だんな、さま。た、た、た、た……」
どもっていて、何のことだか、ちっとも分りません。
「落ち着け、何という無様だ」
叱りつけられてようやく落ち着いた召使の者、
「ただ今、大和(奈良県)五條の城主松倉豊後守(まつくらぶんごのかみ)様が、同勢三千人を引き連れて真田様を討ち取りに押し寄せてまいりました。真田様がここにおいでなさることが知れましたら、大変なことになります」
聞いて角兵衛、先の落ち着きはどこへやら、デングリ返りを打って驚いた。角兵衛だからデングリ返るのは上手かもしれませんが、オロオロ声で
「真田様、お聞きの通りでございます。見つかったらお命が危ない。早く、どこかへお逃げなされ。早く早く」
「何を慌てるのだ。この幸村はたかが素浪人。それを討つために、二千の三千のという軍勢を繰り出すはずはあるまい。ハッハッ、大方何かの間違いであろう。それよりも角兵衛、この一目を乞うとったら、サアおぬしの大石(たいせき)はみんな死ぬるぞ。早くなんとかなさらぬか」
平気な顔で申しますが、角兵衛はガチガチと歯の根も合いません。
「そ、そんな呑気なことを……この碁はもう負けました。わしの負けじゃによって、貴方様は早く、どこかへ逃げて下され」
「ハッハッ、負けたと申すか。ではこれで打ち切りといたそう。だが角兵衛、長らく其方と懇意にいたしたが、実は拙者はこのたび大阪よりのお招きにより、軍師として大阪城へ参る途中。其方にも暇(いとま)乞いに参ったのじゃ」
と、初めて真実を打ち明けられて、角兵衛いよいよ驚き、
「ヘヘエッ、それでは貴方様が大阪城の軍師に……。それにしても鼠木綿のドンツク布子の着流しとは、イヤハヤだらしのない軍師でございますな」
「馬鹿を言え。今日まで阿呆に見せかけたのは、みんな徳川方をあざむく謀(はかりごと)だ。拙者は軍師として、恥ずかしくない支度を整経て堂々と入城いたす。その仕度場所に、角兵衛、実は其方の屋敷を選んでおいたのだ。そのために昨夜から、家来が四五人よこしてある。いや、いろいろ家来共が厄介に相成ってかたじけないぞ」
「ヘッ?ご冗談おっしゃってはいけません。貴方様の御家来など、一人もお見えではございません」
「いやいや、裏の土蔵の中にいるはずじゃ。どれ、呼び出して仕度をいたそうか」
悠然と立ち上がりました幸村は、目ばかりパリクリやっている角兵衛を尻目に、土蔵の前に近づいて、
「佐助、出てまいれ」
「ハッ、かしこまってございまする」
という声と同時に、土蔵の扉が内から開いて、姿を現したのは忍術の名人猿飛佐助をはじめ、籠手(こて)脛(すね)当ての姿も凛々しい四五人の家来共。鎧櫃(よろいびつ)や槍太刀などをそれぞれ抱えて出てまいりましたから、角兵衛とうとう腰を抜かしてしまいました。
「ウヘーッ、どうも物騒な御家来衆じゃ。土蔵の錠前をどうしてお開けなすった?あなた様の御家来だからいいようなものの、もし泥棒だったら、わしはたちまち素寒貧(すかんぴん)になってしまいます」
「ハハハハ……、心配するな。幸村の家来に泥棒は一人もおらんぞ」
幸村は笑いながら、やがて鎧を着込み、太刀を佩(は)き、采配を持ち、槍をついて、鎧櫃(よろいびつ)の上にドッカリと腰を下ろしました。その有様は、今までの薄間抜けとは大違い。いやもう、威風辺りを払った立派な名将ぶりでございます。角兵衛も今は、碁敵なんどと言って心やすく付き合っていた人とも思えず、自然に威光に打たれて頭が下がります。
「角兵衛、長らく其の方にも世話になった。何か形見に取らせたいが……ああそうだ。山から杖代わりに持って参った手作りのビワの木刀を遣わそう。堅固で暮らせよ」
「ヘイ、有難う存じます。末代までの宝にいたします……。では見事な御勝利をお祈り申しておりまする」
と、木刀を押しいただいております。幸村は猿飛達を従えて、角兵衛の家を立ち出でると、門前にはいつの間にか引いてきたのか、小牧鹿毛(こまきかげ)と申す一頭の名馬。幸村それにヒラリと打ちまたがり、見送る角兵衛に別れを告げて、橋本の宿を圧に、紀伊見峠(きのみとうげ)をさして乗り込んでまいりました。
