第12話 不屈の心を抱きし奴隷



 血と汗にまみれる戦場。

 何度勝利を手にすれば未来が開けるのだろう。

 自分が何者で、何処へ行きたかったのか。

 気がつけば道しるべすらおぼろげになってきた。



 

「エッケ」



 

 誰かに名前を呼ばれる。

 いいや、俺の名前は。ヤヌシュ、だった気が──



 

「エッケハルト。しっかりしろ。意識はあるか」




 

『……姫、生きてるか? ヤバい血ぃ出てんぞ』

『今はとにかく止血だ。ちゃんと四肢が残ってて動くんなら、充分御の字だからな』

『ハドリー、助けてやってくれよ。もうみんな仲間じゃんか』

『任せろ。絶対死なせたりしない』


 さわさわと誰かの会話が降ってくる。視界が霞んで何も見えない。


 ある日の戦場。ヤヌシュとハドリーを含む寄せ集めの傭兵軍は、無惨な大敗を経験した。何人もが命を落とし、手近な地面に埋められる。その後形見分けが行われ、最後は墓標代わりの石だけがそこに残った。


 そんな乾いた〝死者の山〟の隣に、元エッケハルト、現ヤヌシュが横たわっている。額が割られ、淡い金だったはずの髪が真っ赤に染まっている。どうも当たり所が悪かったようだ。彼は大量出血の後意識が混濁して、ほぼ死体も同然となっているというわけだ。


 ただし戦場慣れしているハドリーの見立てでは、見た目が派手なだけで致死量の出血はしていない。丁寧に血を止め、薬を塗り、きちんと水と栄養を与えればそのうち復活するはずだ。

 

 清潔な布を額にあてがい、ぎゅうと押さえる。生きている。息がある。心臓も無事だ。大丈夫。ハドリーが静かに呟くその周りでは、二人をよく知る傭兵たちが心配そうにヤヌシュを覗き込んでいる。

 

 そのうち一人が、ぼそぼそと囁く。


『姫ぇ……死ぬなよ……むさくるしい男ばっかの戦場で、ガチのオアシスだから……頼む、帰ってきてくれ……』

 

『大丈夫。さっきから眼球がピクピクしてる。多分意識あると思うんだよな。だから、どんどん話しかけてやって。そのうち皆のこと、ハッキリわかるようになると思う』


『……姫、』

『ヤヌシュ』


 下は15、上は50。ここらで戦う傭兵の年齢は幅広い。そんな老若問わない男達が、こぞって一人の男を覗き込んでいる。……エッケ、お前愛されてるなぁ。ハドリーが静かに瞳を細めていると。


『おい。ここは敗残兵の集まりか』

『?』


 知らない男たちが話しかけてきた。白くゆったりした衣類、白いターバン。浅黒い肌に立派な黒髭。ベタベタなイラーフ系富裕層らしき身なりの奴ら。が、ハドリーの方を見ている。皆が彼に話しかけるから、この場の代表者とでも思われたのだろうか。


『……ああ、確かにそうだけど……だったらなんだ。惨めな俺達からまだ何か奪いたいか?』


 ハドリーが犬のように鼻面を歪ませて凄むと、それを見た男たちは大袈裟に肩をすくめた。ふるふると首を振る。

 

『違う。私達はそいつに用があるんだ』

『えっ?』


 男が指を差すのは、力なく横たわるヤヌシュの身体。な、なんで? 無意識に傭兵たちが身構える。ここで白ターバンの男を仮に「金持ち野郎」と呼ぶが、彼が言うことには。


『最近、我々が経営する奴隷軍人養成所に急遽欠員が出てな。そろそろ補充を、と考えていたところでお前たちに出くわしたんだ。この中だとそいつが丁度いい。貰い受けたい』

『……!』


 そいつ、と指をさされているヤヌシュは今17。若すぎず大人過ぎず、これから様々なことを教え込むのに丁度いい年頃。ついに来た。ハドリーはにやりと口角を上げ、金持ち野郎共に向き直った。


『そういうことなら、一つ条件がある。こいつは酷く人見知りでな、俺以外の人間になかなか懐かないんだ。だから、こいつが欲しいなら俺も抱き合わせで入れてもらうぜ』

『なッ……』

『それが無理なら諦めろ。俺達は特に暮らすのに困ってないからな。さ、帰った帰った』

『ぐぬ……』


 実際嘘はついていない。9割本当のことだ。ならばどうする。欠員1に対して、新人二名。ねじ込めるか?

 金持ち野郎共は一秒、二秒、つま先を見つめてじっくり黙り込み。やがて、意を決したように顔を上げた。


『…………わかった。

 お前たち二人、どちらも連れて行こう』 

「おいエッケ、今の聞いたか? 俺達ついに、奴隷軍人養成所に入ることになったぞ」


 ハドリーが西方語で一声告げた瞬間。エッケ──ヤヌシュの瞳がぱちりと開いた。意識が、ハッキリとある。


『…………!』

 

 傭兵たちが嬉しそうに見つめる、その輪の真ん中で。血まみれのヤヌシュがむくりと起き上がった。それはついさっきまで、死ぬな、大丈夫かと声をかけられていた人間とは思えない反応だった。


 小さく瞬き。

 くるりとハドリーに向き直り。

 震える唇を開いて。


「それ、本当か? 俺達、ついに奴隷になる日が来たんだな」

「ああ。普通、西方人でこれを喜ぶ奴は居ないんだが。まぁ俺達は特別さ。……ついに、」

「やっと、」


「「サディークの所へ行ける」」。


 示し合わせたわけじゃないのに、綺麗に声が重なった。二人はそれほど嬉しかった。


『ッつ……』


 そこで、弾かれたように額を押さえるヤヌシュ。今更割られた額が鈍く傷んだのだ。ハドリーは先程放り出された布を拾い、綺麗にたたみ、再びそっと相棒の傷に当てた。

 

