送信できないまま残っている短い愛の言葉
伍月 鹿
送信できないまま残っている短い愛の言葉
修学旅行は、どうして先輩と行けないのだろう。
五泊六日の修学旅行のあと、俺は踊るような足取りで登校した。
教室は、土日の休みを経てもまだ旅行気分が抜けないような、浮かれたムードが漂っていた。
旅行で仲良くなった奴らが、現像してきた写真を見比べて笑っている。
女子たちはお揃いで買ったストラップを鞄に揺らし、ますます団結力を深めたようだ。
普段はお互いに無関心を装っているのに、まるでクラス全員が友達かのように皆が振舞う。
担任はそんな俺たちを微笑ましいものを見るように眺め、でも、そろそろ気持ちを切り替えるようにとやんわりと諭した。
どこかふわふわとした雰囲気のまま午前の授業が終わり、昼休みの時間になった。
俺は弁当箱をひっつかんで、誰にも気づかないうちに教室を飛び出す。
職員室に帰る教師に見つからないように、速足で階段をかけあがる。
最上階の階段は、ロープで塞がれている。
低い位置で撓むそれを慣れた足で跨ぎ、誰かにも見咎められないうちに立ち位置禁止のそこへ身を隠す。
踊り場を曲がると、もう安心だ。
息を切らす俺を、階段の一番上に座っていた先輩が出迎えてくれる。
「やあ、今日も来たね」
その密やかな声を聞いて、俺はやっと戻ってきた日常にじんと胸が熱くなった。
「先輩、ただいま」
「おかえり、後輩。早かったね」
先輩は、今日もとっても愛らしかった。
まっすぐな黒髪に、くりっとした瞳。赤い眼鏡がチャームポイントで、制服をいつもしっかりと着込む姿は真面目そのものだ。
階段に腰かけた膝には、小さなお弁当。
足下には、家で自分で煎れているという紅茶が入った水筒がある。
いつもの姿、いつもの先輩だ。
俺たちが待ち合わせしている空間は、屋上へ続く空間である。
鍵がかかっているそこは、教師の許可がないと入れない。だから、その手前の階段も基本的には立ち入り禁止だ。
夕方は天文学クラブが部室にしている。
だが、昼間は誰も来ないから、俺と先輩のとっておきの場所だった。
俺がどんなに急いでも、先輩はいつも先に来ている。
ちょこんと座って、俺を出迎えてくれる。
俺が隣に座ると、先輩は少しだけ座りなおして、俺のための場所をあけてくれる。
尻を落ち着けると、ズボンごしにひんやりとした感触がした。そんなことでも一週間ぶりだと感動できた。
俺にとって、学校生活とは、先輩と過ごせる短い昼休みのためにあった。
ある日、一目惚れした先輩と共にご飯を食べるようになって、早一年だ。
来る日も来る日もここで先輩と会い、短い逢瀬を重ねる。その為だけに毎朝起きて、学校に通っていると言っても過言ではない。
俺は、先輩のことをよく知らなかった。
どうしていつもここでご飯を食べているのか。
クラスに友達はいないのか。そもそもどのクラスなのか。
ただ、胸元についている校章の色が一学年上のものだったから、先輩と呼んでいる。そうしているうちに先輩も俺のことを後輩と呼ぶようになって、いまの関係になった。
メールアドレスは交換した。
でも、俺からはあまりメールできない。
しつこく送って面倒がられてしまったら悲しいし、いざとなると送信ボタンが押せなくなってしまう。
だから、俺の携帯電話には、先輩に送ることができなかった大量のメールが眠っていた。
文章だと性格が変わるタイプなのか、先輩のメールはいつも短くて、そっけなかった。
語尾に必ず絵文字がついている。
それが楽しみで、俺は一日一回だけ、先輩のように短い言葉を送ることにしていた。
いま、飛行機に乗りました。揺れるそうですが、心配はありません。
今夜の宿です。晩飯のすきやきは食べ方がわからなくて、とりあえず囓ってみたネギがまだ生でした。まだ口の中でネギの味がします。
沖縄は暑いです。時々雨が降ります。でもすぐに乾いて驚きました。
修学旅行はどうして先輩と行けないのでしょうか。俺は。これは送れなかったメールとして携帯電話に残っている。
修学旅行中に送ることができたメールを、先輩は読んでくれていたらしい。
弁当をつつく俺に、彼女は優しい笑みを見せてくれた。
「修学旅行、楽しかった?」
「はい。俺、飛行機乗るのも、沖縄行くのも初めてでした」
「そう。いい経験をしたね」
「でも……、先輩に会いたくて仕方がなかったです」
