第28話 メアリー先輩はとどめを刺しすぎ

 ──午後。


 結果から言うと、大事になった。

 アリスとのことに浮かれて、ここが異世界だということを失念していた俺が全面的に悪い。とても反省している。

 そう、そもそも「キャンプと言えばカレー!」などという浅はかな考えが、きっと良くなかったのだ。


「大変なことになったわね……」

「調理実習であんなもん作ったら騒ぎにもなるわ」


 我が『メルクリウス』が実習で使っていた鍋は、駆け付けた『錬金術科』の面々に持ち去られてしまった。

 どうも、俺がキャンプグッズの一つとして持ち込んだ『ヴァーモンド・ヴォンカレー』は長らく記録に残らぬ正体不明な『勇者パーティの野営飯』の一つであったらしく、持ち去られた俺のカレーはこれから再現可能化実験の材料に使われるらしい。


 俺はアリスに手料理をふるまいたかっただけなのに、どうしてこんなことに……!


「ま、単位貰えたからええとしようや」

「それだけが唯一の救いだよ。すまなかったな、二人とも」


 調理実習は初年次生のみなので、メアリー先輩はいない。

 少し食い意地の張ったメアリー先輩があの場にいたら、もう少し険悪な空気になっていた可能性は否めないが。


「ほな、わいはここで失礼するで」

「あれ? 寮に帰らないのか?」

「ちょっと野暮用や」


 そわつくバルクを見て察する。

 どうやら、彼も意中の女子とうまくいったようだ。

 今のところ紹介してもらってはいないが、同じ冒険者科の先輩らしいことはわかっている。


「それじゃ、また明日な。バルク」

「あいよう。ほな!」


 急ぎ足に歩き去るバルクの背中をしばし見送って、俺とアリスは寮を目指して歩き出した。

 どちらからとなく自然に手を繋いで、ゆっくりと夕日に染まる学園を行く。

 隣に好きな人がいるというだけで、何と幸せな気分になれる事か。

 かつて「爆発しろ」などと念じてしまったリア充諸氏よ……俺が悪かった。


「ん?」


 寮に続く道すがら、植物園のそばに差し掛かったところで見知った人影が、道を遮った。


「ゲルシュ先輩?」

「よぉ、アリス」


 声をかけた俺のことを無視して、相変わらず素行が悪そうな目をアリスに向ける。

 以前は彼の態度をそう気にしていなかったが、あの時とは俺も立ち位置が違う。

 手をつないだままアリスを背後にかばって、俺はゲルシュ先輩に向き直った。


「何かご用ですか?」

「モヤシ野郎、お前に用はねぇンだよ」

「では、アリスに何の用ですか?」

「お前に言う必要あンのか? ねぇだろうが」


 わかりやすく凄むゲルシュ先輩であるが、もう威圧感は感じない。

 冒険者としての実績を上げたことで自分に自信がついたのもあると思うが、おそらく俺が『殺し』の経験してしまったからだ。

 命の取り合いをして生き残ったという生々しい実感が、殺意すら薄っぺらいゲルシュ先輩の威嚇を生ぬるく感じさせているのかもしれない。


「アリスは俺のパートナーです。少なくとも虚言を拡散しちゃう人とは話してほしくないですね」

「てめぇ、そンなこと言っていいのかよ?」

「?」


 口元を歪めるゲルシュ先輩は、どこか余裕ぶった空気だ。

 さて、俺は何か弱みを握られていたっけ?


「アリス、そいつはなぁ……魔王ルイスの生まれ変わりだって噂があンだ。確かな筋の情報だぜ?」

「はぁー……そんなワケないでしょ」


 苦い顔をしたアリスが、盛大にため息を吐く。

 それが気に入らなかったのか、ゲルシュ先輩はさらに口調を荒くして、俺を指さした。


「中央議会が動いてンだよ! オレの親父は中央議会にいっから知ってンだ。学園の初年次生に魔王の生まれ変わりがいるってよォ。そいつしかいねぇだろ!? 魔族でもなきゃ、おかしいだろうが!」

