第16話 感傷に永遠の別れを
「ハドリー!! 俺たちサディークに買われることになったぞ! 友人も一緒にって頼んだら、それでもいいってよ!」
「えええマジかよ、そんな簡単に話まとまるぅ??」
ついに最終ミッション。元騎士のヤヌシュと相棒で傭兵のハドリーは、仇敵サディークの元へ転がり込むことが決まった。よくよく晴れた、風の静かな秋。実に心地よい気候は、彼らの新たな出発を祝福しているようだ。
宿舎の自室にて、ヤヌシュが次々と私物を鞄に放り込む。
ゆるくウェーブした長い金髪。鋭い光を秘めた灰色の瞳。中性的で美しくも、精悍な顔立ち。よく鍛えられ、すらりとした白磁の肉体。黒地に赤い刺繍を施した、丈の長い民族衣装を身に纏っている。
一方隣のハドリーも、黙々と荷造りをした。
屈強な体に白と黒を基調とした衣装。よく焼けた黄色の肌、漆黒の短髪。顔面右から斜めに大きな傷跡があり、もうすぐ10代も終わりという年頃。紺の瞳からは鋭い理性と溌剌とした人格が同時に感じられる。
どこに出しても恥ずかしくない、知性と筋力を兼ね備えた完璧な奴隷軍人候補。その二人がついに、ここを去る日がやってきた。
(なんか、ドキドキするな……)
ついに大願を果たす日が来た。ヤヌシュは嬉しそうに腰に剣を挿し、明るい表情を浮かべている。だが相棒のハドリーは不安を隠しきれない。あまりに話が早い。なんだか上手くいきすぎている。このまま相棒を送り出していいのだろうか。
「……いいか、お前があいつと何話したか知らねぇけど。ここからは絶対に気を抜くなよ。一瞬の油断が命取りになる。仮に何か嘘をついたんなら、完璧にそれをつき通せ。それがきっとお前を守るから」
真剣な表情、そして声音。ヤヌシュは相棒の珍しい態度に目を丸くし、こくりと頷いた。
「……確かに、これからは命がけか。上手く、やらないとな」
「ああ。お前なら大丈夫だと思ってるけど」
「………………ありがとう」
むしろ、こうも信頼を寄せられる方が不安になるかもしれない。ヤヌシュは傍らのハドリーの手を強く握りしめ、小さく呟いた。
「…………主よ、我らを守り給え」
「はは、俺の手を握ってそれを言うのか」
ハドリーは笑ったが、ヤヌシュは本気だ。
さぁ、ついに。宿敵の元へ下る日が来た。
行かねば。
『サディーク様、支度が整いました』
『ふむ、そいつがお前の友人か……ん?
お前、いつぞやの狂犬だな。妙な縁もあるものだ』
『ええ、彼とは戦場で会いました。身の上話をしてたら意気投合しまして』
『……ふん。いいだろう、二人まとめて面倒見てやる』
奴隷軍人養成所、その中庭。ここは簡素な造りの宿舎と違い各種要人も訪れるため、実に美しく綺羅びやかだ。太いアーチ状の柱に支えられた建物はまるで神殿。パーツのほぼ全てに精緻な文様が描かれており、あまりにも豪奢。認めたくないが、西方の建築にも決して引けを取らない存在感だ。
そんな建物に四方を囲まれたここは、西方の城で言う玄関ホールに近い空間。門をくぐって即現れる場所。だから、誰か人を待つならここで間違いない。のだが……
二人を待っていたサディークは、随分と沢山の従者を連れていた。ざっと10人ほどだろうか。その中には小柄な白人の少年も居る。恐らく奴隷……使用人的な存在だろう。これは顔合わせの意味合いもあるのか? 二人が訝しんでいると。
『ヤヌシュ。ハドリー。今日からお前たちは私の新たな奴隷だ。では行こうか──と言いたいところだが』
『……?』
『時にヤヌシュ。お前、ずっと私の下で働きたかった、と言っていたな。それは何故だ?』
『え、? 貴方に、憧れているからです。強くて、勇猛で、同じ男として尊敬するからです』
『……そうか。では、
西方の騎士として私を殺したいから。ではないんだな?』
『……!?』
唐突な質問。ゆったりと笑みを浮かべているサディーク。その表情はまるで、こちらの素性をズバリわかっているようだ。やはり気づいている? ……だとしたら何故?
ヤヌシュは一瞬身を固くした。ハドリーが不安そうに隣の相棒へと視線を送る。ヤヌシュは小さく息を吸い、吐いて、きゅ、とサディークへ向き直った。
『……サディーク様、何故そのような質問を? 私の言うことが信じられない、と?』
『なぁに、さっきお前に触って気付いたんだ。良い鎖の首飾りをしているな、と』
(な……!)
