崩壊の体育館、そして

 目の前で天井が焼け落ち、バスケのゴールリングが目の前で僕の将来を暗示するかのようにやたら大きな音を立てて破壊されてから約1分、僕は絶体絶命の危機に陥りつつあった。


 30分以内に来てくれるとは言っていたが、その言葉の真相以前にこれ10分も持たないんじゃないか?

 もちろんだが、そこには根拠がちゃんとある。だって、今僕が立ってるところ以外全方位燃えてるんだから。流石にこれで大丈夫って思えるほどおめでたい頭はしていない。


 消火器は一応持っているには持っているが、たった一つの消火器では、歩み寄ってくる火の壁の前の歩みをほんの少し遅らせる程度のことしか出来ない。


「ーーーーーーー!ーーーーーーーか!?大丈夫か!?」

「全然大丈夫じゃあなーい!むしろこれで大丈夫って思えるかアホ戯けー!」

「良かった!大丈夫か!」

「お前が来るより消防士が来る方をよっぽど期待してたよ!」


 全く、友田が何故来たのか意味が分からない。全方位燃えている中で、僕を助けられる方法なんぞ無いはずなのに。

 と言うか、扉崩落してるのにどうやって入って来た?


「いやさ、なんか火の鳥のファイヤーボール?が直撃して、扉焼け落ちただろ?お前が体育倉庫の中に消火器取に行ってたのは知ってたから、まあ即死しただろうなとは思ったけど、最低限俺の手で骨は拾ってやろうと思って消火器ぶっ掛けたら、偶然お前が生きてた訳よ。精々感謝しやがれ」

「お前に感謝伝える前に焼け死にそうだからマジで口より先に手を動かせ労働者」

「命の恩人に対して何たる対応だてめぇ」


 いつも通りの平常運転な友田に安心感を得つつも、彼の火に照らされて少しばかり光る目元を見て、僕には勿体ないぐらいの友達だなとは思った。別に、勿体ないからと言って手放すつもりは一ミリも無いけどね。


 何故か消火器二刀流になっていた友田と消火作業に勤しんでいると、僅かに火の勢いを弱めることができ、僕の脱出の目処も立ってきた。そんな時だった。


「しぃいいねしね死ね死ね死ね死ね死ねぇええええええええええ!」


 ――――うぐぃいいいあいえああああああ


 明らかに体育館をこの惨状に追い込んだ、狂気の力を持っている放火魔の発言が聞こえてきた。もはや生物の物ですらない、怒りの断末魔の悲鳴の集合体のような、憤怒に塗れた火の鳥の声と共に。


「あいつマジでこっちの身にもなってみろってんだ。いきなり体育館燃やして僕の貴重な出席日数削りやがって」

「それはお前が普段から学校くりゃ明日にでも解決する問題だからどうでも良いにしても、体育館燃やすのは本当に勘弁していただきたいもんだな」


 後ろで無差別に炎を撒き散らしながら、絶叫を上げては突然やめ、その次には哄笑をし、静かになるという行動を何回も繰り返している。なるべく気にしないようにしている僕らでも、時々振り替えって確認をしなければえない程の狂気を、肌から感じる。


 いつその狂気の炎の矛先が僕らに向くのかと思い、寒気が背中に走るが、その寒気も四方から迫る熱で溶かされて焦りに代わっていく。

 僕がこの炎の中から脱出しない限りは、恐らくこいつは退こうとしないだろう。もし、それが友田の死因なんかになったりしたら、僕は死んでも死にきれないだろう。特級にはなるね。


