赤野青羽


俺は初めて来た街外れの廃墟の前に立っていた。


俺はここまで逃げてきたのだ。


学校はつまらない。


幼い頃から母は俺に勉強を教えてくれた。


だから俺は昔から勉強が得意だった。


数式は見ただけで答えを導き出せたし、漢字は一度習えば読みも意味も間違えることは無かった。


最初は母が喜ぶからと、勉強を頑張った。


俺は勉強が好きではなかったから、母に褒めてもらう為にしていただけだった。


今思えば、自分の子供が頭が悪いというのは、小学校の先生をしていた母のプライドとして許せなかっただけなのだろう。


そんなちっぽけなプライドのせいで俺は、周りと違っていた。


小学校の勉強は鉛筆を動かすのも面倒だと感じるほど、俺には簡単だった。


問題が分からない友達や勉強が苦手な隣の席の子に、先生よりも分かりやすく教えてあげた。


中学に上がっても、それは続いた。


最初は「ありがとう」と感謝される事に喜びを感じていたと思う。


テスト前は、放課後に勉強会を開いていたくらいだし。


ただ、同じ質問をされたり、英語の発音が違ったり、応用が出来なかったりされて、俺はイライラしていた。


だんだんと俺は勉強を教えることが、苦痛に感じていた。


もちろん授業も。


高校生になれば勉強は難しくなると思い、偏差値の高い有名高校に入った。


でも俺の期待は裏切られた。


母はいったい、どれだけの勉強を俺に教えていたんだ。


いつしか母を恨み始めていた。


俺は苦痛に思いながらも、入学当初は勉強を教えていた。


でも、もう、うんざりだった。


「何でこんな簡単な問題が分からないの……? 」


今まで思っていた事が、無意識の内に口からこぼれてしまった。


俺の周りが凍りついたのを今でも覚えている。


そしてそれを境に、俺は1人になった。


でも別に悲しいとも、寂しいとも思わなかった。


イライラしなくなり、ストレスが溜まる事が減ったからだ。


ふと、思い出す。


友達と呼んでいたクラスメイトと勉強以外の繋がりがあったか、と。


答えは、いいえ、だ。


俺は最初から友達などいなかった。


友達だと思っていなかった。


馴れ合う気は無く、バカだと見下していた。


だから1人になったからといって、学校へ行くことは止めなかった。


俺が不登校になった理由は、勉強が簡単で学校がつまらなかったからだ。


本当は辞めてしまいたかったが、母が許す訳もなく、不登校という形になってしまった。


毎日家に居ることで、時間が無駄にならなくなり、イライラしないで快適に過ごせると思っていた。


母なら俺の心境を理解してくれると思っていた。


でも予想は大きく外れ、学校に行っていた時よりイライラが激しくなった。


母は俺を理解してくれなかったのだ。


「不登校の息子を持って恥ずかしい」


「そんな子に育てた覚えはない 」


「あんたのせいで外も歩けない」


「あんたのせいで私が笑われるの」


「あんたのせいで……あんたのせいで……」


最初は母の言葉を右から左へと受け流していた。


数日で母が諦めると思っていたからだ。


でも、やはり、俺の予想は外れた。


母は毎日、俺を罵ってきた。


精神的なストレスが溜まって、こんな事なら学校へ行くべきかと思ったが、あんな場所に行ったところで、ストレスは溜まってしまう。


俺に逃げ場は無かった。


泊めてくれるような友達はいない。


親戚のところでは母に見つかってしまう。


どこか、母に見つからず静かに過ごせる場所はないだろうか。


家出と言っても、母が家に居る間に隠れる逃げ場が欲しかったので、秘密基地になりそうな所を探していた。


当ても無く、フラフラと歩き続けていると知らない場所までやって来た。


いや、正確に言うと、来たことのない場所だった。


ここが街外れだという事は知っているし、近付いてはいけない場所だということも知っている。


でも引き返すつもりはなかった。


絶好の場所だと思った。


俺は誘われるように足を進める。


近付いてはいけないと言われる森の中なら、母に見つかる事は無い。



鳥の鳴き声が朝の森に響き渡る。


緑の葉が風に揺れて擦れ合う音。


土を踏む自分の足音。


腐った看板を通過し、一本道を歩き続けた。


そして開けた空間に、噂の中には登場しなかった赤い屋根の屋敷が建っていた。


お洒落な白いレンガの壁は、遠くからでは何の植物か分からないが、ツルが所々張り付いているのが見える。


見上げれば4階部分の壁や窓、赤い屋根にまでツルが伸びていた。


近づくにつれて、そのツルには棘が生えていると分かった。


これはツルではなくイバラだ。


根元はどこかとイバラを目で追って行くと、地面に黒いバラを咲かせていた。


背の高い木々に囲まれているせいで日陰に咲く黒いバラに気が付かなかった。


しゃがみ込み、近くでバラを観察する。


他の種類の花も咲いていたのだろうが、他の花を刺し殺す様にイバラが巻き付き、黒いバラ以外の花は枯れていた。


花は私だけで良いと言いたいのか、それとも他の花から栄養を奪い取っているのか、枯れた花の隣には一際大きく綺麗な黒いバラが咲いていた。


黒に似合わぬ甘い香りにゾッとしたのはほんの一瞬で、立ち上がった俺はうんざりした気分で大きく咲き誇る黒いバラを踏み潰した。


足を上げると黒いバラは花びらや茎が折れて潰れていた。




カチャ……




《どこかでカギの開く音がした》




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