修学旅行は、学年行事だ。
だから、先輩と行くことはできない。
同じ学年の奴らと旅行に行く経験だって、かけがえのないものであるのは確かだ。
普段は教室で、同じ制服、同じ格好。同じことを繰り返している間柄の奴らだ。
うちのクラスは決して仲がいいわけではなかったし、男女の友情が芽生えるほどの交流もなかった。
だが、旅行を経て、確実に何かが変わった。
いままで気にも止めていなかった奴がイカした私服姿だったり、席が遠くて挨拶も交わしたこともないような奴が、案外いい奴だったり。
旅行という非日常感も手伝って、新鮮な経験をたくさんした。旅行中は、俺もそれなりに浮かれていたと思う。
京都、沖縄の五泊六日の旅なんて、一生に一度の機会しかない贅沢旅行である。
日程が決められているから、計画性がない俺でもきちんと観光名所を見ることが出来た。
自分では行こうと思わない場所に行き、知らなかったものを見た。
珍しいものを食べ、新しい体験をいろいろした。
でも、先輩は隣にいなかった。
美しいもの、楽しいこと、嬉しいこと、驚いたこと。
俺の日常がそうであるように、俺は何か新しい経験をするたびに先輩に教えてあげたくなった。
先輩は俺の話を聞くのが好きだと言い、どんなことでも聞いてくれた。
いつもだったら、階段をかけあがるだけで先輩に会える。
こんなことがあったと経験した熱量のままに話し、彼女の反応を見ることができる。
昼間、先輩と語り合うたった数十分のために、俺は生きているのだ。
しかし、旅行中は先輩に会えない。
俺の中に、言葉を経験だけが溜まっていく。
宙ぶらりんのまま蓄積していく感情は、どこにどう吐き出せばいいのかわからなくて居心地が悪かった。
はやく先輩に話したい。
はやく先輩に教えて、先輩の喜ぶ顔が見たい。
旅行中、何度も何度もそう思った。
何度、先輩を呼びかけたかわからない。そのたびにクラスメートは俺を気持ち悪がったが、先輩への愛は誰にも止められない。
愛。
会えなかった日々が育んだものといえば、それくらいだ。
俺は蓄積しすぎて発酵したような言葉を飲み込んで、用意してきた紙袋を先輩に渡した。
「先輩、これ、沖縄のお土産です」
「ハイビスカス?」
「髪飾りです。すげえきれいだけど、造花だから枯れません。先輩の眼鏡と同じ色」
真っ赤な花は、本場の作りなだけあってとてもリアルだ。
土産屋でこれを買う時、店番のお姉さんに随分とからかわれたことを思い出す。
年中、旅行者を相手にしているお姉さんは、相手を喜ばせることに長けているのだろう。特別にラッピングしてくれた袋には、可愛らしいリボンもついている。
「ありがとう」
小さな声でささやいた先輩は、早速髪飾りをお弁当鞄につけてくれた。
いつもの鞄に、花が咲いたみたいだ。
嬉しそうに微笑んでくれたから、俺も嬉しくなってへらへらと笑う。
弁当を食べながら、一週間、溜めに溜め込んだ土産話を先輩に披露する。
同じ学校に通っているのだ。おそらく修学旅行は経験している先輩にとって、すでに知っている話が多いだろう。
それでも、相槌を打って話を聞いてくれる先輩が俺は好きだ。
好きだ好きだと思っていたら、いつの間にか、あんなに我慢した感情が口からぽろぽろ零れてしまう。
さみしかった。先輩と行きたかった。
先輩と同じ景色を見て、同じものを味わいたかった。
後半はそればかりになってしまった話にも、先輩は、最後まで耳を傾けてくれた。
「先輩は、俺に会えなくてさみしかったですか?」
「うーん、別に」
最後に尋ねると、先輩はあっさりと答えた。
いつの間にか空になっていた弁当を片付け、鞄にしまう。
「わかっていましたけれど、悲しい。冷たい」
「私は冷たい人間なんだ」
「知っています」
先輩が冷たいということは、俺もよく知っていた。
先輩は愛くるしい見た目に反して、中身はとってもクールな人だ。
自分のことは殆ど話さないが、口を開くと実は少しだけ意地悪だ。
教師やクラスメートの悪口を言うときは少し楽しそうだし、こんな学校は嫌いだとよく漏らしている。
真面目にしているのも、親に文句を言われたくないかららしい。
中身はとっても不真面目で、平気で立ち入り禁止の場所を陣地にしている不良である。
先輩にまとわりつく俺にも冷たく、ドライにあしらわれてしまうことが殆どだ。そもそも名前も教えてくれない先輩に、恋をする俺がおかしいのだとわかっている。