 もちろん、特級になりそうな奴が後ろから迫ってくるだなんて、僕らは全くもって想像していなかったけど。


 第一、間宮さんと火の鳥が吐くファイヤーボールだけが脅威だと思っていたのが間違いだった。その矛先は、元々何処に向けられていたのかを考えるべきだった。

 鹿島さんが鬼の形相で走ってきた。


「俺をその中に入れろぉおおおお!俺に逆らうなよ!俺がいるって事がバレたらお前らも道連れだからな!」

「友田、今すぐこっちに来い!死ぬぞ!絶対に後ろを振り返るな!これは振りでもなんでもない!」

「んなこたぁ分かってらぁああああああ!」


 僕が即興で思いついた、残酷、しかし友田を助けるためには仕方がない作戦。


 鹿島さんは気づいていないようだったが、鹿島さんはもう


 狂ったように指を指しながら哄笑を続け、今にも火の鳥にファイヤーボールを吐き出させようとしていた。目標は、最初から鹿島さんだった。


 僕は、鹿島さんだけだったら自分も逃げ出していただろう。しかし、今は友田が居る。殆ど顔を合わせない僕の無事を祈って、涙まで出してくれる彼が。


 見殺しになんて、出来るわけがないじゃないか。


 僕の「炎の中を突っ切って僕の元に来い」という木乃伊取りが木乃伊になるというべきか、本末転倒とも言うべき言葉を信頼してくれた友田には、感謝しかない。

 これで、一人の命は救われた。

 ファイヤーボールが直撃して死ぬという未来を回避した。


 鹿島さんを盾にして。


 しょうがなかった。目の前で、背中を焼かれて苦悶の表情を浮かべながら倒れる鹿島さんを見ても、僕はそう思えた。人間なんてそんなものだ。見ず知らずの同族よりも、無意識の内に親しい者を助けるんだ。

 自分でしておきながら、酷く醜い自己弁護だとは思ったけれど、後悔はしていない。したら、してしまったら、僕の心は罪悪感で容易くひしゃげ、醜いスクラップと化すだろう。


「た、助けて、くれ。なんでも、す、るから」

「おぉっときぃみ達。勿論俺の邪魔をするなよ?あと、間違ってもそこのデカいだけの粗大ゴミみたいなのを拾おうとしないでくれよ?あんなのでも、あれは俺のオモチャなんだ。今までの恨みを、全部晴らして、ぐっちゃぐちゃにぶっ壊してやる・・・!イヒヒ、イヒ、イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 最初、よく顔を見ると、開会の辞を述べた時とは違い、自分の欲望を開放して、世界はもう自分中心に回っているのだとでも思っていそうだ。


 僕が、出来る事ならば一生かかわりあいたくはないタイプの人間になり果ててしまったようだ。強大な力を急に手に入れて、調子に乗らない方がおかしいとは思うけれど。

 自分がそうなる可能性があるんだとしても、嫌いなものは嫌いだ。


「なんで、この体育館まで燃やそうと思ったんですか?そこまでやる必要はあったんですか?」

「おい夢咲やめろ、間宮さんは、今何をやるか分からない。それに、この場での絶対強者は間宮さんだ。下手に質問はしない方が良い!」

「良いんだよ。僕の考えなら、こっちが上から目線でなけりゃ別にいいはずだ」


 先ほど、間宮さんを説得しようとした教師は、自覚は無いだろうが、上からの立場で少しの優越感を持っていた。自分より立場が上という事と、自分を見下しているという事が彼の中ではイコールで繋がっているのだろう。


 どれだけ自己中な上に、人を見下したいんだよとは思うけど、質問をするんだったら、こちらが下手に出れば良いだけだ。御しやすいといえばそうかもしれない。


「うぅん?ああ、体育館ね。そんなに熱くないから忘れてたよ。で?それがどうしたの?別にこんな立方体に穴開けて多少付け加えただけの建物なんて、燃やしちゃっても別に大丈夫でしょ。この粗大ゴミ共の処刑場としたら、上等すぎるぐらいだよ」


 僕らは、何というか、唖然とするよりも怒るよりも、呆れた。もっと文章を最適化すると、考えるべき事のスケールがデカ過ぎて、頭が全く追いついていないというべきかもしれない。


「・・・犠牲者が出るとは、思わなかったんですか?」

「え?犠牲者・・・ああ、言われてみれば、人間この空間にいたんだっけ。同じ種族だとは思わなくってさ。君らも分かるでしょ?君らはこの状況にしては賢明な判断をしてたっぽいしね。泣き叫びながら逃げ回るあいつらが、人間だってぇ、きぃづかないだろぉ?」

「・・・もし犠牲者が出ていたら、どう思いますか?」

「そりゃあ、そこに転がってる粗大ゴミ、いや違うなもう生ゴミか。とりあえず、その生ゴミみたいに逃げ回るしか出来なかった、つまりはそいつらも生ゴミだったて事だろぉ?」


 やはり、ある意味期待通りと言えば期待通りの回答が戻って来た。完全に、元々嵌っていたはずの頭のネジが、ぶっ飛んでしまっている。じゃなけりゃ、さっきまでそんな事が出来そうになかった人が、人を生ゴミ呼ばわりして殺しにかかるなんて事はあり得ない。

 僕は、僅かに友田の方を向いて、顔を横に振った。そして、どちらも火の中心に残された僕らは黙々と消火活動に勤しんだ。

 ・・・人が焼けた臭いと、徐々に小さくなっていく絶叫を感じながら。


 僕らは、無言だった。


 絶叫が遂に聞こえなくなると、ずっと狂笑を続けていた間宮さんが、急に黙った。そして、ニタァと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、僕らの方を凝視し始めた。一体全体、なんなんだ、この男は。


