ここには背教者が居る



「折笠さん、これ」


壁に飾られた絵画を見つめていると、赤野が肩を叩く。


振り返ると、赤野は私に白い紙を手渡した。


受け取らなくても、それが指示の書かれた白い紙だと分かる。


「どこにあったの?」


「あそこに落ちてた」


赤野は床の中央を指差す。


私は白い紙を受け取り、当たり前の様に書かれた、失敗すれば死に繋がる文字に目を走らせる。




【ここには背教者が居る】




小さな文字で、それだけが書いてあった。


私は首を回し、改めて壁の絵画を見つめる。


「つまり、どうしろって事なの?」


何度文字を読み返しても謎を解く閃きが生まれないので、私はクッキーと同じポケットに四つ折にした白い紙をしまった。


「背教者って"忠実でない"とか"教えに背く事"って意味だから、要はって事だね」


「言葉がそのままの意味だったら、そんな話が隠れてるのは一枚しか思い当たらないわ」


その絵画の名前を出さなかったが、私たちは同時に右側の壁を見上げた。


『最後の晩餐』である。


「赤野君は何でも知ってるのね」


「たまたまだよ。他の絵の事はほとんど知らないし、この絵についても詳しい訳じゃないけど、有名でしょ?」


「まぁそうね。絵に興味がなくても、一度は聞いた事のある話よね」


イエスと12人の使徒が描かれている大きな壁画。


本物はイタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画である。


『あなた方の内、1人が私を裏切ろうとしている』とイエスが断言し、12人の使徒が、誰だ誰だと顔を見合わせている。


『それは誰の事ですか?』とヨハネが聞くと『私がパン切れを浸して与えるのが、その人だ』と答えた。


そしてイエスはパン切れを浸してユダに渡した。


つまりユダが裏切り者になる。


「ユダが何をしたか知ってる?」


「いや、そこまでは……赤野君は知ってるの?」


「ユダはイエスをユダヤ人に売ったんだ。そのせいでイエスは十字架刑にされたって話。でもイエスが全人類の罪を背負って死ぬという快楽を体験したくてユダに裏切り者の汚名を着せたって説もあるみたいだよ。どれが本当なんだろうね?」


私は赤野の話を頷きながら聞いていた。


「でもこの紙が示してる裏切り者がユダだとして、この絵をどうしたら良いのかが謎だね」


赤野の疑問に私は顎に手を当て考え込み、『最後の晩餐』を見上げた。


つられて赤野も見上げるが、この絵の仕掛けを解く手掛かりは見当たらない。


それでも何か無いかと、黒く塗り潰された両目を見つめていると、私はある事に気が付いた。


近付いたり離れたり、色々な角度から真ん中に描かれたイエスの顔を見つめる。


「どうしたの?」


赤野は不思議そうに私を見て首を傾げた。


「ねぇ、高い所にあるから分からなかったけど……目の所、のね」


ロウソクの淡い光では判断出来なかったが、目を凝らしてよく見てみると、黒く塗りつぶされていると思っていた所は、丸く奥に引っ込んでいた。


「え? あ、本当だ。じゃあさっきの目玉を使うのかな」


「そうみたいね」


だとすれば、この目玉は指示の書かれた白い紙が示すユダにはめ込むのだろうか。


真ん中に座るイエスから目を離し、裏切り者に視線を移す。


私たちから見て、イエスの左から3番目に描かれ、テーブルに伸ばした手が強張って見えるのがユダだ。


「そんな……」


ユダは見上げる様に振り返った姿を描かれている為、しかくぼみがなかったのだ。


「振り出しに戻っちゃったね」


2つ目の目玉をはめられない事に気付いた赤野は困った様に頭を乱暴に掻いた。


「どうしたらいいのよ……」


私はポケットから四つ折りにした白い紙を取り出し、広げて見る。


文字を読み、穴が開くほど白い紙を隅々まで見て、裏返す。


裏には何も書かれていなかった。


表に戻す。


何度見ても【ここには背教者が居る】の文字しか見当たらない。


再び裏返し、そして表に戻す。


今度は紙を水平にして、顔に近付け、目の高さにして見る。


微妙に角度を変えて見てみるが、紙が少し歪んでいる程度だった。



――ふわり。



紙を動かしていると、が鼻をかすめた。


紙に鼻を近付け、どこから香ってくるのか探ると、文字の下の余白からだと分かった。


「文字の下の所、柑橘系の香りがしない?」


赤野は私が指を差した所に鼻を近付ける。


「本当だ。なんだろこれ、レモンかな?」


「今までの紙、レモンの香りしたかしら?」


「気付かなかったけど……。これさ、炙り出せるんじゃないかな?」


赤野は何かを探すようにキョロキョロと部屋を見回す。


「どういうこと?」


「レモン汁で書いた所は化学変化を起こして発火温度が紙より低くなるんだ。つまり紙より早く焦げるって事。もしかしたら隠されたヒントが浮かび上がるかも」


「なるほど。じゃあ早速……」


炙り出しに必要な火を探すが、ロウソクはシャンデリアとなって天井にぶら下がっているので使う事は出来ない。


「他の部屋のロウソクを使うしかなさそうだね」


赤野が私に紙を返して言った。


「そうね。じゃあカエル……の部屋は危なそうだし、花瓶の部屋に行きましょ。あそこなら壁のくぼみにロウソクがあったから手が届くし、危険も無いわ 」


頷いた赤野が扉の隙間から廊下を確認し、甲冑の姿が無いようなので私たちは花瓶の部屋に移動した。


壁のくぼみに置いてあるロウソクを一本取り、溶けたロウソクが指に垂れないように花瓶の載ったテーブルに運ぶ。


「それじゃあ、始めましょうか」


私はロウソクの炎から数cmの高さに紙をかざして、隠されているであろうヒントを炙り出す。


じりじりと焦げる臭いが漂い、白い煙が出始める。


薄っすらと柑橘系の香りがする所が茶色く焦げ、隠されていたヒントが露わになる。


「し・かい……」


赤野が読めるようになった茶色の文字を声に出す。


紙をずらし、全体的に炎を当てる。


「かい・を・と……」


化学変化を起こした部分が先に茶色く焦げて、文字が全て浮かび上がる。




【復讐は視界を取り戻してから】




茶色く焦げた文字から目玉を入れるべき人物が浮かび上がる。



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