3本目の芯棒





素早く廊下を移動して、逃げ込むのに使っていた東側の部屋に身体を滑り込ませる。


扉を閉めた赤野は、私の向かいに立って萎れた黒バラが挿さった花瓶を見下ろす。


「どこの扉が開くのかな?」


「分からないけど、閉まってる扉なんてこの階には一つしかないわ」


「……とりあえず、注いでみよ」


「そうね……」


ボトルを握る手が小さく震える。


私は深呼吸をして、ボトルを顔の高さに持ち上げた。


ロウソクの炎の光を通さない赤黒い二宮の血を黙って見つめる。


震える手のせいで、血の表面が波を打ち、ボトル口を飛び越える。


その血はボトルを握る私の手の甲に流れ、肌のキメに入り込み、蜘蛛の巣の様に広がっていく。


私の手に二宮の手が重なっている様な気がして、自然と手の震えが治まった。


私は花瓶にボトルを近付け、こぼれない様にゆっくりと傾ける。




ドッドッドッドッドッドッ……




小さなボトル口から二宮の血が花瓶に流れ込む。


むわっ、と呼吸を止めたくなる濃い血液の臭いだが、二宮の臭いを覚えるように深呼吸を繰り返す。


黒バラは二宮の血を浴びて小さく揺れ始めた。


茎に二宮の血が当たり揺れているだけなのだろうが、待ち望んでいた液体に喜んでいる様にも見える。


ボトルの中が空になり、花瓶は二宮の血で満たされた。


ボトルを握ったまま一歩退がって、黒バラの様子を眺める。


注ぎ終わっても黒バラは、ふるふると小さく揺れ続けている。


再生が始まった。


萎れた葉がピクピクと動き出し、茶色く変色していた花びらはゆっくりと深い黒に戻り始めた。


「本当に……潤ってる 」


赤野は黒バラの様子を、口を開けたまま見つめていた。


私も瞬きを忘れ、黒バラの再生能力から目が離せなかった。


放物線を描いていた茎も、萎びた花びらも葉も潤っていく。


茎は真っ直ぐになり、葉の先まで緑が鮮やかに蘇る。


茶色く変色していた花びらは、外に咲いていた黒バラと同じ真っ黒な花びらに戻った。


水では枯れてしまった黒バラは二宮の血を吸って、美しい姿に再生した。


その凄まじい再生能力に、思わずゴクリと唾を飲み込んだ時だった。




バリンッ!!




「きゃぁっ!」


「うわぁ!?」


突然、花瓶が割れて二宮の血とガラスの破片が四方八方に弾け飛んだ。


鋭利な花瓶の破片は、無防備な私たちを容赦無く襲う。


咄嗟に腕を顔の前で交差させたが、素肌が露出している手の甲や、ジャケットの袖から少し出た手首を切ってしまった。


私の傷は軽い切り傷なので気にせず、スーツを摘んでパタパタと動かし、付着した花瓶の破片を落とした。


「赤野君、大丈夫? 目とかに入ったりしてない?」


私は顔を上げ、赤野の顔を見る。


「一応……」


そう言った赤野の顔は血だらけだった。


「赤野君ッ!?」


大丈夫には見えない姿に、思わず声が裏返ってしまった。


「あ、痛い箇所は少ないから心配しないで。ほとんど俺の血じゃないから」


言われて自分のスーツにも、同じ様に二宮の血が飛び散っていた事を思い出す。


どうやら赤野は反応が遅れてしまい、私の様に腕で顔を守る事が出来なかったようだ。


ゴシゴシと服の袖で顔を拭うと、右頬に赤い線を発見した。


赤野は切れた右頬に指先で触れ、血が出ているのだと確認すると、それ以上は触れなかった。


目に入らなかったのが不幸中の幸いだ。


赤野が大怪我をしていないと分かり安堵の溜め息を漏らしながら、私と赤野の間に視線を落とす。


中央の丸テーブルの上は血だらけになり、今も赤い雫が床にポタポタと垂れている。


丸テーブルの上の血だまりには、潤いを取り戻した黒バラが二宮の血に浸っていた。


そしてもう一つ、血だまりに浸る物を発見する。


それは、上部が割れて小皿の様になった花瓶の上にあった。


「カギだわ」


二宮の血にまみれたカギを手に取り、血だらけになってしまったスーツのジャケットで軽く血を拭き取る。


「これで先に進めるね」


私が摘んだアンティーク調のカギを見て、赤野が安堵の溜め息を漏らしながら呟いた。


「そうね」




【アンティーク調のカギを手に入れた】





私は二宮の血が無駄にならなかった事にホッとして、アンティーク調のカギをポケットにしまった。


そして私は黒バラにも手を伸ばす。


「持って行くの? 」


赤野が不必要な黒バラを手にしている私を見て、不思議そうに首を傾げた。


「必要な時が来るかもしれないし……」


私は茎を適当な短さになる様に折り、胸ポケットに挿し込んだ。




【黒バラを手に入れた】




花びらに付いた二宮の血が、胸元に染み込んでいく。


赤野にとってはただの不気味な黒バラなのかもしれないが、私は二宮の血で潤った黒バラを放置して先に進みたくはなかった。


二宮の命が、この黒バラに続いている様な気がしてならなかったのだ。


「さぁ、黒い扉を開けに行きましょ」


廊下の安全を確認してから私たちは部屋を出て、倉庫錠の掛かった黒い扉の前に立った。


私は重たい倉庫錠に手を添えて、ポケットから取り出したアンティーク調のカギを鍵穴に挿し込む。




カチッ……




倉庫錠の三本目の芯棒が外れた。


私は重たい倉庫錠を黒い扉の脇に置き、取っ手に巻き付いている鎖も外して倉庫錠の上に落とした。


「この扉が、最後の扉だと良いんだけどな……」


赤野が右側の取っ手を両手で掴む。


「そうね。この部屋の仕掛けを解いて玄関が開いてくれれば……」


私は左側の取っ手を左手で掴み、その上に右手を重ねた。


「開けるわよ?」


私の問い掛けに、緊張した顔の赤野は頷いた。


両手に力を込め、黒い扉を押し開けた。




ギギギギギギギギギィ……





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