「君たちさぁ、大島と飯沼を連れてきてくれないかな?先輩からのお願いさぁ。あのクズ共は、この俺の為にあるようなフィールドから逃げ出せないけどさ、無いも同然の脳みそを使ってこそこそ隠れてるわけじゃん。だから、あの馬鹿共を騙してここまで連れて来てくんないかい?生ゴミが別の要因で死んじゃうのは困るわけさ。死体を嬲ったってなにも面白かぁないだろ?」

「…それで、連れてこないって言ったらどうするんですか?」

「ん?もぉちろん、先輩を裏切るなんて真似はしないだろうけど、まぁ、連れて来てくんないんだったら、俺からすれば君らの前に転がってる生ゴミと価値は同じだから。偶然、八つ当たりで死んだって俺は何にも思わない」


 クソッ、確かに恐怖で体が竦んで動かなかったけど、なんであの異常な場から一刻も早く脱出しようと思わなかったんだよ。隣の友田に至っては、顔を真っ青に染めて絶望に暮れている。

 そりゃ仕方がない。他人を騙して自分が助かるか、騙さずに大人しく死ぬかなんて、そもそも選択肢の提示方法が間違っている。


 どっちも嫌に決まってんだろうが!


 友田の脇を軽くどつき、その手から零れ落ちた消火器で僕も晴れて二刀流デビューすると、第三の選択肢を達成するために、一次条件をクリアしに掛かった。


「分かりました。でも、このままだと外に出られないので、火を消すのを手伝っていただけると幸いです」

「ふぅん。良いよ。『消えろ』」


 怖気が波となって体を襲った。体の中を素早く通り、全身の産毛が逆立った。毛が逆立つなんて事は、比喩でしか使われないんだろうと思っていたが、違う。これは生物としての恐怖を、僕の本能が感じ取っている。

 何か、強大過ぎる力が動いた気がした。


 気がした。


 僕らの周りを囲み、じわじわと炙り殺さんとしていた火の壁は、丁度僕らを囲っていた部分だけごっそりと消え去っていた。


「途方に暮れたみたいな顔してるけど、俺が出したものだよ?俺が戻せるのは当然じゃないか?」

「…そ、う。ですね」


 僕らが揃いもそろって絶句している中、間宮さんは自分の後ろを指して言った。


「ほら、君たちは生ゴミを探し出して騙すのが仕事なんだから。行っておいで」

「はい…っんぐおらあああああああああああああああ!」


 そう簡単にやってやっかーよ!

 多少呆けていたものの、自分が本当にやらなければいけない事を忘れたわけではない。

 先輩に、という事を。


「ああ゛?!君も、助けてあげると言ってあげた君たちでさえも!俺を裏切るのかァあああああああ!」

「最初から味方だなんて一言も言ってませんよ先輩!友田ァ!」

「応!」


 抜群のコンビネーション、とまでは言わずとも、何も知らない友田が、僕の掛け声一つで道を突っ走って消火器で周りが何も見えなくなっている間宮さんに助走の付いたボディーブローを食らわすのは流石だと思わないか?

 それにしても、友田は従者根性が染み込み過ぎな気がする。


「ぎぐぅ、カハッああ。畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ぉおお!燃えろ!燃え上れぇええええええええ!」

「持ってるのを忘れないでほしいねぇ!」


 そう、友田から奪った消火器は。ファイヤーボールにもギリギリ耐えきれる消火器を、まだ一つだけあいつは持っているのだ。

 それを撒き散らしながら、こっちが怖い位の速度で逃げ出してきた。流石すぎるな。


「はぁあ、はぁあ。なんで、燃えない、死なない。俺は、この場の、絶対強者なはず」

「逃げっぞ!まだ出口が燃え尽きてないはずだ!」

「りょ!」


 煙幕代わりに消火器を地面に撒き散らしながら、僕らは逃げ出した。まあ、このまま上手い感じに進めば、外で消防車とかの放水の音が聞こえるから、余程のヘマをしない限りは大丈夫だろうなと思っていた。

 その時の僕は、順調に進んでいていい気分になっていたのかもしれない。ヘマは、という事に気づかなかったのだから。

 僕のヘマ。それは―


「調子に飲んじゃねえよクソガキ共がァあああああああ!死ねええええええええええええ!」


 ー間宮さんを、甘く見過ぎた。


 今回は、ファイヤーボールを僕らに向かって吐いてくるのではなく、天井に向かって乱射し始めた。結構な広範囲に万遍なく吐いている。あいつ頭おかしいのか?ここが崩れたら、お前ごと死ぬんだぞ!


