平和なんてない

設定ミスで遅れました。すみません。

――――


 何故今まで気づかなかった、気づけなかったのだろうか?

 僕の、正確には僕たちの眼前には、五メートル程ある車道を埋め尽くせる程の大量の人間達が蠢いている。大変失礼だが、上から見たらゴキブリの様に見えるんだろうなと、荷台のテントの中に獣の様に突っ込みながら思った。


 失礼さだけで言うならば、車道を塞いでいる上に、銃で撃ってきた奴らの方が圧倒的に上だろうけれども。

 僕は、突き飛ばされる前に立っていた地面を見て、全身に寒気が走るという新感覚を味わっていた。隊長があの人間離れした力で突き飛ばされていなければ、僕は恐らく心臓を貫かれて死んでいた。

 あの依頼。中学校にいた希星きららの、絶対に勝てないという恐怖(怒りで頭が真っ白になってはいたが、思い返して恐怖した。今更だね)とはまた違う。

 いつ来るか、いつ命を奪われるのか分からないじわじわと焦りと共に襲い来る恐怖だ。


 だが、通常はこの場合、僕を突き飛ばした事によって場所が入れ替わった隊長が犠牲になる、というのが物語の定石だが。そんな常識は主人公属性を持っている隊長には通用しない。

 空中で態勢を変え、腹をねじる事でスレスレではなく余裕をもって回避していた。

 敵からすればバグチートの極みがこちらにいるのだから、僕も平静を保てているという訳だ。


 荷台から何トンあるか分からないあの驚異のハンマーを片手で回収する、隊長のもはや安定感しか感じない、頼りがいのある背を見ながら、僕は恐らく箱舟の騎士だと思われる存在に戦きながら罵っていた。


「おい、お前ら。一体何の用だ?最初から弾を撃ってくるだなんて。箱舟の騎士には正面からの真っ向勝負すら出来ないのか?仮にも騎士と名乗っているのに、名前負けにも程があるぞ」

「何だとォ?!かかッ、れ…。ゴホン、下らんな。そういうお主達でさえ、夢喰いだとのさばっている割に、何事も為せてはいないではないか。大志を抱き、その夢へ、希望への道を進んでいる我々とは比べるにも値せん」


 テントの隙間から息を殺しながらその会話を覗く僕らには全く気付かず、隊長に向かってメガホン並みの声で自分達が箱舟の騎士だと自白した老人、恐らくはこのグループの指揮官だと思わしき人物は自らの目的をあっさりと告げた。


「だかそんなお主達に、私が唯一無二の価値を与えてやろう。今この場で、私の部隊に殺されろ。惨めに、無惨に、屈辱に、死ね。そうすれば、お主達は我々の道の礎の一かけらにでもなろう。幸福な事だとは思わんかね?」

「…話にならないな。IQが離れすぎていると会話が成立しないとはこういう事を指すのか。全くもって不毛な行為だな、これは」

「確かに、我々の道は凡百の人の目を焼いてしまう程までに美しい輝きを放っているが、その道の一部となるお主達には関係のない事であろう。何せ、その美しい輝きに染まれるのだから」


 どうやらこの白頭の老人は、自分のIQ知能指数が相当に高いと思っているらしい。まあ、あくまでさっきのは比喩表現だと分かるけれど。

 この老人ぶっ飛び過ぎだろ。


「じゃあ、お前が言う道とやらの一部になるらしい僕からの最後の質問だ。お前は、誰の命令で、何のために来た?」


 一瞬、老人は眉を顰め、嫌な事を思い出したと言わんばかりに頭を振った。


「最後の慈悲として、答えてやらんと思った事も無かったが、気が変わった。私に上の存在がいると思い至ったその脳髄、残す気はない。我々は個にして群、同じ志を抱き、同じ道を進む者達なのだ。その間柄に、上下などはありはせぬ!私はそれを宣戦布告と受け取った!」

