第2話
「マリアベル様、突然の事でなんと申し上げたら良いのか、わたくし……どうかお元気で」
「今日までありがとう。ローズ様もお元気で」
行儀見習いとして私付きの侍女をしてくれていたローズ様が、涙をためて見送ってくれた。
婚約者候補から外されたので、もう王宮に来る事はそうそうないだろう――――
婚約者候補から外すと伝えられてから三カ月あまり。
私はすでに辺境領へと向かう馬車に揺られていた。
婚約者候補から外された私は、屋敷でも居場所がなかった。
思い出がいっぱい詰まって大好きだった我が家なのに、もう両親や弟がいた頃の面影を感じさせない位に変わってしまった屋敷。
念のため辺境伯様にお伺いの手紙を送ったところ、すぐに歓迎する旨の返信が届いたので甘えることにした。
逃げるように屋敷を出たので、両親から贈られたお気に入りのドレスを数着とアクセサリーや靴などを数点だけを持った。
公爵令嬢で王太子殿下の元婚約者候補だったとは思えないほど少ない荷物だった。
敢えて少ない荷物にしたわけではない。
両親から贈られたものの多くは、叔父一家に無断で盗られてしまったのだ。
しかし疑問にも思わない。叔父の娘でいとこであるイザベラは、幼い頃から公爵家へ遊びに来るたびに、私の持ち物を羨んで欲しいとせがんでくる子供だったし、叔父も叔母もそれを止める人ではなかった。
むしろ、たくさんあるのだから少し位娘に分けてくれてもいいだろうと宣う人たちだったのだ。
さすがに王太子殿下からの贈り物――殿下の瞳と同じ色の宝石など――には手を付けられていなかった。
王太子殿下からこれまでたくさんの贈り物をもらっていて、中にはお気に入りの物もあったけど婚家に持って行くのは憚られるため、置いてきた。
だけど、私がいなくなれば堂々と手を付けるだろう。
私の成人を祝う会で着る予定であつらえたドレスも届いて早々、奪われた。
奪われていなくても着る機会がなかっただろう。
成人を迎える誕生日当日は辺境伯領への移動中だったので、侍女のフレアが祝ってくれただけだったから。
今回渡しが持ってきた物は、派手好きな叔母やイザベラの趣味ではなかったらしい。
不幸中の幸いとして、私のお気に入りは手元に残っていたのだ。
あとは、祖母から母へ母から私へと受け継ぎ大切にしていたアクセサリーはフレアが隠してくれて無事だった。
そんなフレアは私の向かい側に座って、好奇心を隠しもしない瞳で馬車の窓から外を見ている。
フレアは私の視線を感じたのか、不意にこちらを向く。
「何でしょう?何度だって言いますが、私はお嬢様と離れるつもりはありませんよ」
「分かってる。さすがにこの状況で帰れなんて言えないもの。……ありがとう」
私が王命によりハリストン辺境伯との婚姻を申し付けられたことを知った叔父は、使用人を連れていくことを禁止した。
「冷酷騎士と言われている人物がいるところへ使用人を連れて行くというのか?私には雇い主として使用人を守る義務があるのだ。それに、もう公爵家から出るお前には不要だろう」
なんだかんだと理由を言っていたが、叔父はただ単に私にはなにひとつ渡したくないのだろう。
叔父に言われるまでもなく、私は使用人を辺境まで連れて行くつもりもなかった。
私が結婚することになったライオネル・ハリストン辺境伯は、冷酷な人物という噂がある。
ハリストン辺境領は大きな山で隔てた北の国との境にあり、争いの絶えない土地だった。
北の国は領土は広いけれど国土の一部が一年中雪に覆われ、残りの土地も冬が長い厳しい環境に置かれた国である。
そのため、自然災害も少ない我が国に領土を広げようと、年に何度も攻め入ってくるというのが何百年と続いている。
近年はほとんどは小競り合いの延長にあるような争いだというが、回数が多くて気が抜けない重要な国防の要なのだ。
それが、前辺境伯の時代から少しずつ回数が減り、ライオネル・ハリストン辺境伯に代替わりした直後に起きた争いで圧倒的勝利をした以降は争いが収まったのだ。
まだ安心とは言えないが、それでもあれほど頻繁にあった争いが代替わりしてから、この五年ほどはないという。