 ――――ギィイいいいいい・・・バキッ


 遂に炎の猛威に逆らえなくなったのか、天井を支える鉄柱が軋み声を上げ、所々鉄柱が折れるという人生でなかなか機会がないような音色を響かせている。

 頼むから、僕らが逃げ出すまでは持っていてくれ!


 ――――グシャ


 無理だった。僕らの頭上には、今にも僕らを押しつぶそうと迫る鉄柱が在る。それも、一つや二つではなく、視界を覆いつくすほど。

 今から、どんなに逃げても死ぬだろう。間宮さん・・・間宮は、滅茶苦茶に火を放っていたし、それも落ちてくるのは鉄柱だけではない。鉄柱よりは軽いとはいえ、コンクリート製の天井も付いてくるのだ。


 これが、『詰み』ってやつか。


 思っていたよりも、幾分か早く訪れたな。僕の想定だったら、中学卒業して高校に行かず、大学に行けず、そこから緩やかに詰みに向かっていくと思っていたんだがな。流石に、想定の範囲外だ。

 ふと、最後に道連れにしてしまって申し訳ないという気持ちも込めて、友田の方を向くと、見たくもない奴の顔が見えた。


 間宮は、目を見ながら


 ふと、怒りが沸いた。僕が、友田と共に最後になってしまう瞬間を過ごそうとしたのに、そこに下品な笑いを携えながら現れた奴に。諸悪の根源でありながらも、悪びれも無く笑っている奴の姿に。


 そして何より、こんな奴に『詰み』に追い込まれた自分自身に。


「――えに、お前なんかに!殺されて堪るかァあああああああああああ!」

「おーけ!じゃ、ぶっ潰してきまっす!」

「―――は?」


 激憤に染まった僕の頭は、場違いにも程があるような軽い声によって脱色された。誰だ?誰が何をやって何を起こした?


「あーりゃ、こりゃ邪魔なわけっすな。とりまぶっ飛べ!」

「危な・・・い?」


 ――――ガキィイイイイイイイン!


 背後で何かがジャンプしたように感じ、反射的に叫び声を上げたが、完全に無駄だった。

 というか、意味がなかった(同じこと二回繰り返してるだけ。それだけ僕の脳内は混乱しているんだ)。

 金属同士がぶつかり合う耳障りな音と共に、僕らがスクラップになる道を確約してくれていた鉄柱と天井は、ぶっ飛んだ。


 正直言って全く意味が分からないが、取り合えず助かった事には変わりはない。視界の端っこで今更音に気づき、あほみたいに硬直している間宮を見て「ザマァ」と思いながら、模範的日本人として礼を言おうと思った次の瞬間。僕は間宮の事を笑えなくなった。


 


 彼女(?)は、日本人離れしている美貌を持ち、しかも赤髪に緑色の眼という非常に珍しい特徴を持っていた。

 この時点でなかなかお目にかかれるものではないが、真似できないこともまぁない。無理だろうが。

 しかし、彼女には真似しがたい特徴があった。真似するのならば、それこそ法律を犯す必要性が出てくる。


 


 それも、刀身が全て紅に染まり、体育館を呑む炎を受けて、妖しく輝く魔性の刀を。

 恐らく、信じがたい事だが、この刀で鉄柱を両断したのだろう。その鋭さは、どれ程なのだろうか。多分、僕くらいなら豆腐みたいにスパッといけるだろう。

 この刀にしてこの女、とでも言うべきだろうか。


 あんまり僕が呆けていたものだから、痺れを切らしたのか、彼女はコミュ障な僕を相手に口火を切った。それも、最初からとんでもねぇ内容の。


「で?君が私のマスターってわけすか。ま、私ぁ大した事出来ないと思いますが、これからよろしくお願いしゃす」

「・・・うん?はい?」


 この時の僕の驚き様と言ったらない。目が某猫型ロボット作品の主人公が、眼鏡を掛けなかった上に、後ろから母の怒鳴り声が聞こえた時にする目だった(全部想像です。てかそんなんあったら見てみてぇよ)。


 まず、マスターって何?店主とかそういう事?あと、君どっから現れた?ついでにそれ銃刀法違反だぞ早く隠せ!呼んでないけど多分警察来るから!あと、あと・・・この状況っていったい何ですかいな!


「ま、あそこの人?張っ倒してから話しましょうや」


 状況が状況だからか、完全に忘れていた間宮だが、今思い出した。

 衝撃的過ぎたのか気絶している友田に驚きながらも振り返ると、顔を真っ赤にしてキレている間宮が、火の玉を放とうとしていた。


「そ、そうですね」


 何とかなるだろ。

 それだけを思って、僕らに与えた恐怖を、倍にして返す戦い蹂躙を始めた。

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