第2話 魔女と呼ばれた私の学生生活 1

 石造りの城砦を前に、リドリーは立ち尽くしていた。


 岩に埋もれかけ、背後の崖と同化したような異様を晒している城砦は、リドリー達が見学に来た史跡だ。

 崖崩れで落ちたらしい岩のせいで、物見の塔はつぶされ、中を突き破ったらしい岩が壁を壊して露出している。


 昔は建物の外観がほとんど見えなくなっていたのだが、歴史学者やそれを支援する貴族たちの力で、建物だとわかる程度に岩を取り払ったのだという。


 城砦は魔女の存在した頃の建物だ。

 今を去ること三百年前、ラナフォルト王国には魔女がいたといわれている。

 魔法で雷を落とし、使い魔を従えて傍若無人に振る舞う魔女は王国をも支配し、民衆たちの反抗によって滅ぼされた。


 当時その魔女を匿った変わり者の貴族がいた。

 その貴族は失踪してどうなったのか記録は残っていないが、一時は史跡としてとても注目されたものだという。


 もちろん、十六歳になったばかりで学生という身分のリドリー達が見たところで、新たな発見などできるわけはない。

 それでも当時の生活や魔女とのかかわりについて想像を膨らませる助けにはなる。


 時折吹く風に、リドリーの長く伸びた金の髪が揺れ、紺色のスカートも小さくひるがえる。この堅苦しい色は、今リドリーが通っている学院の制服だ。


 一緒に来た同じ研究室の先輩たちが何かを話しているが、リドリーはじっと城砦を見上げ続けていた。

 その視界に、白い綿毛のようなものが映る。よく見ればそれは白い子猫だ。


 子猫は、鳴きもせずに岩の上でうずくまっていた。

 陽だまりの中で、艶のない白い毛がそよ風に揺れている。顔は前足の上に伏せたまま、身じろぎすらしない。


 おなかが空いて動けない?


 リドリーは首をかしげる。

 確かにこんな森の中、しかも木の実の恩恵も乏しくなった季節ともなれば、食べる物もそうそう見つからないだろう。


 毛艶や痩せ具合からそう考えたリドリーは、そっと子猫に近づいた。

 今はもう秋だ。じきにもっと寒くなるだろう。

 こんな状態では冬を越せないかもしれない。母親は……辺りにはいないみたいだ。自分のように、この子猫も親を亡くしてしまったのかもしれない。


 親。

 その事を思い出すと同時に、親族の『この魔女め』という罵声が記憶の底からひっぱりだされた。


 嫌な記憶だけれど、忘れられない。

 そう呼ばれる原因は、八歳で両親を亡くした時の出来事だ。

 両親のみならず盗賊も残らず息絶えたのに、リドリー一人が生き残った事件のせい。

 おかげでリドリーは、引き取られて行った叔父家族に気味悪がられた。

 どうにかやっかい払いしたがった叔父家族は、そのほかの親族の監視の目をそらすため、王都の学院にリドリーを放り込んだのだが、リドリーにとっては幸運だった。


(この遺跡を見たら、魔女についてもっと詳しくわかるでしょ)


 魔女と呼ばれてから、むしろ魔女について興味が湧いていたのだ。

 だから学院で、魔女についても調べられるようになったので、リドリーは喜んでいたのだ。

 そのままぼんやりと魔女について思いをはせ始めた。と、そこへ。


「リドリー・シェトラン!」


 背後から怒鳴られて、リドリーは文字通り飛び上がる。


「ひ、ひゃいっ、ケネス先輩っ!」


 身体を反転させると、すぐ背後にリドリーと同じ紺地の上着を着た青年が立っていた。

 彼はリドリーと同じ王都の学院へ通う二学年上の先輩だ。どんな人でも堅苦しく見せることのできる紺色のジャケットが、誂えたようによく似合っている。


 金の髪を揺らして近づく彼を見て、思わずリドリーは一歩後ろに退く。

 目を逸らしてしまいたかったが、つり上がった青灰色の瞳が『人の目を真っすぐに見て話しを聞け』と口よりも雄弁に脅している。


「リドリー君、春にうちの研究室に入って以来、私は君に様々なことを注意してきたと思う。その中で一番多かったのは何だった?」


「え、えと……」


 確か最初に注意されたのは「仮にも女性なら寝癖くらいは直して来なさい」だったはず。生まれて初めて「玉ねぎ色の髪」と言われたので、よく覚えている。

 故郷では「麦藁頭」と言われていたので、新しい表現法だと軽く感動したものだった。


「次は確か、転んですりむいたら『はしたない』って言われて、次が木登りしてたら『大人としての自覚が足りない』って言われて、その後は……博物館で、四回ほど『よそ見をするな』って言われたような」


 ケネスに指を開いた右手を突き出され、リドリーは灰青色の瞳をめいっぱい見開く。


「五回だよリドリー君。新学期になってすぐだ。君に研究室の場所を案内した時も、君は窓から見える鳥の巣に夢中になって、きちんと後についてこなかった」


 彼は一つため息をついて続ける。


「君も十六歳だろう。今は中の見学に関する注意を話していたのに、なぜ聞けないんだ? 学業のために活動している間ぐらいは、よそ見をせずにいられるように自分を律するべきだと思わないか?」


「はい、あの、すいませんケネス先輩……」


 リドリーはうなだれた。

 誰かがくっくっと笑い出す声にちらりと視線を上げれば、ケネスの隣に立っていた青年が笑っている。肩を震わせる度に首元で結んだ長い白金の髪が揺れていた。


「カール。叱っている時に、笑って邪魔をするなといっているだろう」


 ケネスが苦言を呈するのにもかまわず、カールはくすくすと笑い続けている。

 彼の綺麗な顔が笑みをつくると、引き込まれるような魅力を放つ。笑い方も嫌味が感じられなくて、どこか上品だ。


「悪かったよ、ケネス。君が乳母か家庭教師みたいに子供をしかっている姿が面白くて」


「乳母だって……?」


 ケネスは顔をしかめたが、


「ほら、早く行かないと日暮れまでに調査が終わらないよ。レンテも待ってる」


 すかさずカールが告げた言葉に、ケネスはため息をついた。そして背丈をゆうに超える岩が散乱する背後を振り返った。

 そこには長い黒髪の女生徒が立っている。リドリーと同じ紺色の上着とスカート姿の彼女がレンテだ。病気休養したらしく、リドリーと同学年でも年齢は二歳上だ。


「仕方ない。行くぞ」


 ケネスはさっさと遺跡に向かって歩きだす。

 それを見送りながら、カールがリドリーに言った。


「彼は怒り出すと話が長いからね。でも、今日の調査の大切な説明をしていたんだし、きちんと聞かなくてはいけないよリドリー」


「はい、カール先輩」


 水色の瞳を細めて微笑みながら叱るカールに、リドリーは素直に答えた。そこへレンテがやってくる。


「先輩の言うことに間違いはないわ。さ、行きましょう」


 二人に促されてリドリーは歩きだす。

 レンテはさっさとランプを持って、カールと並んで城砦の中へと入っていった。昔から交流があるとかで、二人は仲良しなのだ。


「リドリー君、中に入るぞ!」


 ケネスに呼ばれ、リドリーは彼と並んで史跡の中へと踏み込んだ。

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