社交界では、ライオネル・ハリストン辺境伯があまりにも残忍な手を使ったのではないか、冷酷な手段を取ったのではないかと言われ、北の国も手を出すのを恐れているので争いが収まっているのではないかと噂されているのだ。
辺境伯自身、爵位を継いでからは社交界に姿を現していないということから余計にそのような憶測が飛び、冷酷騎士という異名ができたのだろう。
どんな方法を使ったのか分からないが、争いを起こさせないなんて相当な手腕だと思うし、辺境伯様がいてくださるから安心して暮らせるようになった国民も多いだろう。
それに、ハリストン辺境領には豊かな水源があり、この国の北側はこの水源から恵みを得ている街も多い。それを守っているのも辺境伯であり辺境の騎士団だ。
そんな相手に対して酷い言い草だと思う。
ただ、火のない所に煙は立たぬというので、王命と言えど冷遇される可能性も高いと覚悟はしている。それに、北の国との国境にあるため、王都に比べて寒さの厳しい土地でもあるという。
それもあって叔父に言われるまでもなく、使用人は連れて行く気がなかったのだが、侍女のフレアは付いて行くとして譲らなかった。
付いて行く、連れて行けないとお互いに主張し合い、辺境領への出発前夜に初めて喧嘩をした。
辺境領への出発の朝、出発の時になってもフレアは姿を現さなかった。
馬車のドアが閉まって窓越しに見送ってくれる使用人たちを見ても、どこにもフレアはいなかった。
八歳の頃から私についてくれて、お妃教育で辛い思いをしていてもフレアが慰めてくれたから乗り越えられた時もあった。フレアの前では淑女の仮面を被らないで自分らしくいられた。両親と弟をいっぺんに亡くしたときも、フレアがずっとそばで支えてくれていた。
私にとっては姉のような存在でもあり、かけがえのない大切な存在だからこそ、連れていけないと思ったのに、こんな風に別れることになるなんて。
(最後くらい、笑顔でお別れしたかった……今までずっと、側で支えてくれたお礼も言えなかった…………)
王都を離れる寂しさよりもフレアと喧嘩別れになってしまった事の方が悲しくて、いつも一緒にいたフレアがいないことで私は本当に独りぼっちになってしまったのだと思うと、寂しくて涙があふれた。
馬車の中、誰もいないのを良い事に泣きじゃくった。
王都を囲う壁を過ぎた頃に馬車が急停車し、泣いていた私は衝撃に備えることもできずに座面から転げ落ちてしまった。
何事かと思っていると、急にドアが開いて人が乗り込んできたので、まさかこんな昼間から強盗にでも襲われたのかと思って咄嗟に顔をあげたら、そこには怒った顔のフレアがいたのだ。
驚きすぎて目も口も開けてポカンとしていた事だろう。
「……っ!?」
「本当に私を置いていくつもりだったのですか!」
「は?なっ……どっ……えっ??」
「私はどこまででも付いて行くと申し上げたではありませんか!お嬢様に嫌われたとしても離れません!それに、そんなに泣いて……このフレアと離れるのが本当はお寂しかったのでしょう?」
床に転がって呆然唖然と見上げている私の脇に手を差し込み、私を持ち上げて座面に座らせ、怪我がないか見分しながらもフレアは怒りながら喋っていた。
そして、私に怪我がない事を確認すると、眉を下げて仕方がない子とでもいう様な慈愛にみちた表情をしながら、ハンカチで私の顔を拭う。
「っ!……フレアァァァァ…………!!」
連れていけないと思っていたのに来てくれたことが嬉しくて、子供の頃のように抱き着いて泣いてしまった。
冷静さを取り戻した頃にはもう馬車は動き出していて、王都から随分と離れていた。
聞けば、昨夜のうちに新たな雇い主である叔父に私に付いて行きたいと嘆願したが、聞き入れられなかったので辞意を表明し、辞表を使用人部屋に置いてきたという。そして、王都を出た街道で待ち構えていたそうだ。
私付きの侍女がこんなに行動的な人物だとは知らなかった。
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