終章 憎き堅牢な城塞都市

第17話 口づけ未満の覚悟


 紆余曲折を経て。

 仇敵サディークに無事奴隷として買われた二人に、ついに潜入の時が訪れた。

 

 奴隷軍人養成所のあった小都市シパルルから、北西方向に馬で半日と少しの距離。サディーク朝の首都ハルペへの移動は、これまでのそれと比べると比較的小旅行で済んだ。


 青空の下見えてきたその街並みは、非常に壮麗だ。どこもかしこも白っぽい……象牙色アイボリーのレンガで統一されており、複雑に入り組んだ街並みはいかにも初見の人間を迷わす造りだった。


(何も知らずに入り込んだら、すぐに迷って敵に捕まりそうだなぁ)


 単一の色で出来た街は、どれだけ進んでも明確に景色が変わったように思えない。しかし現地の住人は慣れた様子だ。何を目印にしているのか、すたすたと目当ての場所に向かって歩いていく。元騎士のヤヌシュは馬に跨り街を進みながら、その計算された都市の造りにひたすら感心しきりだった。


「凄いなぁ……イラーフ系文化の奴らに、こんな高い建築技術があったのか。だからかつての十字紋騎士たちも、そう簡単には落とせなかったんだな」

「おいおい、馬鹿にすんなよ。ここいら一帯を牛耳るセルチュク帝国といやぁ、泣く子も黙る一大勢力だ。サディーク朝はその一部。それでも並の戦力で落とせる国じゃない。舐めてると死ぬぞ」

「ホントだな」


 周囲に気取られないよう西方語で話しながら、君主サディークのあとを追い、いざ敵の本陣たる城内に入る。二人の馬は遠出慣れしている。少し出発が遅れたくらいじゃびくともせず、悠々と本隊に追いついてここまで来たのだ。

 

 がつ、がつ、がつ。

 

 ハルペの城は小高い丘の上にある。さらに周りには堀が掘られており、これら二つを越えて城に入るためには、今彼らが歩いている南方の通路……たった一つの橋を渡るしか無い。非常時には敵の進路を固定する、よく出来た作りだ。馬が蹴立てる石橋の音を聞きながら、ヤヌシュは周囲を興味深げに見回した。


『馬はこちらに繋げ。まずは仲間の所へ案内してやろう』


 門をくぐると、中はこれまた広々としている。一面砂地ではあるが、小高い丘の上に小さな街が広がっている、そんな印象だ。言われた通り門の傍らの厩舎に馬を繋ぎ、さらに奥を目指す。彼らが進む先には、石造りの宮殿がある。


(仲間……)


 ヤヌシュは内心、なんとなしにその言葉を復唱した。ついにここまで来た。情報を探すにしても、サディークを殺すにしても、今回は本格的に仲間が必要になる。しかも主君殺しを恐れない、互いに心から信頼しあえる、本物の仲間と呼べる存在だ。……もうハドリー一人に頼り切りになるわけにはいかない。自分でも積極的に人付き合いをしなくては。小さく気合いをいれる。


 サディークが音を立てて門を開く。


『……お前たち、新しい仲間だ。予定より多いが二名。白人のヤヌシュ、黄色人のハドリー。仲良くするようにな』


 彼と共に宮殿の正面玄関をくぐると、


『────』

『……!?』


 まるで人間で通路を作るように。左右二列にずらりと若い男が並んでいて、度肝を抜かれた。白人。黄色人。褐色人。うわ、犬頭。獣人も居る。皆一様に、ヤヌシュとハドリーを睨みつけている。どうも二人は歓迎されていないようだ。ヤヌシュは思わずハドリーの服の裾を掴んだ。

 

(すごく……敵意を感じる……)

(だいじょぶだいじょぶ、集団なんてどこもこんなもんだ。これから仲良くすればいいから。

 とりあえずここの仲間は大事にしろ。告げ口されてソッコー終わらないようにな)

(こわっ)

 

 じっとりした視線に晒されながら、小声で会話する二人。するとサディークは、この空気に気づいているのかいないのか。カラカラ笑いながらヤヌシュの腰を抱いた。


『全く、そう怖い顔をするな。こう見えてこいつらは養成所出身のエリートだぞ。お前たちよりずっと強い。下手な気を起こすと殺されるから気をつけろ』


 ……いや、その前にお前のお触りをどうにかしろ。尻。腰抱くフリして尻肉触ってる。ヤヌシュの顔が引きつる。こいつ、本当にとんでもないな。こんなにたくさんの部下が見てる前で新人の尻を触るとか……自分の下劣な人間性をひけらかして恥ずかしくないんだ……。


 ヤヌシュが何も言えないまま黙っていると。

 ぐい。ハドリーがサディークの手を掴んで放り投げた。

 

『?!』


 ヤヌシュとサディークが、同時にハドリーを見る。彼はすぐに視線を反らして誤魔化すのかと思いきや、意外にもそうしない。こちらをしっかり見つめ、サディークに敵意を向けていた。ピリリとしたその空気。サディークはそれまでの和やかな表情を引っ込め、低い声を出した。


『何をする、いち奴隷の分際で』


 多数の奴隷を従え、強欲で執念深いと有名な雇い主を前に。ハドリーは一歩も引かない。

 

