第13話 その視線の先は


 1145年、5月。

 奴隷軍人養成所での生活を始めて、2週間ほどが経った。

 その間ハドリーは相変わらず、と言うべきか。

 あっという間に同期の顔と名前を覚え、親しく会話するようになった。


 一方のヤヌシュは、こちらも相変わらずだ。

 一対一で誰かと話す場面になると、つい尻込みしてしまう。

 なのでいつもハドリー越しに人付き合いし、しかしそれで満足していた。


 何故ならここは、仮の居場所だから。

 本当の目的は、サディークの元で奴隷になることだから。


 別に友達が欲しくてここに居るわけではない。

 楽しい生活を送りたくてここに居るわけではない。


 復讐。


 ただその二文字を果たすために。





 

 

『イラーフ教は奴隷にも人権を与える慈悲と平等の宗教。

 雇い主の立場を振りかざし、奴隷を痛めつけることは教義に反します。

 貴方たちが今後無事奴隷軍人になった際、雇い主より何か理不尽な行為があれば、必ず周囲に相談して下さい。皆が貴方を助けるでしょう』


(へぇ…………イラーフ教ってそんなことを説いてるんだ……面白……。まぁ、ゼウス神を否定する奴らはみんな糞だけど)


 ある日の座学。さして広くない室内の絨毯が敷かれた床に座り込み、黙々と講師の言う事を頭に叩き込む。というのが普通の人間のやることだが、ヤヌシュは騎士の家かねもち出身なので、一人羊皮紙とインクでメモを取り続けた。


 今更ではあるが、文字の読み書き及び教養というのは、当時の彼らにとって贅沢品であった。なので隣のハドリーなどは、正直ちんぷんかんぷんな顔をしながら講義を受けていたが(恐らく覚えきれないのだろう)。ヤヌシュは自分の記憶に加え、講師の言葉のメモがあったため、誰より座学を習得するのが早かった。


 またある日の講義では。

 

『今日から弓術の指導を始める。弓など今更、という者も多いだろうが、全員がそういうわけではない。駆け足ではあるが、基礎からきちんとやっていく。不慣れな者は即時覚えるように』

『はい』


 講師はそう言って、奴隷軍人見習いたちに独特なフォルムの弓を配った。西方の弓と比べると、湾曲がかなりきつい。これで、矢が飛ぶ?

 

 ヤヌシュがしげしげと弓を眺める横で、ハドリーは弓を片手に弦楽器を奏でる真似をして、騎馬民族出身の同期の顰蹙ひんしゅくを買っていた。…………あいつは本当にお調子者だな。あの性格であれだけ強くなったんだから、人間というのは全く不思議だ。


 さらにある日の講義では。


『貴方達は今後、主に騎馬兵として戦ってもらいます。その際重要になるのがフルーシーヤ。イラーフ教の民が覚えるべき、騎兵及び戦士の心構えがこの書に詰まっています。

 文字が読めない者には何度でも読んで聞かせます。皆さん、ぜひ沢山中身に触れてみて下さい』


 講師が分厚い書物を掲げ、ただひたすら読んでくれるフルーシーヤ学。だがそれは、聞けば聞くほどなんだかヤヌシュに馴染みがあって……待てよ。ソレってもしかして。彼はぴんと閃いた。


(これはつまり、東方における騎士道……!)


 なるほど、騎兵と戦士の心構え。馴染みがあるわけだ。しかし、こういうのって文化の東西に関係なく、同時多発的に生まれるものなんだなぁ。正直悔しいが面白い。ヤヌシュは思わず興味を引かれ、ひたすら真面目に講義を受け続けて、



 

 気づけば早一ヶ月ほどが経過した。



 

 その間、いつからだろう。ハドリーとヤヌシュはめっきり行動を共にしなくなってしまっていた。


 正確には、別にお互い「離れよう」という意思があったわけではない。ヤヌシュが各種講義後、講師にあれこれ質問し必死に内容を理解しようとする一方で、ハドリーは講義が終わった瞬間同期とのお喋りを始めてしまうのだ。これでは共に過ごす時間が減るし、会話も交わさなくなる。


