血液
「……何か変じゃない?」
赤野が絵画に近付き、赤い絵の具を見上げる。
私も赤野の隣に移動したが、見上げる前に鼻が反応した。
「鉄臭いわね……」
絵の具の臭いではなかった。
この屋敷に入り込んでから嗅ぎ慣れた血の臭い。
絵画の表面を流れる血は、額縁を乗り越え床に向かって伝い始めた。
視界で何かが動く。
違和感を感じた場所に視線を向けると、イエスが再び血の付いたナイフを振り上げていた。
今度は転がった頭部を切り刻むのだろうか。
こちら側にも血が飛び散ると思い、赤野の腕を引っ張り、イエスを見つめながら後ろに三歩退いた。
するとユダを凝視していた青い目は、私と目が合った。
一瞬にして背中に冷たい汗をかき、ぞわぞわとした恐怖が背筋を凍らせた。
「……嘘でしょ?」
願う様に呟いたのと、イエスの腕が動いてキラリとナイフが光ったのは同時だった。
「危ないッ!!」
赤野を突き飛ばし、私も反対側に倒れ込む。
私と赤野が尻もちをつくのと、先程まで立っていた床にナイフが突き刺さったのは、ほんの一瞬の出来事だった。
赤野は声も上げずに驚いた様子で、床のナイフと絵画のイエスを交互に何度も見比べる。
床に突き刺さったナイフは平面ではなく立体的で、本物のナイフのように見える。
イエスを見ると、目を伏せて両手をテーブルの上に乗せた元の絵画の状態に戻っていた。
ユダが殺され、血まみれになっている事以外は元の『最後の晩餐』だった。
私は再びイエスが動き出さないか心配しながら立ち上がり、ナイフに近付く。
ユダの血が付着していないナイフの柄を掴むと、少し温かく、しっかりとした感触があった。
力を入れて床からナイフを引き抜けば、質量があり、重みを感じた。
カチッ……
《どこかでカギの開く音がした》
「そのナイフで血を流さなきゃいけないのかな……」
私が握っている血の付着したナイフを、赤野は眉を寄せて恨めしそうに見つめる。
ユダの血は流れた壁や床に染み込み、液体の状態として残っていなかった。
「それだけは避けたいけど……その可能性がより高まったわね」
剥き出しのままでは危ないので、私物のピンク色のハンカチで刃の部分を包み、腰側のウエストに差し込んだ。
【ナイフを手に入れた】
バックポケットから地図を取り出し、手にクレヨンが付かない様に四隅を摘んで広げる。
「この階でカギが開きそうな部屋は……」
三階の間取りを見ると、行っていない部屋は残り一つだけだった。
「ねぇ、ちょっと地図貸して?」
赤野が手を伸ばしてきたので、素直に地図を渡す。
「どうかした?」
「さっきは気が付かなかったけど、扉が一つ足りないんだ」
「え? あぁ、赤い扉の事?」
赤野が持っている地図を覗き込んで階段を探すが、三階の間取りには上に続く階段の絵は描かれていなかった。
「本当だわ。って事はここが最上階なのね」
地図には四階の見取り図は、存在しなかった。
あと少しで外に出られるかもしれない、と希望が見えてきた。
だが、赤野の言葉に私は落胆した。
「この屋敷の最上階は四階だよ」
死と隣り合わせの屋敷からの脱出は、あと少しではなかった。
「それに……それに俺が見たのはバラの紋章がある黒い扉だった」
「黒!? それはどこにあったの!?」
今まで見た事のない扉に不安と恐怖を感じた。
その先にはゲームで言う、ラスボスが待ち構えているのだろうか。
「黒い扉はカエルの部屋に面してた、ここだよ」
赤野は中央の部屋の壁を指差した。
地図内には中央の部屋の南側の壁には、扉や何かの印などは描かれていなかった。
「じゃぁどっちかのカギが開いたのね。まぁ黒い扉が開いたとは考えにくいけど……」
「確かに。階段上がり切った時に軽く見た程度だから、詳しく調べてはないけど特殊な扉だと思う」
赤野は地図を四つ折りにして差し出した。
私は地図を受け取り、バックポケットにしまう。
「それじゃ、黒い扉を軽く調べるのと、カギが開いた部屋を確認しましょ」
「了解」
私たちは美術館の様な部屋から出る為に扉に向かう。
ドアノブを掴み、一度だけ後ろを振り返る。
頬に返り血を浴びたイエスは、何食わぬ顔でテーブルに手を乗せて座っていた。
目も体も動かないので、後ろから襲われる可能性は少ないと思われるが、一応赤野にイエスを見張っておくように指示を出す。
私は扉に耳を押し当て、静かな事を確認する。
「大丈夫みたい。行くわよ」
イエスを見張っている赤野の手を引いて、ドアノブを掴んだ時だった。
「ヤバイ!! イエスが来たッ!!」
赤野の焦った叫び声に振り返る。
絵画から飛び出し、新たなナイフを手に浮遊しているイエスと目が合った。
私は扉を開けて赤野を廊下に投げると、赤野が私の手首を掴んで廊下に引っ張った。
よろけていると赤野が扉に手を伸ばしているのが視界に入り、私も体の向きを変えて扉に手を伸ばした。
ナイフを振り上げたイエスがこちらに向かって来るのが見え、一瞬足が竦んだが私は扉に全体重を掛けて閉めた。
ドンッ
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