第11話

 他には、ある家に「狐婆様」と呼ばれる老婆がいた。

 集落の男性達がその人を見て「全く、あの狐婆様は……」と言うのをお雪は何度か聞いていた。

 確かにその老婆は何かと狐、狐と連呼する口癖があった――それで、お雪も当人の事を心の中ではそう呼んでいた。

 狐婆様は頻繁にお雪の事を捕まえた。お雪が集落の中を歩いていると、どこからかふと現われる。お雪は色々と話しかけられる。

 婆様は足が悪いと思われた。常に杖を地面に突いて前のめりに体重を支え、足を引きずりながらゆっくりと不規則的に歩く。

 その顔には濃い褐色の染みが頬や目の周りに幾つもある。肌は色黒く深い皺の曲線が多く刻まれているのだが、その表面は意外と艶があるようにお雪には見えた。着物は大体いつも同じ物と思われ、あちこちで糸がほつれてぼろぼろであるが色褪せた何かの模様がうっすらと見える。髪は雑に結われ、灰色である。前髪は全て後方に向けて結われており、額に垂らされない。

「これ……お前は狐を敬っているか?ほれ。狐」と婆様は、何か埃っぽい臭いが鼻に明確に伝わってくる程に娘に接近して言う。

 相手の腰が極度に曲がっているため、お雪は僅かに顔を上げるだけで目を合わせる事ができた。相手の瞳はお雪が心配になる程に酷く濁って見える事が多かった。

 この集落は狐のおかげで成り立っている――と瞳が濁った相手は言う。昔からの事だと言う。集落の者は皆、キツネにカンシャせねばならぬと繰り返し言う。

 お前もキツネを敬えと、お雪に言う――

「ほれ、こんこんと……」

 相手は杖を手にしていない側の右手を掲げ、何かを掴もうとするような仕草を頻繁に見せた。そのような時にお雪は顔か首を掴まれるような気がして、さりげなく一歩か二歩後ろに下がる。相手の手は大きくなかったが、浮き出た腱と静脈の動きを見ると不気味な力強さと何かの欲求を娘は感じた。

 唐突に、杖で地面を叩きながら娘を叱り付けてくる事もある。

 曰く、お雪の母は当然のようにマツリに出ない……キツネにカンシャをしない、と。とにかく悪いオンナであると、なじる。

 ――婆様は、母上と仲が悪いのだろうか?きっと仲が悪いに違いない。ある時にお雪はそう思った。

 悪口を言いたい事はお雪にも大体分かったが、それ以外の事は把握できなかった。

 何に「出ない」のかお雪は最初聴き取れず、ある時にようやく発音を認識してもその内容の知識が無かった――母からは、それについてお雪は何も聞いていなかった。

 母の事に言及する時、決まって老婆は急に何かが気に喰わぬ様子になり口調を変える。茶色の唇がうねり、下方に傾斜しながら横に広がっていくのを見るとお雪は少しだけ怯える。

 お雪がうっかり荒野で迷子になった日以後には、婆様は常に怒っていた。

 用事があって集落内を出歩く度にお雪は狐婆様に捕まり叱られたが、その事を母には一切告げなかった。

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