『お言葉ですが、サディーク様。イラーフ教は奴隷にも人権を与える慈悲と平等の宗教と聞きました。

 なれば、雇い主の立場を振りかざして奴隷に手を出すのは、教義に反するのでは? 唯一神様も呆れますよ』

 

『貴様……!!』

 

 鮮やかな反論だった。それを聞いた奴隷たちの間に、驚嘆と失笑の空気が流れる。気に食わない。そんな顔をしたサディークは、一歩脚を引いてハドリーを蹴り飛ばした。


『!』

 

 衝撃音。ヤヌシュが、奴隷たちが、息を呑む。


『………………!』

『今回は許してやる。だが次楯突いたら許さんぞ。無能な部下は要らんからな!

 おい、パスカル。残りの説明はお前に任せた。城を案内してやれ。私は他の仕事をしてくる!』

 

 サディークはよほどこの空気の居心地が悪かったのだろうか。一言言い残し、単身つかつかと歩き去ってしまった。驚きのあまり動けなかったヤヌシュ、そして凛とした眼差しのハドリーが残されて。

 サディークの姿が完全に見えなくなった瞬間、ヤヌシュは弾かれたように相棒を見た。

 

『……おまッ、何やってんだよ……!

 死にたいのか!?』

 

 さすがに初日からそれはねーだろ、焦らせるな!! 顔面蒼白のヤヌシュがハドリーに掴みかかると、ハドリーは極々真剣な表情で相棒を見つめ返した。その声は酷く真剣だ。

 

『違う。いいか、イラーフ系文化、宗教、軍事勢力のただ中に居る今、西方出身のお前の味方は俺だけだ。だから他の誰でもない。俺がお前を、守ってやる』

 

 ドドドどストレートな言葉に、思わず固まるヤヌシュ。それを聞いた周囲の奴隷たちは喜色満面。一斉に口笛と喝采が巻き起こる。え、ウケてる……?


『何々お前ら、見せつけてくれるじゃん。どういう関係?』

『戦場で会って以来、ずっと親友なんだ』

『仲いいなぁ』

『まぁな』


 次々浴びせられる質問に、何故か得意げに返すハドリー。待て待て。ヤヌシュはその合間になんとか言葉をねじ込む。


「何これ、どういうこと」

「なぁに、今後のことを考えると俺達が『そういう』関係だって周りに思わせた方が、色々都合がいいだろ?」


(あの日、一人で飛び出してったと思ったら、あの野郎をで落としてくるなんて全く予想外だったけどな)


 小声でハドリーが笑って。


『お前はサディークのお気に入りの立場を守る。俺はお前の貞操を守る。俺が勝手にやることだから、お前にはヘイトがいかない。完璧』 

『…………くそ…………!』


 そう言われると、悔しいが確かにそうだ。あの時「自分から仕掛けた」のだから、いざサディークから来た際「拒む」のはおかしなことになる。そこでハドリーの出番。「こいつのせいですみません」と言っていれば、表面上は角が立たない。


 でも、そんなことを続けていたらハドリーはどうなる?


 ヤヌシュの心臓がきゅうと縮こまる。


『仮にそれで俺が守られるとして、じゃあお前は? 危なくないのか?』

『俺は戦での仕事ぶりを充分知られてる。おいそれと首は切られないはずだ』

『そんな……』


 言い募る彼に、ハドリーは一向に顔色を変えない。随分と自分の仕事ぶりに自信があるようだ。そんな彼はむしろ得意げに。にやりと笑って相棒を見つめる。

 

『嫌か? こういうの。俺は別にかまわないんだぜ』


 そう言って、彼はぐいとヤヌシュの腰を抱いた。身長差およそ5センチ。少しだけ相棒より背が高い彼は、まるで女にするように熱っぽくヤヌシュに触れた。

 

「お前の悲願を叶えるためなら、これくらい」


 もうすぐ唇が触れる。そんなキス未満の距離で。ほとんどの仲間にわからないよう、西方語で。ハドリーが小さく囁く。


「お前はここに何をしに来たんだ?」

「……父様たちの、行方を知りにきた」

「それ以外は些細な事だろ?」

「そうだ」


 深い宵闇色の瞳に、金髪灰目のヤヌシュが映っている。真っ白だった彼の肌は日焼けと皮めくれを繰り返し、ぼろぼろになってしまった。それでもヤヌシュに後悔はない。ここに来るために、恥もプライドも捨てた。今更こいつとデキてるフリをすることくらい、一切問題ない。


 決めた。そうだ、ここまで来たんだ。もう後に引けない。失敗も出来ない。前進、そして成功あるのみ。ならばどんな手を使おうと、今更恥を重ねようと、やりきるしかないのだ。ヤヌシュはハドリーの覚悟に応えることを決意し、強く頷く。


「わかった。これからよろしく頼む」

「おうよ」


 なんだなんだ。突然始まった二人の世界に有色人種の奴隷たちがざわめく中。二人が何を話しているかわかる西方出身の白人奴隷たちは、小さな驚きと共に二人を見つめた。


 悲願。父親の行方を知りに来た。

 ──こいつらは一体。





 

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