第15話 この身捨てても


 1145年、10月。

 

 奴隷軍人養成所への入所から半年。二人は騎兵としての実力を存分に身に着けた。ヤヌシュはさらに弓の腕を磨き、騎馬民族出身の同期にも負けず劣らずの腕となった。一方ハドリーも両手離しで馬に乗れるようになり、弓も剣も、槍も扱えるようになった。


 元々戦闘センスの高い二人である。いかに敵国の人材といえど、きちんと指導してくれる人間が居れば、それなり以上に伸びるのだ。正直、ここに通えたことは今後のために非常に有用だった。ヤヌシュは、そしてハドリーさえも、内心ここに来て良かったなぁ、と思う講義内容だった。


 さて、ここまで来ると、奴隷見習いたちの関心事はいくつかのトピックに集約される。


 すなわち、自分がきちんと卒業資格を得てここを出られるのか。今後雇い主が誰になるかである。


 イラーフ系世界において、奴隷の行く末は様々。ましてやここを出る人材は存分にエリートとして扱われる。彼らは日々、自分の夢と今後の目標について話し合った。


『は〜、そろそろ卒業かぁ』

『いいとこ行けるといいなぁ』

『俺は国の支配者アタベク目指すんだ!』

『うおー、夢でかぁ!』


 彼らは肩書きこそ「奴隷」だが、その顔は皆一様に明るい。話題はやがて、同期の中でも抜群の存在感を誇った二人の行く末に移っていく。

 

『なぁなぁお前らは? 行きたいとことか、やりたいことってあんの?』


 傭兵経験豊富なハドリー、そして真面目さと器用さを兼ね備えた期待のルーキーヤヌシュ。二人はついに待ちわびた瞬間を迎えられる喜びを噛み締めつつ、お互い。そして彼らの事情を知る者たちのみで、密かにアイコンタクトを交わした。

 

『何、俺たちの希望はここに来た時から決まってるんだ』

『へぇ、何々?』


 ヤヌシュの鋭いグレイの目が。ハドリーの深い闇色の瞳が、それぞれきゅうと細められる。


『……俺達はこれからも二人一緒だ。

 サディーク様の所へ行きたい』


 すると周囲の一同から、おおおと感嘆の声が上がる。

 

『へぇ〜、ガッツあるなぁ』

『確かに、今勢いあるもんな〜』

『頑張れよ、お前らならきっとやれるよ』

『またどこかで会ったら、仲良くしてくれよな』

『…………』


 同期の面々は、すっかり円満な別れを想定して声をかけてくる。

 違う。違う。お前たちと俺達は、本来相容れない。敵なのだ。

 仮に同じところへ行くならいざ知らず。きっと、いくらかの時を経たあと、彼らと再会するとしたら。


 きっと、敵と味方に分かれるだろう。


 それでも二人はあえて反論しなかった。ここの思い出は思い出として、大事にする。あえてそこに水を差す必要はない。出会わなければそれもまた一興。互いに幸せな人生を送れるはずだから。

 

「……ああ。そうだな」


 さぁ、二人の長い長い計画もいよいよ大詰め。養成所の講師によれば、今後しばらくは入れ替わり立ち替わり富豪や権力者がここを訪れ、奴隷を見繕い買っていくという。サディークが来るのはいつになるだろう。そもそも来るのだろうか。いや、もしここへ来たら……誰かを買うと言い出したら、その時は。

 ヤヌシュとハドリー、2人で頷きあう。

 きっと、彼らにとって勝負の時となるだろう。









「ハドリー、何してるんだ」

「んや?」


 そんなある日。ハドリーが窓の外をしきりに眺め、そわそわしていた。季節はもう10月。比較的温暖な気候のこの地とはいえ、秋はそれなりに寒い。何も無いならそこの窓を内布で塞いで欲しいのだが。


「ん〜〜、いや〜〜、別にぃ」

「別に、って言うならそこ閉じてくれよ。寒い」

「えーー、ん〜〜、んーーーと」

「なんだよ、歯切れ悪いな」


 ここ最近の二人は講義も全て終わってしまったので、暇を持て余して宿舎に立てこもっていた。仮に日々外を眺めていても、特に面白い変化は起こり得ない。晴れているか曇っているか、風があるかないかくらいなのに。