「あーりゃりゃ、コレだから気難しい老人の相手は苦手なんだよ…。もうちょっと、若人に優しくしてくれないものかな?」


 呆れたように肩をすくめる隊長とは裏腹に、徐々に戦意を漲らせ、今にも突撃せんと気炎を立ち上らせる高血圧そうな老人と、その部下たち。

 場に緊張が走り、テントの中の空気もそわそわしている中、隊長が老人へと喋りかけた。能面のような、生物味のない無表情で。


「生きるチャンスをやる。十秒間よく考えろ。今、そこから無様に生き恥をかきながら退くか、このハンマーの血の染みになって何も残らず死ぬか。どっちが良っい?」


 返答は、一発の弾丸だった。

 隊長の眉間を狙ったであろう弾丸は、完全に予測していた隊長に、少しの失笑と共に軽々と避けられた。まるで舞でも舞っているかのように避けていた。


「それが、そっち側の総意かい?死にたくない者は、今からでも遅くない、逃げなさい」

「くどいぞ!我々のような大志を抱く者達が、大望を掲げながらも、何も為しえていない貴様のような弱者に敗北するなどあり得ぬ事なのだ!」


 そうだそうだと、老人の部下から声が上がりに上がる。それに乗じて戦意も昂じている。まるで、空気と、このシーンというものが高揚しているかの様に。

 だが、その空気と反比例するかのように、軽トラの中の空気は冷え、心までが凍結してしまったかの様に感じる。


「我々の大志に唾を付けた愚か者に、鉄槌を!」

「「「「「「「「「「「「「「鉄槌を!」」」」」」」」」」」」」」


 奴らが砂埃を舞い上げながら走って来る。おぉおおおおおおおおおおと鬨の声を上げながら、唯でさえ短かった距離を縮めにかかって来る。


「杏子、車を出せ。ドリアまでの道筋は覚えてるよな?」

「了解。多少の犠牲は許容範囲内?」

「僕が散らすから、その中を通って」


 え、突撃するの?この数相手に?正気?


「ね、姉さん。まさかこの中を正面突破しようとか考えては…」

「黙って。私は、多分何人かの人を轢く。奴らが死ぬことはないだろうけど、心の準備ぐらい、させて」

「…」


 そんな覚悟を、この一瞬で決めた?僕たちの分の命まで背負って?つい先日までは楽しく笑っていた姉さんが?

 いみがわからない。


「最後ぐらい、騎士らしく名乗りあいでもしてあげようか?僕の名前は大連雄太郎。君らを散らすよ」

「墓まで持っていけ、弱者。我が名は田仲善十郎たなかぜんじゅうろう。群にして個である我々の総意だ」

「「死ね!」」


 大声で名乗り終えた両者の、殺意が存分に込められた一言が合図だったかの様に、隊長の足元がした。

 そのまま空中で何回転もすると、そのハンマーを地面に叩きつけた。


 勿論善十郎もぼけーっと見ていたわけではなく、先ほどから狙撃をしていた部下、善十郎からすれば同胞に、更に威力の高い銃を使ってでの狙撃を命じた。人間が喰らえば、いくら防弾チョッキが有用だとしても、その衝撃だけで骨を軽々と粉砕できる程の威力の銃でだ。


 あくまで、人間が喰らえばの話でだが。


「りぃいいいいいやあああああああああああああああ!」

「!!!??不味い、避けろぉおおおおおおおおおおお!」


 隊長の落下予測地点にいた箱舟の騎士達は、蜘蛛の子を散らすように大いに焦り、逃げる。息は上がり、全身汗まみれ、あの威容に恐怖で体が竦む。それでも、その行為に走るだけの価値はあった。

 と、思いたかった。


「とっばぁあぁせえええええええええええええ!」

「りょーかぁああい!」


 ハンマーが地面に叩きつけられる瞬間、それは地面ではなく上空に消え去った。それでもどぉんと空気が振動する音が辺りに響き渡り、木は揺れ人の心もグラグラと揺れている。奴らの足がそう言っていた。

 誰もがその衝撃に備え、目を瞑っていた光景は、正直見ていてちょっと面白かった。


 姉さんがあれだけの覚悟を決めていたから、流石に不謹慎だと自分でも思ったけれど。僕は隊長の姿がみるみる内に小さくなっていくのを確認しながら、周りを見渡していた。

 誰も何も言わずに、唯々衝撃に備えるようなポーズを取っている。隊長が丁度良い感じの場所をハンマーの餌食になるはずだった爆心地に選んだお陰で、車道には丁度一本道が形成されていた。