(……別に……別にいいんだけど)


 一緒に居なければならない、と言うわけではない。単純にハドリーは講義云々より人と話すのが好きなのだ。それはこれまでの彼の行動、人間関係を見ていればよくわかる。のだが。


(あいつ……当初の目的、忘れていないだろうな。なんのためにここまで来たのか。何ヶ月もかけてここに潜り込んだのか。

 ………………。

 …………忘れてたら……どうしよう……なんかこう、普通にイラーフ教の文化に染まって、この地に根付いて、


 俺の隣からすっと居なくなったらどうしよう)


 ふいに怖い想像をしてしまった。日干しレンガを積み上げて作られた養成所の廊下を歩きながら、そういや今日も一人なのか、とふと気づいて。気づいた瞬間、妙にむかっ腹が立ってきた。


 あいつ、今どこに居るんだ。せめて、大目的を忘れていないかどうかくらいの確認はしたい。


 ハドリー。

 どうして。


(……俺のそばに居てくれないんだよ)


 するりとそんな思考が頭をかすめて、ヤヌシュは自分で自分の思考に驚いてしまった。いやいや、いやいや。何をそんな、つまらない女みたいなことを。


(違う)


 違う。これまで、馬鹿みたいにずーーーーーーっと隣に居たのに、突然放り出すあいつが悪い。あいつが勝手にぺらぺら話しかけてくるのを、相槌打ったりツッコんだりするのが当たり前になっていたところに、突然これ。そりゃあ調子が狂うというものだ。

 しなくていい心配もするわけだ。


 うん、それだけ。

 調子が狂ってしまっただけだ。


 というか。


(……多分、ここに来てからしばらく、座学ばかりだからすれ違ってるんだろうな。あいつ、いかにも身体動かすことの方が好きそうだもんな……そっちに特化してるというか。


 俺はただの勉強も嫌いじゃないけど……そこは本人の資質如何の話。仕方ない、仕方ない。また課外活動的なものがあれば、仲良く話せるさ。そうに決まってる)


 きっとそう。大丈夫。解決。


 ヤヌシュはうんと頷き、再び颯爽と歩き始めた。




 


 6月。季節はすっかり夏に近づいた。からからの空気、強い日差し、おまけに気温も高い初夏のシパルル。色素の薄い西方人のヤヌシュからすると、屋外に居るだけで太陽に負けてしまいそう。そんな季節だ。


「くぅう……暑い…………」


 奴隷軍人養成所は宿舎と講義を受ける場が同じ建物に入っているので、実はそんなに外に出なくて済む。だがその分、風の無い日はレンガごと熱されて蒸し焼きになりそうになる。


 蒸し焼きか。直火か。


 そんなくだらないことを考えたあげく、ヤヌシュはせめて良い空気を吸おうと外に出た。極力建物の影で、かつ、砂の入ってこない所。少しでも涼しい所。一体どこだろう。

 そんな思いで養成所の敷地をうろうろしていると、ふいにばったりハドリーと出くわした。……こいつ、何をしているんだ?


「よぉ姫。なんか久しぶりじゃん」

「……そのあだ名、いい加減やめろ。今やお前しか言ってないぞ」

「わはは、確かに〜。エッケ昔より太ったもんなぁ。髪は伸びたけど、なんか男っぽくなっちゃった」 

「太ってない、筋肉が増えたと言え! そもそも男なんだから、男っぽくなって何が悪い……?!」

 

