お行儀良く
「つか……も、と……さん」
とても無残な死に方だ。
身体中から血液が吹き出し、眼球は飛び出てその後を追う様に脳が流れ出てきた。
「マナー違反だからだよ」
「え?」
塚本の死体を見つめて険しい顔をしているが、赤野の口調は冷静だった。
「あれ。読んでみて 」
赤野が指差した壁に視線を向ける。
最初にこの食堂に入った時は何も無かったはずだが、赤い扉の隣には指示の書かれた紙が貼られていた。
【お行儀良く】
「これに気付いた時には既に塚本さん食べ始めてたから…… 」
この貼り紙を見つけていたら、塚本は死ななかったかもしれない。
二階の青い扉の部屋で、私と赤野はマナーについての本を読んでいた。
「コース料理は順番に運ばれてくるけど、ここには既に料理が並んでた。だから自分たちで料理を選ばなくちゃいけなかったんだ 」
「指示の通りにするなら、最初に口を付けるべきなのは……確かワインね」
このテーブルにはワインとコーヒーがあるが、コーヒーは食後に飲むものなので、一番最初に口を付けるのはワインになる。
「でも、彼は全てにおいてマナー違反よね……」
塚本の死体は痙攣を繰り返し、やがて動かなくなった。
ゴゴゴゴゴゴォ……
カチッ……
《どこかでカギの開く音がした》
「今のは何の音かしら……」
何かを引きずるような聞き慣れない音に首を傾げる。
「分からないけど、カギの開く音もしたね」
赤野は開いた扉を見透かす様に天井を見つめた。
私はようやく近付ける様になった塚本に歩み寄ると、ワイングラスの割れた破片に紛れて光る物を発見した。
「やっぱり……カギだわ」
私は赤ワインで濡れたカギを拾い上げる。
「痛っ!?」
親指の腹にチクッとした痛みを感じて、思わずカギを落としてしまった。
「大丈夫ッ!?」
赤野が心配して私の見つめる右手を覗き込む。
赤ワインに濡れていたせいでワイングラスの破片に気付かず、深く突き刺さってしまったようだ。
親指に刺さったままのワイングラスの破片を爪先で慎重に抜き取ると、溢れ出した一滴の血が赤い絨毯に落ちて同化した。
「これくらい大した事ないわ。舐めておけば治るから」
私は血が出ている親指の腹を口に含み、カギを取ろうと手を伸ばすと、その手を赤野が掴んで止めた。
「また怪我するよ 」
「あ、ありがとう」
赤野は塚本が暴れて床に落としたナプキンでカギを拾う。
赤ワインとワイングラスの破片を拭き取り、汚れたナプキンをテーブルの上に投げ捨てた。
【アンティーク調のカギを手に入れた】
「さぁ、鍵の開いた扉を探しに行こう 」
赤野はカギをズボンのポケットにしまい、塚本の死体に背を向けた。
谷原の時とは違い、放心状態になったり弱音を吐いたりしなかった。
「ねぇ赤野君……その、大丈夫? 」
食堂の赤い扉に向かう背中に声を掛ける。
足を止めた赤野は振り返って私の目を見つめた。
無表情からは感情が読み取れない。
「……今だって、生きて出られる気はしないよ 」
冷たい声は絶望を見据えていた。
「でも俺はこの屋敷に食われに来たんじゃない。ちょっと家出する時の隠れ場として来たんだから、家には帰るよ。それに折笠さんの死体なんて見たくないしね 」
「カギの開く音は二階から聞こえてきたわ 」
「赤い扉だと良いんだけど…… 」
赤野の後に続いて階段を上がる。
カシャ……カシャ……カシャ……カシャ……
「ッ!?」
「甲冑の足音だわ」
階段を上りきると、後ろから甲冑がゆっくりと徘徊している音が聞こえてきた。
「急がないと。多分突き当たりの赤い扉が開いたはずだから」
振り返ると、一階の赤い扉はまだ閉まっているが、音はだんだんと近付いて来ている。
赤野が駆け出して、廊下の突き当たりにある赤い扉のドアノブを掴む。
追い付いた私に目で合図を送り、ドアノブを一気に回した。
「やっぱりここだ……」
二階の赤い扉は簡単に押し開けられた。
「三階ね……」
赤い扉の先には、コの字型に曲がった階段が現れた。
カシャ……カシャ……カシャ……
音が先ほどよりも近い所から聞こえてくる。
「上がりましょ」
頷いた赤野の後に続いて階段を駆け上がった。
「折笠さんッ!」
先に階段を上がる赤野が悲鳴の様な小さな声で私の名前を呼ぶ。
「どうしッ……!?」
赤野の背中越しに三階を覗くと、心臓が大きく飛び跳ねた。
目の前には、一階に居たはずの甲冑の背中が見えたのだ。
瞬間移動が出来るのか、それとも甲冑が二体存在するのだろうか。
「も、戻ろう」
赤野が甲冑を見つめながら、一歩階段を下りた。
「二階に戻ったら右側にある女性の部屋に逃げ込むわよ」
素早く二階での指示を出す。
一階からも甲冑が来ているのだから、カギの掛かる青い扉の部屋には行けないだろう。
「わ、わかった」
赤野が前を向いたまま、もう一歩後ろに下がった。
ギシッ……
上がる時は何の音もしなかったのに階段が軋み、嫌な予感が全身に鳥肌を立たせた。
ギロッ!