そこにはすでに、真田大助幸昌(ゆきまさ)をはじめ、十勇士の面々、同勢千二百三百騎を従えて、六連銭(ろくれんせん)の旗を山風に翻(ひるがえ)しながら、幸村を迎えます。
注 坂口より
「六連銭は、真田軍の旗印であります。当時は三途の川を渡る際、三途の川の渡し守に六銭を支払わねばならないという言い伝えがあり、真田軍はこの六銭を旗印にすることで、決死の覚悟を示していました」
「いずれも、よく馳せ集まったぞ。この度は右大臣家(豊臣家)のお招きにより、大阪城へ入城いたして関東勢を打ち破り、天下を再び豊臣家のものとなし奉(たてまつ)る首途じゃ。一同もそのつもりで、十分の働きをなしくれるよう」
と、挨拶がありますと、一同もただ喜び勇んで忠誠を誓いました。まことに感激に充ちた光景でございます。
さて、幸村は駒の頭を立て直し、はるかに九度山の方角を打ち眺めますと、今しも松倉豊後守の同勢三千余騎、紀ノ川を打ち渡り、真一文字に九度山の幸村閑居に押し寄せて、十重二十重に取り囲み、ワーッとばかりに鬨(とき)の声をばあげたる様子。
「ハッハッ、今に彼奴等(きゃつら)、肝を冷やすであろうぞ」
と、なおも眺めております。と、松倉勢の先手のものは、思い切って幸村の住まいへ、表口と裏口とから、同時に乱入いたしましたが、
「オヤッ、これはどうじゃ。空き家ではないか」
「それにしては貸家札が貼ってなかったぞ」
「どうやら夜逃げでもしたらしい。箸一本残さず、綺麗に片づけて行ったわい」
と、みんなで顔見合わせて呆れかえっております。すると一人の軍兵が、床の間の天井から一本の縄がぶら下がっているのを見つけて、
「ハテナ妙なものがあるぞ。何のまじないだろう?試しに引っ張ってみよう」
と、面白半分にその縄を引っ張りました。とたんに、ガラガラガラッ、ドドドンッと、天地も砕けるような大音響。これぞ幸村が、床下、天井裏に仕掛けて置いた自慢の地雷火。一時に大爆発をいたしました。
ギャッ、キャーッとばかり、数多の軍兵どもは、幸村の閑居もろとも木っ端みじんとなって天空に打ち上げられ、五体バラバラにちぎれて血の雨を降らせて死に果てました。その人数というものはおよそ二三百人余り。
「やあ、敵に計略ありと見えるぞ。油断するなッ」
慌てふためく軍兵共を、松倉豊後守は必死になって叱りつけましたが、今頃になって油断するなと言ったって、もう間に合いません。
しかもこの時、この地雷火の爆発を合図に、四方の山々峰々に、にわかに金唐人笠(きんとうじんがさ)の馬印、六連銭の旗がムクムクッと現れたかと思うと、幾千万とも知れぬ人数がワーッとばかりに鬨の声を挙げました。これを見るなり、松倉豊後守、馬から転がり落ちんばかりにビックリ仰天。
「やあやあ、さては真田の十面埋伏(じゅうめんまいふく)の計略に陥ったぞ。八方を取り囲まれぬうちに、早く引き揚げろ」
「待っていました。気持ち悪くてとても長居はできません」
と、ばかり這う這うの体(ほうほうのてい)で三千の軍兵、誰一人踏みとどまるものはなく、皆命からがら先を争って逃げ出しました。
紀伊見峠の上でこれを眺めた幸村、ニッコと笑って、
「門出の血祭り、幸先が良いぞ。それ者ども、押し出せッ!」
とばかり、采配をバラリと一振りいたしますと、隊伍堂々、真田の軍勢千三百余騎、大阪城さして出発いたしました。
ところで、四方の山々峰々の軍兵共は、何者かと申しますと、普段幸村が恵みをほどこして手なずけておいた百姓木こり共。紙旗や紙の馬印を押し立てて、空声を合わせて鬨の声と見せかけ、敵の肝魂を奪った偽兵のはかりごとでございます。
さて、堂々大阪城を目指して出発いたした幸村。今後いかなる活躍を見せましょうや。それは次回にて……。
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