バラに栄養を
「何も書いてないの? 」
カギにも、くり抜かれたノートにも何も手掛かりになるような事は書かれていなかった。
「玄関のカギかな? 」
「かもしれないわね。でもこの部屋を調べるのが先よ 」
カギをジャケットのポケットにしまい、椅子から立ち上がる。
机の天板の真下にある2つの引き出しを開けたが何も入っていなかった。
本棚の前に移動し、背表紙に指先を滑らす。
赤や青、緑などのカラフルな背表紙にタイトルは書かれていなかった。
適当に一冊を手に取ると、赤い表紙には金色で「妖樹」とタイトルが書かれていた。
【アールキング】
その名に「
巨大な森林地帯黒い
榛の木の支配者で森に訪れた人間を巧みに惑わしては破滅へと導くという。
【アルラウネ】
アルルーナとも呼ばれる。
美しい女の姿をした、呪いの花の樹霊。
無実で死刑にされた男の血や涙、その体から排泄された精子から生まれる。
ゲルマン神話に登場する悪しき女性霊で、その名は「秘密に通じる」という意味がある。
【スクーグスロー】
森の精の一種。
前面は美しい女性の姿をしているが、その背面は樹木そのものと言われている。
森に訪れた狩人に幸運を授けたり、旅人を守るが見返りとして人間の男性に愛を求めてくることがある。
前面の美しさに惑わされるも、背面を知ると逃げ出してしまう。
【マンドレイク】
マンドラゴラともいう。
その名に「愛の野草」という意味を持つ。
根の先端が二股に分かれており、人間の様な姿をしている植物である。
男女の性別があり、男はハート形を逆さまにしたような形の実を、女は丸いオレンジ色の実を地上に実らせる。
万病に対する万能の霊薬とされ、とても貴重な薬草。
マンドレイクは引き抜かれる時に世にも恐ろしい悲鳴を上げ、それを聞いた者は死んでしまうので手に入れるのは非常に困難である。
数ページ読んだが脱出の役には立ちそうになかったので、本を元あった場所に戻した。
そしてまた適当に黄色の本を選び読み始める。
表紙には同じように金色の文字で「洋菓子」と書かれていた。
【クッキーの作り方】
①溶かした100gのバターに80gの砂糖を加えて混ぜ合わせる。
②そこによく溶いた50gの卵を3回に分けて入れて良く混ぜる。
③240gの薄力粉を何度かに分けてふるい入れ、ダマにならないようにしっかり混ぜる。
④1時間ほど寝かす 。
⑤オーブンを180度に予熱する。
⑥クッキングシートをひいたオーブントレーに型抜きをした生地を並べる。
⑦予熱ができたオーブンで約15分焼き、完成。
【パンの作り方】
①ボウルに強力粉240g、薄力粉60g、砂糖30g、塩5g、スキムミルク30g、ドライイースト6gを混ぜ合わせる。
②160gの水を①のボウルに数回に分けて加え、よく練る。
③よく練った①のボウルに30gの卵を3回に分けて生地に練り込む。
④耳たぶくらいの硬さになったら、ボウルから出して生地をこねる。
⑤1時間ほど寝かせて、発酵させる。
⑥オーブンを180度に予熱する。
⑦生地を成形し、クッキングシートを敷いたトレーに並べる。
⑧オーブンで15~20分焼き、完成。
パン作りの経験はないが、子供の頃はお菓子作りが好きで頻繁に作っていたのを思い出した。
でも私の家にはオーブンが無かったので、友達の家に行って毎日のように色々なお菓子を作っていた。
……どの友達の家だったかしら?
断片的な幼い頃の記憶を懐かしんでいたが、自分の置かれている状況を思い出し本を閉じた。
「なにもなさそうね」
本をしまい、退屈そうに椅子に座って日記を眺めている赤野を見つめる。
「早くそのカギ、試そうよ」
赤野は立ち上がり、青い扉のドアノブを掴む。
ゆっくりと扉を開け、顔だけ出して安全確認をする。
「今なら大丈夫。静かだし 」
赤野が部屋の外に出たので、私も後に続く。
背後を気にしながら玄関に到着すると、衝撃的な事実を発見してしまった。
「マジかよ……」
「カギ穴が…… 」
玄関には手に入れたカギを差し込む穴が存在しなかったのだ。
よく考えれば玄関の内側にカギ穴が存在しないのは当たり前の事なのだが、だとしたら……。
右手に握るカギを見つめて、他の脱出方法を考える。
赤野も同じ事を考えているのだろうが、扉を見つめながら言葉を発しない。
「何かがカギになる……とか? 」
「そうね……。何かを成し遂げれば開くかも。それこそこの屋敷の呪いを解く、とかね 」
冗談の様だが、半分は本気で言っている。
イバラが襲い掛かってきたり、歩く甲冑が見回りをしているなんて普通ではない。
「ここに居てもしょうがないし、他の部屋を回りましょ。カギになる何かを探さないと 」
青い扉の奥に、もう一つ扉を見た事を思い出す。
来た廊下を戻り、青い扉を通り越して茶色の扉の前に立つ。
通過する時に横目で見た青い扉にはバラの紋章が彫られていたが、茶色の扉は無印だった。
「開けるわよ? 」
ドアノブに手を掛け、背後の赤野を見ると、無言で頷いた。
ゆっくり扉を開け、私の後に続いて赤野が部屋に入った。
正方形の部屋の中央には花瓶を載せた小さなテーブルが置かれ、部屋の隅には観音開きのクローゼットが一つだけ置かれていた。
「殺風景な部屋…… 」
赤野が部屋を見回し、ポツリと呟く。
先ほどの部屋と比べて、本棚も机も無い。
花瓶には一輪の黒バラが差さっているが、元気が無い様に見える。
「また紙が…… 」
花瓶の横に白い紙が置かれていた。
赤野が手に取り、紙を裏返すと文字が並んでいた。
【バラに栄養を】
赤野が読み上げ、私が花瓶の中を確認すると水は一滴も入っていなかった。
「花瓶はテーブルに固定されてるわ 」
蛇口から花瓶に直接水を注ぐのではなく、どこからか水を持って来なくてはならないようだ。
「あのクローゼットの中に入ってないかな? 」
赤野が茶色いクローゼットを指差す。
「そこに水が入ってるとは思えないけど、水を入れる空ビンくらいは入ってて欲しいわね…… 」
クローゼットの扉に手を伸ばし、取っ手を掴む。
「開けるよ? 」
私は赤野の背後に移動し、後ろから様子を見る事にした。
「良いわよ 」
私の言葉を合図に赤野はクローゼットの扉を勢い良く開けた。
「いやぁぁぁあああああッ!!!!」
扉を開けた瞬間、甲高い悲鳴が部屋に響き渡り、私は耳を塞いだ。
クローゼットの中には固く目を閉じ、メガネを掛けた髪の長い女性が、両膝を抱えて震えていた。
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