『もういい、とりあえず寝てろ。話は俺がつけてやる』

『そんなわけにはいかねぇよ。俺達二人のことだろ。

 ……で、奴隷軍人養成所がなんだって? いつから行けばいいんだ?』


 ヤヌシュはそう口にして、改めて金持ち野郎共の方へ向き直った。一応、霞む意識の中でだが彼らの話を聞いていた。どうも彼らの狙いはヤヌシュ個人にあるらしい。だったとして、今後はどこで何をするのか。


 金持ち野郎の一人が、ふうとため息をつき。

 遠く南東の方を指さした。


『私達の所有する奴隷軍人養成所は、サディーク朝首都ハルペのさらに向こう。シパルルという街にある。もし本当に奴隷軍人になる覚悟が決まったなら、私達と共に来て欲しい。乗り物はあるか?』

『俺達はどっちも馬を持ってる』

『それはいい。ぜひ今からでも支度を整え、シパルルを目指してくれ。我々は君たちを歓迎する』


「「……!」」


 にこやかに微笑み、片手を差し出す金持ち野郎たちを見て。ああ。本当に一歩、夢が現実になるのだと思った。ハドリーがポンポンと相棒の背中を叩く。一方ヤヌシュは思わず彼の手を握り。

 現実。現実なんだ。

 ぐいと額の血を拭って、唇を引き結んだ。


(…………これでサディークの所へ、父様たちの居場所へ、一歩近づいた。このチャンス、必ずモノにする。無駄にしたりしない……!)


 そこでふと、ヤヌシュは彼を取り囲む男たちの姿に。三ヶ月余りの期間、あれこれ世話になった傭兵仲間たちの存在に気がついた。

 

 ヤヌシュという名は偽名。彼は元々騎士だ。傭兵をやったのは偶然かつ必要に迫られてであり、決して一生この仕事をするつもりなどなかったのだが……

 寂しそうな顔。顔。顔。

 もうこれでお別れなんだ、本人たちが新たな居場所を望むなら笑って送り出してやろう、とぎこちない表情を浮かべる彼らを見ていると、無性にたまらない気持ちになった。


 だから、決して嘘じゃない。

 そう決意して、彼らに声をかける。


『……そんな顔すんなよ。きっとまた会えるって』

『でも……』

『会いに、来る。いつか必ず。戻ってくるから』

『姫…………』


 騎士として、エッケハルトとして生きる人生では、絶対に交わることの無かった数多の人生。今はその一つ一つが心から愛しい。これで終わりにはしない。どんな形になったとしても、必ずまた。会いに来るよ。


『……そんじゃ、行くかぁヤヌシュ』

『おう』


 ハドリーに声をかけられ、多少ふらついたものの、ヤヌシュはしっかりと立ち上がった。これでまた忙しくなる。一度クルーナに戻り馬やら私物やらを回収して、新天地に向けた準備をして、それから。


「……なぁハドリー、シパルルってとこはクルーナからどっちへどれくらい行ったとこにあるんだ?」

「うん? クルーナからだと、南東方向に馬で3日だな。いよいよやっこさん……サディークの国に入るぞ。気合入れろよ」

「…………。ああ」



 

 次の目的地は敵国の只中。

 少しずつ、少しずつ。近づいている。

 憎きサディークの影が見えてくる。

 

 復讐の時は近い。


   

 




 

 イラーフ教系国家、サディーク朝の首都ハルペより南東方向にある小ぶりな街、シパルル。そこは俗にステップ気候と呼ばれる土地で、背の低い草原と乾いた岩場、砂地が混在する風景が広がっていた。


 砂っぽい風が渡っていく。ヤヌシュは余計な砂を吸い込まないよう、頭に巻いた布の端を口元に当てた。今日は恐らく良い天候、なんだろう。全体的に小ぶりな街シパルルの中で一際でかい建築物、奴隷軍人養成所。その入所のための儀式が今、おごそかに執り行われている。


『汝ヤヌシュ。西方の子よ。これより汝は我らイラーフの共同体に与する。ならば我らが神、唯一神を崇めよ。我らの言葉を復唱せよ』

『…………』


 頭に帽子を乗せ、黒の長衣を着た司祭らしき男が偉そうに何か言っている。復唱せよ、か。正直気に食わないが、仕方ない言う通りにしてやるか。ヤヌシュは軽く息を吸い込む。

 

『我らが神、唯一神の他に信仰は無し』

『ムスタファは神の使徒なり』


 ……これだけ。これを言うだけなら、なんとでも従ってやる。どうせ誰も心の中までは暴けない。現に今、胸元に隠し持っている金の十字架クロスだって。誰もその存在に気がついていない。その程度の話だ。


(ちょろいぜ)


 ヤヌシュは内心強がるものの。

 本音を言うと、右も左も黒髪の男たちに囲まれているのは、とてもとても居心地が悪かった。


 ちらりと隣のハドリーを視線だけで見上げる。彼はイラーフ系の文化、人種を見慣れているのか、特に動揺することなくまっすぐ前だけを見つめていた。その凛々しさたるや、同性ながら惚れてしまいそうだ。


つよ……)


 この数ヶ月、ずっと行動を共にしてきた相棒の強い目を見たら、少し気持ちが落ち着いた気がする。大丈夫。大丈夫。やれる。

 

 ヤヌシュは静かに深呼吸した後、改めてキッと異教の民たちを睨みつけた。父様、兄様、待っていて欲しい。俺はここから、必ず貴方たちの元へ辿り着くから。




 




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