さっき厭らしく撫で回してきたのは、そういう意味合いもあったのか。普通の庶民は金属製の装飾品を身に着けない。居るとすれば、それは一定以上の金持ちだ。
『私とて間抜けではない。自分に言い寄ってくる人間が何者かくらい、よーくわかっている。……ああ、お前の腰の剣。実に立派だ。高そうだなぁ』
『…………』
『ましてや、私はハッキリ覚えているぞ。あの日、シャルファを燃やした日。一人だけ馬に乗って逃げた男が居た。部下がいくつも火矢を射掛けたが、一つも当たらなかった。大した馬術の持ち主だ』
『……………………』
『ヤヌシュ。その名は本当に、お前の名か?』
……完全にこちらのことをわかっている。どうする。一息にあいつの息の根を止めに行くか? 焦燥感が理性を狂わせる。
(……駄目だ)
ふいにハドリーが小声で話しかけてきた。目を合わせず、口もほぼ動かさぬまま、ヤヌシュに静止の言葉を告げてくる。
(耐えろ。どんなに揺さぶられても素性は話すな。とにかく目的を達成出来ればいいんだ、嘘をつき通せ)
真っ直ぐに前を向くハドリー。正面のサディークは静かに笑っている。
『なぁヤヌシュ。私が憎いか。殺したいか。
ならばお前の美しさに免じて、チャンスをやってもいいぞ』
『え……』
『私の、そしてこいつらの眼の前で、一糸纏わぬ姿になれ。その後の態度によっては、全てを赦し
『…………!』
『昼も夜も、私の元でよく働いてくれるのだろう? ならばこれくらい朝飯前だな?』
にんまりと持ち上げられた唇。人を小馬鹿にした態度。……そういう、ことか。ヤヌシュは唇を噛んだ。サディークの傍らに控える従者たちが冷笑を浮かべている。金髪の少年のみ、一切の笑みがなかったが……あるいは彼も、こうして奴隷に加わったのかもしれない。
生きるために。彼なりの信念に基づいて。
『………………』
『どうした? 出来ないか? ああ──もしかしてその首飾り。改宗の掟を守らず、意地汚く残しておいた十字架だったりするのかな?
それはいけない。今すぐ捨ててもらわないと』
『……………………』
『ヤヌシュ、どうした? 私に憧れていたなど、真っ赤な嘘だったのか』
『……ヤヌシュ』
大仰に身をすくめるサディークと、心配そうなハドリー。ぐらぐら揺れて、だが。ヤヌシュはごくりと唾を飲んだ。
今、プライドを捨てさえすれば、こいつの寝首をかくチャンスが巡ってくる。
恥をかいたって。今だけ。今だけだから。
『……おっ』
ここでヤヌシュは、静かに胸元に手をかけた。はらりはらり、前合わせを解いて服を脱いでいく。剣を下ろす。上着を捨てる。シャツ。パンツ。下着。そして。
『ははは、いい身体だ。ブーツも脱げ』
言われた通り、最後にブーツも脱ぐ。ヤヌシュは裸足を土の地面に下ろし、見事に全裸になった。こいつ、本当にやりやがった! サディークの従者がげらげら笑っている。陽の
『……さて、その首飾り。やはり十字架か。汚らわしいゼウス教の信徒め。殺さないだけありがたいと思え。それを捨てろ』
サディークがこちらを睨んでいる。だがヤヌシュは引かない。小さな声だが確かに、眼前の男に言い返す。
『……これは、母の形見です』
『ほう?』
『決して宗教的な意図はありません。だから捨てなかったのです。どうか、これだけは……母の思い出だけは、手元に残すことをお許し下さい』
さすがに声が震える。これは自分の心。そして騎士の矜持の全てだ。自分はここまで何をしに来た? 弱きを助け、神に身を捧げ、異教徒を討てと言われて東方に来たのだ。家族を奪われ、鎧も売り払い、その上でこれを捨てることだけは絶対に許せない。
『サディーク様。……お願いします』
どうする。迷いに迷って。ヤヌシュはゆっくりと膝をついた。今だけ。今だけ。さらに頭も下げ、完全に平伏の姿勢を取る。
これで、真に大切な信仰と思い出を守れるなら。安い。はずだ。
真っ白な身体を小さく折り畳み、仇であるサディークに頭を下げたヤヌシュの姿を見て、傍らのハドリーは息を飲んだ。一方サディークは、つまらなさそうな表情。ふん、とため息をついて。
『駄目だ。そんなに大切ならなおさら、私のために捨ててもらおう。お前はマザコンか?』
そう言うと、サディークは大股で二人に近づいてきた。じゃり、じゃり、じゃり。ヤヌシュのすぐ眼の前に立ち、彼を間近で見下ろし。
ごり。
ヤヌシュの金髪を、地面につけた頭を無遠慮に踏みつけた。
『………………!』
『ヤヌシュ。私の言うことが聞けないか。そうか、ならば死ね。母の思い出とやらが守れて良かったな』
強くヤヌシュの頭を踏みつけたまま、チャキリ。サディークが腰の宝剣に手をかける。ヤヌシュはぶるぶる震え、一言も返せなかった。これまでか。だが、これ以上神ゼウスと騎士である自分を愚弄されるなら、いっそここで──
「諦めるな」
ふいに、鋭い声がヤヌシュの耳に届いた。ハドリーだ。気がつけば、相棒と同じように膝をつき、頭を下げている。彼の小声が隣から聞こえる。
「今、こんなに辛いならもう死んでもいーやとか思ってたか? ふざけんな。それで親父さんたちが、西方の仲間が喜ぶと思ったか?」
「…………」
「これはもうお前一人の問題じゃない。ゼウス教と西方の民全員が舐められ、馬鹿にされてんだ。簡単に折れてんじゃねぇよ。言っとくけど──」
ハドリーは一度言葉を切り、そして告げた。
「一々言いはしなかったけど、俺もゼウス教の信者だからな。俺達アルメイアの民は代々西方に与して生きてきた。だから、こんなとこでお前に匙投げられちゃ困んだよ」
「………………ッ」
踏ん張れエッケハルト。
最後、ここだけ極々小さな声で告げられた。瞬間、ヤヌシュの瞳に小さな炎が灯る。
そうだ。今、真に大切なことは何か。
仲間のために。家族のために。
なんとしてもこいつの首を取ることだ。
そのためには?