でも、先輩はとても可愛いし、実はほんの少しだけ、優しい一面も持っていることも知っている。
「でも」
ふいに、先輩が言う。
俺は食べ終えた弁当を片付け、お土産の第二弾を出そうとしていたところだった。
買ってきた菓子の大半は家族で食べてしまったが、京都で買った八つ橋がまだ残っていた。
弁当と一緒にしのばせてきたそれを引っ張り出した俺に向かって、先輩が、少しだけ膝を移動させる。
正面から見る先輩はやっぱり可愛くて、俺は眼鏡の赤い色を夢中で眺めてしまう。
「お土産をくれた後輩のおかげで、少しだけ私はいまあたたかい気持ち」
「マジすか。光栄です」
「だから、特別に触らせてあげるよ。今日は、特別」
長いまつげを伏せた先輩が、八つ橋ごと俺の手を握った。
いつもひんやりとしている、先輩の手。
細い指。
真っ白な手の甲が、確かな感触で、俺を包む。
触れ合った場所が微かに色づき合う。化学反応のようにほんのり赤くなった皮膚が、窓から差し込む日差しで薄暗い廊下に浮かび上がる。
「ほんとうだ。少し、あったかい」
「でしょう。不思議だね」
「不思議ですが……、嬉しい」
俺の言葉には、先輩も嬉しそうに頬を緩める。
先輩の真っ白な頬にも、微かな赤みがさしていた。
いつも以上に愛くるしい顔に、俺の心臓がどきりと音を立てる。
ただでさえ、この一週間、俺は不完全燃焼な気分を味わっていたのだ。
先輩への愛が一気に沸騰し、頭を燃え上がらせる。先輩が好きな気持ちが体中を駆け巡って、何かが生まれそうな衝動を覚える。
先輩に送れないまま眠っている言葉がたくさんあった。
先輩に伝えたいことが無数にあった。
送れなかったメールが増えるたび、俺は先輩へのどうしようもない憧れが強くなる。
本当は修学旅行も、先輩と一緒に行きたかった。
昼休みだけじゃなく、四六時中先輩と一緒にいたかった。
なにもかも、一緒に経験したかった。
そのためなら、俺の乏しい人生など全て投げ打ってしまってもいいと思えるほどの、愛。
周りは俺がおかしくなったと笑うが、俺にとってこれは大事なものだった。
「せんぱい、俺、」
先輩のことが、むちゃくちゃ好き。
そう続けようと思って伸ばした指が、ふいに、空を切る。
次の瞬間、俺の足下には倒れて血を流す先輩が転がっていた。
その傍らには、何も飾りがついていないお弁当鞄が転がっている。
やがて、時間を巻き戻したように消えていなくなる先輩は、今日もとても可愛かった。
床に、先輩にあげたばかりの髪飾りが落ちていた。
造花だから枯れない花は、先輩にとてもよく似ていると思った。
いつまでも咲き続ける美しい花。
チャームポイントの眼鏡と同じ赤。美しくて素敵なのに冷たくて、生きていないところまでそっくりだ。
俺は知らないうちにあがっていた息を吐き出して、潰れてしまった八つ橋を口にする。
空いた手で、いまは誰も座っていない床に触れる。
先ほど、先輩が確かに座っていた場所だ。なのに、そこにはぬくもりも匂いも残っていない。
携帯電話を取り出す。
時刻は昼休みの終わりが近づいていることを教えてくれた。
また誰かに見つかる前に教室に戻らなくてはならない。俺はもちもちする銘菓を口に押し込んで、制服についた埃を払った。
誰も来ないから、清掃も入っていないのだろう。
俺が作る足跡分だけ綺麗になった階段は、今日もひんやりと冷たくて少しだけ身震いする。
「先輩、また明日」
何もない空間に呼びかけて、階段をくだっていく。
修学旅行は終わったのだ。
少なくともこれからは毎日、先輩に会うことができるだろう。
その間、少なくとも俺は先輩のために生きることができる。彼女ができなかったのであろう経験をして、彼女に教えてあげることができる。
その為だけに毎朝起きて、学校に通っていると言っても過言ではない。
喩え、彼女が死ぬ姿を何度見ることになっても、俺は、先輩が大好きだ。
修学旅行はどうして先輩と行けないのでしょうか。俺は先輩と一緒にいきたかった。
これは、俺の携帯電話に送信できないまま残っている、短い愛の言葉。
送信できないまま残っている短い愛の言葉 伍月 鹿 @shika_novel
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