 まるで、時が止まったようだった。


「…もう、奴らの姿が見えなくなりました」

「――――ふぅ、ま、これで一安心ってとこかな。轢かなくてよかった。隊長は多分ハンマー回収して走って来るから、私達もはやちゃんに追いつくよ」


 暫く誰も喋らず、動かなかったこの空間で、会話の一番槍の担い手になれた元引きニート。即ち僕を少しは褒めてくれたって良いんじゃないだろうか。

 女子しかいないこの空間に存在出来ている時点で、相当な進歩だと僕は思うけど。現実は幻想とは違う事をよく知っている僕が。


「ドリアのちょっと外側に着いた。紅里ちゃん、紅剣用意。紗季ちゃん、臨戦態勢。優斗、は…応援準備?」

「僕がチアリーダーになって不快にならない人っているんですか?しかも戦闘中にですよ?」

「野郎、死にやがれ。想像するだけでゲロ以下の匂いがプンプンするぜ」

「優斗さ…優斗。本体であるあなたの分身が紅里ちゃんなら、もしかしてあなたって、ド――」

「言いましたよね?あれは知らない娘だと」

「…あ、はい」


 僕はどうやら、後方支援要員としてあくせく働き、九割九分紅里が発生源の誤解も解き続けなければいけないようだ。


 ――――ぐぉおおおおおおおおおおおおおおん


 そう遠くない距離から遠吠えが聞こえてきた。この国には中々狼は存在していないし、ここは狼の生息地でもない。それに、人狼などの都市伝説がこの辺りにあるとは聞いたことがない。

 唯一、この声を聞いた事がない紗季だけが「まだ死にたくない…私にはお母さんも姉妹もお父さんも…いないんだった…」と、触ったら問答無用で爆発するタイプの地雷臭と悲しさがミックスされているカオス溢れるオーラを纏いながら、怯えて(?)いた。


「これ、呼んでるって事?」

「そうだね。間違いなくはやちゃんだ。多分こっちの方も粗方片付いたと思って戦闘やらなんやらが起きてる場所を教えてくれてるみたい」

「え、これってニホンオオカミの声なんじゃ…」

「絶滅してるし、普通の生き物がこんだけ大きな音を出せる声帯を持ってる訳ないでしょ?」


 ガーン、とそれ程仲も良くないはずの僕たち相手に、分かりやすく感情が顔に浮き出ている紗季を横目に見つつ、はやちゃんが遠吠えをしたと思われる方角に頭を向ける。

 足止めを喰らった時点で九割方確信はしていたけれど、姉さん愛があれ程あるはやちゃんがこっちに合流しに来ないという時点で決定的だ。

 ドリアは襲われている。


「正面玄関は私達の足止めをしてた部隊とは違う、戦闘に特化した精鋭部隊が居座ってるだろうから、裏口からドリアに入るよ」

「え、裏口なんてあったんですか?」

「まさか紗季ちゃんまで知らないとは…。あの所長、本当に趣味で作ってたの…?」


 姉さんによると、所長が過去に紹介してくれたもので「仕事の息抜きに、趣味で作ってみた」と言っていたそうだが、趣味の日曜大工などのレベルを大幅に超えていて、避難経路としては最良だったようだ。

 それを周知させないってどうなってんだ防災防犯意識は。


「それはさておき、その出入口があの明らかに怪しい井戸の中だから、早く入るよ!いざ参るッ!!」

「姉さん?!」

「ウソダソンナコトハァ!」


 姉さんが「ここはひみつのつーろだよー」と書かれている、空き地にポツンと建っている井戸の中に飛び込んでしまった。車を降りてすぐ横にあったため気づかなかったが、作った所長のセンスを疑うぐらい怪しい。

 ついでにこんな時にネタに走った紅里を蹴り飛ばして頭から井戸にぶち込んでしまった。後悔はしていない。


「ひぇっ!よ、良かった、の?優斗…」

「アレ、シラナイ娘。始末スルナラ、今ダッタ」


 冗談と本気が半々に混じったカタコトの母国語を吐きながら、僕は恐る恐る井戸の中を覗き込む。中は暗闇で満ちていて、陽の光など入る余地も無さそうに感じてしまう程だった。

 微かに風が吹く音が聞こえる事からちゃんと通路はあるようだが、こんな所から飛び降りる程の勇気は現代の一般中学生には生憎持ち合わせていない。


「ちょっと、私にも見せて――――!?」


 背に温かい感覚がした。同時に僕の頭髪を冷たい風が撫で上げた。暗闇を完全に覗き込みまた吞まれていた僕は、紗季によって急に釣り上げられた意識に驚き、後ろに振り向いた先にあった調子近距離の紗季の顔に驚いて一歩後ずさった。

 そして、膝ぐらいしかない高さの井戸に躓き、今僕は、地中でのスカイダイビング中なのである。地中でスカイというのもおかしな話ではあるのだが。


 これで死んだら恨むぞ紗季。背中に当たってたのは手だし。僕が変に勘違いしたみたいじゃないか!