「事情通なのはわかりましたけど、俺じゃないですよ」

「他にも情報源はある! オレは詳しいンだッ!」


 そう言って、ゲルシュ先輩は隠し持っていたらしい警棒のような物を構える。

 鉄の棒を革で包んだ『ブラックジャック』と呼ばれる武器だ。


「アリスから離れろや、魔族野郎」

「だから、俺は違いますって」

「テメェを叩っ殺せば、オレは英雄だ! ンでもって、アリスだってオレに惚れ直すッ!」


 そんな甘い話があってたまるか。

 拙い殺気を伴って踏み込んできたゲルシュ先輩の顔に、腰から抜き放った投石紐スリングを打ち据える。


「ぶがッ!?」


 たたらを踏むゲルシュ先輩から少し距離をとって、小さくアリスに振り返る。


「念のために確認するけど……惚れてたの?」

「そんなワケないでしょ。冗談言わないでよ」


 その言葉を聞いて、心底ショックを受けたらしいゲルシュ先輩が顔を抑えながらふらふらとこちらに歩いてくる。


「ウソだろ? アリス、オレはよォ──」

「近寄らないで。わたし、先輩のことが嫌いよ」

「ウソだ、そんな……わかった、そいつに脅されてるんだろ?」


 なかなか前向きで都合のいい解釈だ。

 こうも自分に自信があるのは、少しばかり羨ましく感じないでもない。


「そいつは魔王の生まれ変わりなンだぞ! 危険分子なンだ! こっちにこいよ、アリス! オレが守ってやる!」

「絶対にお断りよ。わたしの恋人を悪く言わないで!」

「は……? 恋、人……?」


 俺とアリスの顔を交互に見て呆けた後、再び怒り出すゲルシュ先輩。

 その目には、何処か陰鬱で危険な光が灯っている。


「魔族野郎に騙されてンだ!」

「いいかげんにして!」

「オレが助けてやる! そンで、オレが……英雄だァ! ──あ?」


 叫びながらこちらに踏み込もうとしたゲルシュ先輩の右足──そのくるぶし辺りを、突然デカい針のようなものが貫き、地面に縫い留める。


「いてぇぇッ!?」


 うずくまって悲鳴を上げるゲルシュ先輩。

 そんな彼を傍目に、俺達の隣に頼れる方の先輩がするりと姿を現した。


「もう、遅いと、思ったら……」

「メアリー先輩!」

「どういう、状況?」


 首をかしげるメアリー先輩に、ゲルシュ先輩が激昂する。


「てめぇ、メアリー! 何しやがる!」

「あなた、こそ。ボクの仲間と、恋人に……何する、気?」

「そいつは、魔王の生まれ変わりなンだ! 敵だぞ!」


 俺を指さしてがなるゲルシュ先輩。

 ここが、人のいる場所でなくてよかったと心底思う。

 少し前に広まった悪評というのが、未だに俺から人を遠ざけているくらいなので、ゲルシュ先輩の妄言が広まれば大変なことになる。


 それに、魔王関連のあれこれについては、まだ極秘事項だ。

 それをこうもペラペラと吹聴されては、いろいろと問題が大きい。


「あなた、バカ?」

「は?」

「タキが、そうなら、もう死んでる、よ? 今だって、手加減、してもらってるのに」


 メアリー先輩の冷めた視線に、ゲルシュ先輩が小さく息をのむ。


吸血山羊バンパイアゴートのときも、そう。あなたは、弱いのに、どうしてそんなに、自信満々なの? 不思議」

「オ、オレが弱いだと?」

「事実、弱い。大きな声と態度で、誤魔化してる、だけ」


 これはなかなか辛辣だ。

 さすがのゲルシュ先輩も、黙り込んでしまった。


「冒険者は、実績が全て。単位すら足りない、あなたは、弱く、劣っている」

「なっ……!?」

「一年前にも、言った。あなたには、雄の魅力を、感じない」


 あんなに威勢が良かったゲルシュ先輩は、すっかりうつむいて意気消沈してしまっている。

 おかげで、軽く戦闘態勢だった俺の心までしぼんでしまった。

 

「ボクも、アリスも、もうタキのもの。今後は、ボクらに、近づかないで」


 そう言い放ったメアリー先輩が、俺とアリスの手をくいくいと引く。


「いこ。時間の、無駄」

「そうね。なんだか、しらけちゃったし。ほら、タキ君」

「あ、ああ。それじゃあ、行こうか」


 二人に手を引かれるまま、俺はゲルシュ先輩の横を通り過ぎる。

 うつむいたままの彼は、一言も発さないままその場でうずくまり続けた。

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