春蒔きの一年草

@ramia294

  

 育てては、いけない。

 それを土に、戻してはいけない。

 それは、一年草の種。


 その植物は、本来ペットを飼う環境にない人たちのために、食虫植物を遺伝子レベルで、品種改良されたものだった。


 慰めと温もり。

 それだけのために、作られたはずの植物。

 

 ゆっくりとこの世界に広がっていく、その植物。

 ゆっくりと社会生活の破綻者と愛に殉ずる者を増やしていった。


 善意の開発者を裏切るその植物。

 育てる者の血液を微量奪う。

 引き換えに注入された物質は、脳細胞を僅かに壊す。

 壊された脳細胞は、植物の実への強い執着を生み出す。

 それは社会適応力を奪い、最終的に植物を育てる者を衰弱死に追い込む。

 

 その植物を政府が危険視、栽培を禁止した一年前の事、僕はその植物の種を手に入れた。

 



 低い賃金と残業ばかりの日々。

 休日出勤を終えて帰る、ひとりきりの部屋。


 疲れていたのだろう。

 孤独に負けた僕は、その頃、既に問題になりかけていたそれを植木鉢の土の中に沈めた。


 それは、偶然手に入れた。

 

「これが最近話題の種ですよ。育ててはいけませんが」


 何処から手に入れたのだろう?

 思い出した。

 あの時、取引先の社長が、笑って僕に差し出した。


 春の陽射しが、眩しいリビングの窓。

 大きな植木鉢に、堆肥でフカフカの土とたっぷりの元肥で満たした。

 貰ったひと粒を埋めたその種は2日後には芽を出した。


 仕事に忙殺される僕は、土が乾かない様に、気をつけるだけで精一杯だった。

 それでもその植物は育ってくれた。


 双葉が本葉になる。

 高い空の太陽が、若葉の季節の訪れを告げる。

 その植物は、リビングの窓からの眩い光を受けて、どんどん成長していった。


 梅雨が、僕の家の小さな庭をキャンバスに、緑の絵の具を含んだ刷毛を走らせる。

 降り続く雨を窓の外に見て、その植物も順調に大きくなった。


 湿った空気の最終列車が、この街を去っていく。 


 本格的な夏が来たその日、植木鉢の植物に、小さなツルがその姿を見せた。

 真夏の光を浴び、元気よく伸びていく緑色のツル。

 追肥を施すと、小さな蕾が膨らんだ。


 アトモドリノデキナイ キョウカイセン


 ようやく取れた夏休みの中、ツルの先端に一輪の花をつけた。

 その花は、帰って眠るだけだった部屋に、優しい香りを提供してくれた。

 その香りは、遠い日の夏の風に吹かれる少年だった頃、ダンボールの猫を拾い叱られた思い出を運んでくれた。


 ボクハ キョウカイセンヲ ハンポフミダシタ


 花は、やがて実となる。

 球形だったその実は、形を変え始める。

 3日後、

 それは尖った耳、

 茶と白の毛皮と小さな針のような爪。

 儚い鳴き声。

 そして、僕をキトンブルーの瞳で見上げる小さな猫になった。


 ボクハ キョウカイセンヲ コエタ

 

 身体が手のひらに乗る大きさだという事と長いツルの尻尾で植物と繋がっているところが本物の猫と違う。


 頼りない足どりで歩くその姿が、危なげで目を離せない。

 ナナと名付けたその仔猫は、僕の体温を求めて、小さな声で鳴く。


 ボクハ シゴトヲ ヤスンダ


 仔猫用のミルクを温め、僕の指に垂らした数滴を口に近づけると、吸い付こうとした。

 シリンジに装着した細いゴム管でミルクを少しだけ与えた。

 栄養は、植物本体からツルを通して足りているはずなので、本当は必要ないはずだ。

 それでもミルクを与えると満足そうに眠る。

 座った僕の膝の上で眠る。


 ナナを飽きずに見つめる僕。

 夜が、短かく過ぎていった。

 