 そんな事が考えられる僕は案外、余裕なのではないかと思われるかもしれないがそれは違う。


 目を瞑り、手足を伸ばして壁を押して落下を防ごうとしているが一向に止まらない。それに、この速さでこの時間落ちているのならば、もう人類に掘る事の出来ない深さまで到達しているハズだ。所長ならそんな事もやりかねないが。

 もしかして僕はもう一番下まで落下していて、その場で即死したためまだ落下していると思い続けているのかもしれない。あるいは、今この瞬間がそうかもしれない。

 そうかと思うと、何故か急に笑い声が聞こえて来た。眼を開けと脳が命令し、神経が受諾。僕は自分の意志で目だと思う場所を開こうとすると、馬鹿笑いする紅里が見えた。これが世に言う走馬灯だろうか?走馬灯は人生の記憶がよみがえるものだと聞いていたが、僕の人生の記憶がこれだけなんて失礼にも程がある。

 僕が憤慨していると、走馬灯に音声が付き始めた。最近の走馬灯はやたら高性能になり始めているな。


「ぷっはははっははははははっは!マスター、まぁだ落ちてるって思ってる!馬鹿だ、私にさんざん言ってきた報いを受けたみたいだね!」

「僕の走馬灯はこんな悪趣味じゃなぁい!死ね紅里ィ!」


 こんな走馬灯は無かった。そもそも僕は何も見ていなかった。こうしよう。


「ところで、何で僕は生きてるんだ?」

「そぉんな事も分からないんですかぁー?」

「ほらほら、クソガキムーブしてる紅里ちゃんも可愛いけど、紅里ちゃんも分かんなかったんだからそんな事言わない」


 紅里が絶望のあまりムンクの叫びのような顔をしている。芸術点マイナス百点面白さ百点、合計ゼロ点の完成度、要するに影も形もないが。


 姉さん曰く、ここには超強力な送風機があるらしく(所長自作)、それで高所から豪速で落ちても落下死せずに済む、つまり必需性皆無の作品だ。普通に梯子を掛けるなりエレベーターにするなりは出来なかったのだろうか?


「じゃ、紗季ちゃんが来たら直ぐにこの先に向かうよ。紗季だけに」

「「…」」


 ブリザードが井戸の下から発生したのを感じたのか、その数秒後、紗季が僕と同じような末路を迎え、若干赤面しながら合流した。

 ちなみに、通路には何の仕掛けも無く、ドリアへと続く方の出口は普通にエレベーターだった。やる気消失の歴史が建物に刻まれているのが良く分かる造りだな。


「よし。ここはもう占拠されていると思うから、奴らが隠れているって事はない。だから、出来るだけ物音を立てずに隠れながら進むよ。目標は、はやちゃんとの合流。GPSで位置は確認してあるからそこを目指すよ」

「「「了解」」」


 こうして僕らはエレベーターがたどり着いたドリアの経営棟から、内部をこそこそと警戒しつつ、外を目指した訳だが。


「おかしいわ、これはいくら何でも」

「姉さん?」

「荒らされているのに誰もいないし、気配も感じない。むしろ…外の方が余程賑やかなようねぇ」


 耳を澄ませば、確かに喧騒の音色が聞こえてくる。騒がしさに関してはドリアの経営棟とは天と地ほどの差があるようだ。


「もう隠れるのはやめ。これ以上事態が深刻になる前にあっちに駆け付けるよ。全員構えて。行くよ!」


 瞬く間に立ち上がり消えてゆく背を、殿を紗季に任せながら追いかける。隠れていたからこそかかった時間も、気にせず走れば大幅に短縮することが出来る。ガラス張りの正面入り口まで、そう時間は掛からなかった。


「ちょ、止まるなよ紅里!このガラスの向こう側にいるかもしれないんだぞ!あいつらが!」

「ち、違うよ…」


 いつもとは全く違う、紅里のキャラ設定にそぐわない弱弱しく、掠れた声が喉から漏れる。見れば、姉さんは走っているポーズのまま。その目の動きも吐息も、死んだかのように全てが静止している。