 ハドリーは窓辺で長い手足を投げ出し、顔に走る大きな傷をカリカリとかいた。冬に向けて少しずつ湿度が上がる昨今、そこが痒いようだ。光を吸い込む漆黒の短髪。ほんの少し青みを帯びた暗い瞳。小さな窓から差し込む細い秋の日差し。何をどう見ても、ハドリーがそわそわ外を見るような理由は思いつかないのだが。


 ハドリーの傍らには、まるで女のように淡い金髪を伸ばしたヤヌシュが座っている。そろそろ切ろう、もうすぐ切ろうと思って早数ヶ月。サディークに拾われるならさっぱりと切った方がいいのか、むしろ長い方が喜ばれるのかわからないな、と思っている間にこんな長さになってしまった。

 

 それはともかく。二人が並ぶと、さながら顔のいい男女が並んでいるようにしか見えないのだが……その片割れ、ハドリーが。意を決したように唇を開いた。


「エッケ、聞いたか? もうすぐ、ついに、俺達のお目当てサディークがここに来るらしいぞ」

「本当か……!?」

 

「嘘なんか言わねぇよ。で、それがいつ来るかわかんないらしいんだ。気になるだろ?

 奴が来たらいの一番に馳せ参じて、俺達を買ってくれってアピールしたいじゃんか。他の誰でもなく、俺達を連れて行ってくれるように」

 

「……確かに」

「だからつい、外が気になるんだよな。いつ来んのかな。それとも宿舎じゃなくて広場に居た方がいいのかな」

「…………わからない」


 サディークが、来る。その情報を聞いたら、確かに居ても立っても居られない気分になった。小さな窓。そこから見える外の世界。


 運命の日、シャルファ急襲からもうすぐ一年。

 憎きサディークが、眼の前に現れる。


 どきどきと心臓が高鳴った。ヤヌシュは思わず胸元を掴む。服越しに、彼の心の支えである十字架を握る。もし今日、明日、明後日。そいつが現れたら。正気で居られるだろうか。


 父様と兄様を、魔導師を返せ。


 胸ぐらに掴みかかったりしないだろうか。


「……………………ッ………………!」

「大丈夫。大丈夫だエッケ。もし本人が来たら、お前には会わせない。きっと憎くて憎くて、まともな行動が取れると思えないだろ? 交渉は俺に任せろ。いつぞやみたいに、上手くどっちも連れてってくれるよう頼み込むからよ」


 ハドリーが穏やかに語り、ヤヌシュの。エッケハルトの頭をゆっくりと撫でる。すっかり弟か犬かという扱いが板についてしまったが、まぁ。今更だから否定もしない。


 だがそれはともかく、交渉は俺に任せてくれというのはいただけない。これはエッケハルトの戦いだ。ハドリーは巻き込まれただけだ。だから、頼むなら自分。恥を偲ぶのも自分と決めていた。


 させない。ハドリー一人に危ない橋を渡らせたりしない。サディークはじっくり、丁寧、念入りに復讐をすると決めているのだ。もし本人と相対しても、確かに不安は残るにしても、しくじったりしない。ここまで何ヶ月もかけた。付き合ってくれたハドリーに報いる意味でも、必ず。成功させる。


「…………、…………、……………………」

「……お」


 ひょいとハドリーが覗き込む先、窓の向こう。誰かの話す声が聞こえてきた。来客か?