「え〜だって。理想の美人だったのにぃ」

『気色悪……! お前、いい加減目ん玉ほじくり出した方がいーんじゃねえの? いくら女と遊ぶ機会減ったからって、男口説いたら末期だぞ。過ちを犯す前になんとかしろ』

「わ〜〜、東方語で話した瞬間えらい辛辣〜〜!」


 軽やかに笑う声。相変わらずの軽口。何も、変わってないと言わんばかりの態度。無性に腹が立つ。


「……お前、ここで何してるんだ?」

「え、暑いから涼む場所探してた」

「あっそう……」

「お前は?」

「同じ」

「なーんだ、じゃあお仲間じゃん、ギスギスすんなよ……、?」


 そこで、ハドリーがすっとこちらに触ろうと手を伸ばしてきたので、ヤヌシュもといエッケハルトはひらりと身を翻した。そう簡単に「今まで通り」面をさせてやるものか。全く、俺がどんな気持ちでお前のことを考えていたと思ってるんだ。

 ……そんな気色悪いことは言ってやらないけどな。


 一方、肩透かしを食らったハドリーはきょとんと目を丸くしている。


「え、何、なんで拒否?」

「俺は元々ベタベタされるのは嫌いだよ。その代わり、お前と競うのは大好きだ。だから、」

 

 このくだらない気持ちを健全に吹き飛ばすために。


「ハドリー。今度の騎馬弓術の講義、どっちが多く的に当てられるか勝負しろ。負けたら相手の靴にキス」

「ええ〜〜?! 突然条件厳しくない?!」

 

「大丈夫、俺弓触ったのここ来てからだし」

「んなこと言ったら、俺両手放し騎乗も弓も未経験だったんだけど……ずるくない? そっち。俺負けちゃうよ」

「悔しかったら練習しろ」

「うわ〜〜ズルい〜〜鬼〜〜悪魔〜〜」


 意地悪く笑みを浮かべるエッケハルト。大げさに抗議するハドリー。……うん、これだ。これくらいの空気が、関係が、心地いい。ベストの状態だ。


 あとはこれをどれだけ維持出来るか。それが勝負のはず、だったのに。








『先攻ヤヌシュ、ポイント10!』

『後攻ハドリー、ポイント6!』


 おおおおお……!


 後日の騎馬弓術の講義。

 その日は平野で馬を走らせ、その上に跨りながら矢を放ち、どれだけ正確に的に当てられるかを全員で競ったのだが……生来真面目な気質であるヤヌシュは、何度も練習を重ね、結果全ての的に矢をあててのけた。


 どよめく同期の面々。騎馬民族出身のメンバーならいざ知らず、ただの白人である彼がこれだけの成績を収めたのは、純粋に快挙だった。もちろん、元騎士であるアドバンテージは相当大きいが、それは誰にも告げてないことなので。なおのこと絶技だと思われているだろう。

 

 結果、このあまりの鮮やかな結末に、同期たちが人種の東西を問わず話しかけてきた。この時の彼は間違いなくヒーロー。誰もが注目した。


『すげぇじゃん、お前弓未経験って言ってたよな? こんな短期間でよくあんなに上手くなったなぁ!』

「え、どうしたらそんなに完璧に当てられる? コツとかあんの? あるなら教えて……! オレあれ苦手でさぁ」


『ふふん。まぁ待て。答えは後で返すから。落ち着け』


 屋外にて、わいわい同期に囲まれて。清廉を良しとする元騎士のヤヌシュでも、さすがにこの状況には鼻高々にならざるを得なかった。どうだまいったかハドリー、さぞや度肝を抜かれただろう。……さぁて、直にからかいに行くかな。靴にキス貰わないとだし。


 ヤヌシュが意気揚々とハドリーを探すと。


「お〜いハドリ、ぃ


 ……………………」


 居た。居たが、彼はこちらを見ていない。たまたま話しかけてきた、他の同期の相手をしていた。


 …………なんで。なんでだよ。


 なんで。


「お、ヤヌシュ〜。すごいじゃん! 満点とはヤられた〜お前弓の才能あったんだなぁ!」


 からから笑う声。才能。

 

 違う。違う。…………才能じゃないよ。

 努力しただけだよ。


 ヤヌシュはぎゅうと唇を噛む。


 お前に振り向いて、欲しかったから。


 


  

 

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