「いるんじゃなくて、…」

「あるってなんだよ、あるって!」


 そんな安い好奇心で、紅里の頭が邪魔で見えなかったガラス張りの扉の向こう側を見た僕は後悔する。好奇心は猫をも殺す?冗談じゃない。猫よりも遥かに簡単に殺せるだろう、人間の心を。


 安い好奇心の対価に受け取った光景は――――


 ――――ドリアの人達が、はやちゃんが血まみれになり、首を掴まれ頭に銃を突きつけられている光景であった。


「は?」


 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない。


 何が起きた?颯斗は?ドリアのあの人は無事か?前田さんは?大丈夫なのか、意味が分からない。頭が、現状を拒否している。


 ――――ばりぃいいいいん


 ガラスが砕け散った。姉さんの拳にガラスの欠片が突き刺さり、血まみれになる。だがそんなことは姉さんにとってはどうでも良かった。ただ、颯斗だけが姉さんにとって重要だった


「…おい、颯斗を返せ」

「ハハッ、俺達を見て最初に言うのがそれか?こいつらの命は今俺達の手の中に――」

「誰がいつどこで貴様らがこの世に生を受け続けられる権利を認めたァアアアアアアアァああぁああぁぁぁああああああ!」


 姉さんが自らの影に消え、姉さんに向かって脅しか牽制のつもりで喋りかけた男の胸から大量の血が流れだした。

 男の胸からは、大ぶりなナイフの刃が生えていた。


「ごふっ、が。お前、こいつらの命が、どうなっても、良いのか?!」

「その前に貴様ら全員を殺せばいいだけだッァあああああああああああ!」


 姉さんが消えたと同時に、逃げようとした男の足が宙を舞った。逃走を選んだ者の足は消え、人質を諦め銃を発砲してきた者は胸から刃を生やし、人質を撃とうとした者の手首はぽろっとゴミの様に地に落ちる。


「助けてくれ!アッシ――――」

「死ねええええええええ!」


 何かに助けを求めるかの様に天に伸ばした手は、影から飛来する刃によって血しぶきと共に散る。まるで助けてくれる者がいるかと分かっているかのように、が、逃げようとするたびに、奴らは足があった場所に血の花を咲かせる。


 気づけば、血が血で洗われる凄惨な大地が、そこには広がっていた。


 痛みで気絶した者が殆どで、今や音は姉さんの呼吸音しか聞こえない。姉さんの力により人質は誰もが射殺されずに助かったが、元々生死不明な者もいる。


「ぁあ、颯斗、はやちゃん。どこ、また、私を置いて、行っちゃうの…?嫌だ、いやだよ。はやちゃん…あぁあぁああああああああああぁぁあぁぁぁあぁぁぁああああああああああ!」


 姉さんの慟哭が響き渡る。颯斗は、奴らがいた場所の中心で、人質のだれよりも多く体中から血を流していた。嫌だ、こんなは、現実認めたくない。僕が冷静でいられたのは、自分よりも激情に突き動かされている姉さんがいたから。姉さんまで崩れ落ちれば、僕の心は泣き叫ぶ事を容認するだろう。


 僕は現実逃避するかのように、目の前の惨状から目を逸らすかのように、後ろを向いた。

 を付けた人間がいた。

 そいつは片手に、どこかで見たことのあるような人を縛り、抱えていた。あの黒い髪、十人いたら十人振り返る事は無いであろう平凡な容姿。だがそれに似合わぬ強烈な瞳が、茫然と開かれている。

 紗季だ。


「ッ?!おま、まてぇええええええええええええええええええ!紅里ぃいいいい、あいつを殺せぇええええええええええええええええええ!」


 灰色のガスマスクは僕と隠れた目があったであろう瞬間目を逸らし、ドリアの方へと走り去った。僕の脚力ではとても追いつけないであろう速さだ。

 だが紅里なら、僕の半身である、『夢』ならば――――!


「御意ぃいいいいいいいいいいいいいい?!」

「ッチ!」


 紅の残像を残しながら振りぬかれた一太刀は、ガスマスクの剣によって弾かれ、その反動と共に奴は消えた。

 消えて、逃げてしまった。


 唯一つ、「母校 来い。話 ある」と書かれた手紙を草地に残して。


 …今の僕らには、その手紙くらいしか、手元に残る物は無かった。

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