 三日目には、足どりも確かなものになり、鳴き声も大きくなった。

 ツルの長さだけが、ナナの行動範囲であったが、その中で僕の姿を見つける事が出来ないと悲しそうに鳴いた。

 ナナは、僕にその頬を擦り付ける。

 小さな額を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 僕の体温を求めているのだろう。

 膝の上によじ登る。

 針の様に小さな爪が、ズボンを通し皮膚に食い込む。


 ボクハ シゴトニ イカナクナッタ


 一週間も経つと、仔猫用ウエットフードに喜ぶ様になる。

 季節を置き去りにする様な速い成長の意味を僕は、頭の中から追い出した。

 植木鉢に水と追肥を切らさない様にする時以外ナナから離れない。

 

 ボクハ シゴトヲ ヤメタ


 二週間も経つとナナも成長して、絶えず僕の姿を求めなくなった。

 毛皮の茶色が少し増えた。

 それでも、甘える事に間違いない。

 相変わらず、膝によじ登る。

 相変わらず、爪も食い込む。


 少し出かける。

 忙しくて、使っていなかったので、預金額はそこそこにあった。

 失業保険を申請して、大量のインスタント食品を購入して、帰る。


 深まる秋。

 足元の落ち葉が、カサカサと震える。

 冬の訪れの予感は、頭から追い出しても、追い出しても、床から冷たく素足に伝わる。


 ナナは、成猫となった。

 相変わらず身体を擦り付け甘える。


 カサッ!


 踏みしめる落葉の音が、ナナの動きに伴う。

 ツルの緑が、茶色く変ってきた。


 トイレやお風呂で、部屋を離れると寂しそうに鳴くナナ。

 どんな時も僕の姿を求めるナナと、

 どんな時もナナの姿を求める僕。


 最近は、以前より甘える様になった。

 さらに、茶色い部分が増えた。


 どんな時も歩みを止めない季節。


 11月も深まる。

 ナナは、ウトウトと眠る事が多くなった。

 本体の植物の葉はすでに落ち、繋がれたツルと同じく、既に茶色く変色している。


 ツルが切れ落ちる時、ナナの存在も消える。

 どんなに小さな猫に思えても、ナナは一年草の実なのだ。

 

 12月まで、3日を残した朝。


 ツルが切れていた。

 ナナは、僕の膝の上で動かなくなった。

 身体は茶色一色になり、その色は濃くなった。

 丸く眠る姿は、そのまま。

 動かない植物の実に戻った。


 僕は、

 流れる涙が頬を濡らした事に、気づいた。

 声をあげている事にも、気づいた


 慟哭の意味を知った朝。


 何時間、泣いていたのか、

 何日、動かなかったのか、

 何度、この部屋に朝日が差し込んだのだろう?


 時間の感覚を喪失した僕が、ようやく動いた時、かつて僕が最も愛したナナだったその実から、あのカサカサという音がした。


 ナナの丸く眠るその形すら崩れ、僕の目からは、再び涙が溢れたが、その時、それは現れた。


 その植物、

 その一年草の種だ。


 拾い上げる、その種。


 ボクハ ムコウガワカラ モドレナクナッタ


 大切にそっと種を手のひらで包み込む。

 ナナの温もりを探ってみた。

 

 気づけば、涙は枯れていた。

 僕は立ち上がる。


 春蒔きの一年草。

 来年もう一度ナナに会うために、

 僕は立ち上がる。


 ボクハ スデニ フミコエテイル


 これからは、ナナに再び出会うためだけに、あの植物を育てるためだけに、生きていく。


 テレビでは、あの植物の事をニュースで取り上げている。 

 植物を育てた者は、例外なく衰弱死した事が判明したらしい。

 政府は、正式に植物を育てる事を禁止した。


 しかし、誰が何と言おうと、僕は種を持っている。

 どんな事をしてでも、ナナの心を守らなければならない。


 そして再びナナに出会うため、


 アノ ショクブツヲ ソダテル


 痩せて、力の入らない足で、

 ふらつく僕は立ち上がった。


           オワリ

 

 

 

 


 

 


 

 





 


 




 

 




 

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