大きな剣を持った三階の甲冑の首が90度曲がり、顔だけをこちらに向けた。
「ッ!?」
「ひッ!!」
短い悲鳴を上げた私は赤野の手首を掴んで、コの字型の階段を駆け下りた。
後ろからサイレンの様な呻き声が聞こえた瞬間、心臓が大きく跳ね、背筋が震え上がった。
棒になりそうな両脚を必死に動かし、汗ばんだ手で二階の赤い扉を乱暴に開けた。
すると一階に居た甲冑が階段を登り切って、共鳴するかの様に呻き声を上げながら私たちを探していた。
そして赤く光る瞳が私と赤野を捕らえた。
甲冑は剣を振り上げて、走り出した。
「行くわよッ!」
もたもたしていると三階から来ている甲冑と、目の前の甲冑に挟み討ちにされてしまう。
赤野の手首を掴んだまま、右側の部屋に飛び込んだ。
押し開けた茶色い扉を閉めて調理室の時と同じ様に、背中に全体重を掛けて踵に力を込めた。
手探りで鍵を閉めようと扉に手を這わせるが、お目当てのものがない。
開ける時は外から鍵で開けたのに、内側には閉めるための鍵が無かった。
ドンッ……ドンッ……
やはり甲冑は扉に体当たりをしてきた。
体当たりをしてくる度に私と赤野の体が一瞬扉を離れ、前に押されてしまう。
「くっ…… 」
「頑張って! 」
奥歯を噛み締めて、早く立ち去ってくれと願いながら開けられない様に扉を抑える。
ドンッ……ドンッ……
扉にぶつかる背中と体を支える踵が、じんじんと傷んできた。
ドンッ…………
体当たりをしていた音が止まる。
「い、居なくなった……?」
赤野の頬に冷や汗が伝う。
「そ、そうみたい……」
隣に居る赤野の顔を見ようと、横に顔を向けた瞬間だった。
ドスッ
「うわッ!」
「ひゃッ!?」
目の前には鋭く光った銀色の剣が突き刺さっていた。
赤野ではなく、剣に映り込んだ私と目が合う。
「こ、壊されるっ!」
「このままじゃマズイわっ!」
もう一度剣を振り下ろされたり体当たりでもされたら、扉は壊されてしまう。
甲冑が立ち去るまで耐えるという選択肢は強制的に無くなってしまった。
どこか……どこかに隠れないと。
部屋を見回す。
先ほどと何も変わらない甘い香りの部屋。
甲冑が扉の木片を落としながら大きな剣を引き抜いた。
もう時間は無い。
「あっ!」
部屋の隅に、先ほどは無かったはずの扉を発見した。
青い扉だ。
甲冑が数歩退がった音が聞こえた。
「あそこに逃げるわよッ!」
私は赤野の返事も聞かず、再び彼の手首を掴んで扉の前を離れた。
瞬間、大きな音を立てて扉が破壊された。
甲冑が体当たりで扉を突き破り、部屋に入って来た。
「ヤバイ! 入って来ちゃった!!」
私は振り返らず、赤野が叫ぶ声も無視して走り続けた。
甲冑が再び私たちを視界に捕らえた瞬間、私は青い扉を開けて赤野を部屋に投げ入れた。
続いて飛び込む様に部屋に入った私は勢い良く扉を閉めた。
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