(俺のつまんねぇプライドなんて、今は捨てろ……!)
『……サディーク様』
『なんだ?』
『すみません、やはり私が愚かでした。こんな物は、貴方に仕える喜びに比べれば泥も同然。今すぐ捨てさせてもらいます』
『……ふふ、そうか。では』
『はい。ご覧下さい』
ヤヌシュはそう言って、するりとサディークの足の下から抜け出した。裸のまま立ち上がり、晴れやかな笑みを浮かべて。
金の鎖を引きちぎった。バチン、パラパラ。そのまま十字架を地面に落とし、駄目押しとばかりに足で踏みつける。
『……どうです。ご満足いただけたでしょうか』
『………………。ふん。まぁ、合格にしてやろう』
ヤヌシュが告げると、サディークは満足げににたりと微笑んだ。そのまま地面の十字架を拾い、従者の元へ帰っていく。……ああ、なんて無防備な背中。今この瞬間、刃物を突き立ててやりたい。ヤヌシュは内心ふつふつと滾る思いを抱えたが。それは、今じゃない。なんとか堪える。
『……ふふ、面白い見世物が見られた。実に良かったよ。ではヤヌシュ、ハドリー、今から支度を整えてハルペまで来い。私達は先へ行く』
『はい、また』
サディークから声をかけられ、返事を返したのはハドリーだった。ヤヌシュはただ、呆然と去りゆく彼らを見送る。そして。
「…………………………」
がくりと膝が折れた。裸のまま地面に座り込む。もう居ない。誰も居ない。もう、
「…………もういいよな?」
「エッケ、」
「…………ぅ、
ううううう、うううッ……」
ずっと我慢していた感情が、涙となって外に溢れた。項垂れて地面を見つめ、ただ静かに嗚咽を漏らす。悔しい。悔しい。悔しくて、死にたい。ぶるぶる震えた。素っ裸にされて、大切な十字架まで踏んで、俺は一体、何をしているんだ。
「ッ、くそ、くそ、くそ…………!!!!」
「エッケ、よく耐えたな」
「
咄嗟に叫び、拳まで振り上げたが。ふっと心配そうなハドリーと目が合った瞬間、どうにも耐えられなくなってしまった。
「ぅく、う……、わぁあああああ!!!!!!」
そうしてヤヌシュは、エッケハルトは、ぎゅうとハドリーに抱きついた。自ら壊してしまった。大切な十字架。奪われてしまった。ずっと大事にしてきたのに。家族の思い出が。騎士の誇りが。神への信仰が。大切な何かが。たくさんのものが、音を立てて壊れた気分だった。
「うあああああ、こわした、おれが、じぶんで、だいじなのに、じゅうじか、かみの、おれは、なんて、」
「落ち着け。真に信仰を捨てなければ、神はお前の覚悟を許してくれるよ」
「じゅうじか、ずっといっしょだったのに、これじゃもう、きしにもどれな、くににかえれな、わたしは、」
「大丈夫。例え十字架が無くても俺が居る。
国に帰れなかったら俺が、ずっと隣に居てやるから」
大粒の涙がぼろぼろ零れた。エッケハルトの灰色の瞳が涙で赤みを帯びる。ハドリーはきつく相棒を抱きしめ、ゆっくり頭を撫でた。
「大丈夫。苦しければ泣いていい。落ち着くまでずーっと。一緒に居てやるからな」
穏やかな声音。ゆっくりと移る温もり。それはまるで、母から子へ向けたような慈愛そのものの姿だった。
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