「「!!」」


 来客だ。二人は弾かれたように部屋を飛び出した。誰かなんてわからない。それでも確認せずに居られない。


「こらエッケ、お前は部屋に居ろ!」

『ふざけんな、お前にやらせるか。これは俺の問題だ、俺が片付ける!』

「おい、待て!!」


 ハドリーが止めようとする眼の前で。エッケハルトは一気に加速し、彼をまいた。現在宿舎三階。来客があるなら、広場は西方向だ。


 俺がやる。俺がケリをつける。

 全ての因縁を、俺が。


 階段を何段も飛ばしながら下を目指し、結果ぐんぐん地上が近づいてくる。ハドリーの姿は見えない。別の方向へ向かった? まさか。


『……はい、ではこちらです。どうぞご自由にご覧下さい』

『ああ、すまないな』


 来客と講師が話している。こっちだ。

 知らない人間の声を目指して、外に飛び出す。


『…………ッ、あの……!』


 はぁ、はぁ、はぁ。

 長い金髪をかきあげ、息をきらせてまろびでた先。そこに立っていた男は。


『ああヤヌシュ。丁度良かった。お前、サディーク様の所へ行くことを希望していたよな。お忙しい身なのにわざわざ来てくれたぞ、挨拶するといい』

「…………!!!!」


 サディーク。本人。ついに。ずっと待ちわびた男が。

 眼の前に。


『……ほう。この男、私の元に下りたいというのか。実力は如何ほどだ?』

『今年の出来の中でも指折りです。白人ながら抜群に馬術が上手く、どんな武器も使いこなします。ここに来るまでしばらく、傭兵をしていたそうです。実力は申し分ないかと』

『ふむ』


 サディーク朝統治者、イムティヤーズ・サディーク。ここ奴隷養成所に通う間、何度も名前を聞いた。


 原色のガウン。白いローブ。白いターバン。ゆったりした衣類を着ていても存分にわかる、厭らしいまでに肥えた身体。浅黒い肌にこ汚く長い髭。腰には立派な宝剣。


 この時代、この男は他の誰と比べても気炎万丈の存在感があっただろうが。何をされても憎い仇としか見えないエッケハルトにとっては、全てがマイナス要素にしか見えなかった。


 これみよがしな成金。汚らわしい男。

 許さない。


 それでもそんな感情はおくびにも出さない。

 エッケハルトはふわりと金髪を靡かせて膝をつき、そっとサディークの手を取った。


『ずっと、ずっとお会いしとうございました。

 ヤヌシュといいます。

 どうか貴方のお側に置いて下さい』


 美人と評判の母に似た、そして騎士として傭兵として鍛えた鋭さをも兼ね備えた、華やかなかんばせ。ここで活かさずどこで使う。エッケハルトは音がしそうに豊かなまつげを瞬かせ、柔らかな灰色の瞳をにこりと弧にした。


『サディーク様の活躍を耳にして以来、もし奴隷として働くなら、貴方のような勇猛で力強い方の下がいいと思っていました。、必ずお役に立ちます。ぜひご一考ください』


 くたびれてがさがさのサディークの手を持ち上げ、そっと口づける。こんなもんで寝首かけるなら存分に安い。エッケハルトはそう高をくくっていたが。


『……白人か。つい最近、お前に似た男を見かけたな』

『!!!』


 思わず。弾かれたように顔を上げてしまった。

 しまった。

 こんな単純な手に乗ってしまうとは。

 嘘かもしれない。罠かもしれないのに。


『シャルファ伯国を知っているか。一年ほど前に私が燃やした』

『……いえ。存じ上げません』

『白い肌の住人を何人も捕縛した。お前の知り合いはそこに居るかな』

『すみません、わかりません』


 小さく言葉を返し、なんとか穏やかな笑みを顔面に貼り付ける。あまりにもピンポイントすぎる情報。こいつわかっているのか。それともでまかせか。


 サディークはにやりと笑みを深くした。ついで、眼の前のエッケハルトの白い首筋に触れる。するするとその手を彼の胸元に滑り込ませ、耳元に唇を寄せてくる。


『ヤヌシュ。昼も夜もと言ったな。……期待していいんだな?』


 ぴちゃぴちゃと汚い音がする。気持ち悪い。

 

『……ええ、もちろんです。お望みなら今すぐにでも』

『ふふ。随分な度胸だ。気に入った』

『────!』


 気に入った。その一言に。

 気取られないように唾を飲み込む。


『ありがとうございますサディーク様。

 叶うなら貴方が死ぬまで、私をお側に』


 ふわりと微笑んで。

 エッケハルトの鋭い敵意は、胸の中のみに。 

 




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