第11話 遊戯と本気の狭間
1145年、4月。
エッケハルトがアレクサンドレッタを後にしてから、おおよそ三ヶ月の月日が経った。
彼は日々粛々と傭兵業を続け、東方系の言語も日常会話ならそこそこ話せるようになった。時は満ちた。いつあちらに拾われても大丈夫だ。
だが。
一つだけ、心残りがあった。何度敵とぶつかっても、勝利を収めても、これじゃない。という気持ちになる。
どいつも戦士としては素人だった。たまにこいつは強いぞ、と思う者が現れると、横から現れたハドリーがさっと倒してしまった。距離がある内は長い愛刀の有利を活かす。距離が詰まれば器用に刃の中ほどを持ち、ハーフソードの構えで敵を仕留める。
スピード。
どれを取ってもハドリーは格上に見えた。
悔しい。自分がやってきた剣技は、騎士道とは、なんだったのか。負けたくない。追いつきたい。
あんなにかっこいいと憧れた、相棒だからこそ。
ハドリーを
そんな気持ちが強くなった。
エッケハルトはよし、と唇を引き結ぶ。
決闘だ。騎士式ではなく、傭兵式の決闘を申し込んでやる。
そう決意を固めて。
『ハドリー、ちょっと面貸せ。俺と勝負しろ』
ある日の進軍途中の野営にて。馴染みの傭兵仲間に囲まれ寛ぐハドリーに、思い切って声をかける。
川べりの野営地。軽やかな流水音をバックに、エッケハルトの長い金髪が揺れる。以前にも増して伸びたソレのせいで、エッケハルトもといヤヌシュのあだ名はまたしても「姫」になったが、もう気にならない。
だいぶ筋肉がついた。身長も伸びた。生来の甘い顔立ちこそ変わらないが、顔つきそのものは随分精悍になった。灰色の瞳に、鋭い獰猛さが見え隠れする。
傭兵ヤヌシュはこの春で17歳。
騎士生まれ傭兵育ちの今の彼は、かなり成長したはずなのだ。
『お、なんだなんだ。喧嘩か』
『ハドリー、姫が喧嘩したいってよ。どうする?』
仲間の何人かが茶化すように笑う。顔面に大きな斜め傷を持ち、短く刈った黒髪と紺目が光る彼は、無言のまま長い剣を引きずって立ち上がった。
やはり、少しだけハドリーに近づいた。ヤヌシュは自信たっぷりに相棒の顔を見つめる。前より確実に、彼と目が合うようになった。もう背の丈180センチ近くなったかもしれない。自惚れじゃないと思いたい。
だが、相対するハドリーは不敵な笑みを浮かべている。まだまだ可愛い姫様がなんだって? まるでそう言いたげだ。
『どうしたヤヌシュ、なんの風の吹き回しだ?
突然俺が嫌いになったとか、そういう感じ?』
『ちがう。俺はむしろお前に憧れてる。大好きだから、倒したいんだ』
そこでヒュウ! と周囲から口笛が上がる。イチャイチャしてんじゃねえぞ! そう誰かが叫んで。二人は静かにそれぞれの剣を構えた。一応、双方鞘に納めたままだが。これだけで充分重く、それなりに鈍器。まともに当たれば骨折、下手すれば死が訪れる。
「改めて言う。俺と勝負しろハドリー。お前の傭兵の剣と俺の騎士の剣、どちらが強いか確かめさせろ。
それなりに実戦経験を積んだ今だからこそ。一度でいい、この手でお前を倒したい。10年学んだこの剣が、お前に通用すると思いたいんだ」
「…………ふぅん、難儀だな。傭兵やって、日々生きて帰れるだけじゃ不満か。俺を、その手で叩きのめしたいって?
騎士生まれの坊っちゃんのくせに、ナマ言ってんじゃねえぞ。日々助けてやってる恩を忘れたか。あんなお遊戯で俺に勝とうなんざ、それこそ10年早ぇよ」
呆れたように吐き出されるため息。初めて聞く、ハドリーの挑発的な言葉。やはり、彼はこちらを格下と思っている。助けてやってる。お遊戯。
ああそうだ。こちらを弱いと思ってなきゃ、そもそも助けようなんて思わないもんな。
ヤヌシュは小さな金属音を響かせ、斜めに剣を構えた。鋭くハドリーを睨みつける。
『俺の剣が、遊びだって? 言ってくれんじゃねえか。ぜっってえブチのめす』
『やってみな坊や。すぐに転がしてやんよ』
その言葉を合図に、ヤヌシュが剣を持ち上げる。と、瞬時にハドリーの剣が迫ってきた。踏み込む一歩がでかい。ヤヌシュの首元でビタリと止まる。
『ほぉら甘ちゃんだろ? 相手を倒すってんなら、こんくらいやんなきゃ』
『……相変わらず卑怯だな。プライドとかねぇの?』
『は? 勝負に卑怯も糞もあるかよ。如何に相手を出し抜くかが大事に決まってんだろーが』
にやりと笑うハドリーを見て、ヤヌシュは頭に来た。
即座に剣をぶん回し、頭を狙って振り下ろす。ハドリーが笑顔でそれを避ける。
『いいね、そういうの』
『怪我しても知らないからな!』
『それはこっちの台詞』
ハドリーが再び一歩、寄ってくる。ヤヌシュは急いで飛び退り、彼の全身を視界に納めつつ手元に意識を集中したが、
ヒュ。
ノールックで足をすくわれ、不意を突かれたところでふくらはぎに横からの一撃。バランスを崩し、
(倒れる……!)
そう認識した時点で、勝負はほぼ決まっていた。
『ほらほらどした。あんなに偉そうにぶっこいといて、こんな簡単に体勢崩されてちゃ、次の戦で死んじまうぞ』
『ぐっ…………』
どすんと地面に倒れ込み、呻くヤヌシュ。鞘に収まっているとはいえ、鈍器ばりの重みがある剣の一撃。生身にこれは堪える。
『……まだだ』
ヤヌシュは脚を押さえ、なおハドリーを睨んだが。当の本人は呆れたような笑みを口元に浮かべ、剣を肩に担いだ。
『続きがしたいならいつでも付き合うから、練習用の木刀買え。傭兵は全身が大事な商売道具だぞ。私闘で怪我するな』
『…………』
『なんだ、不服そうだな。アバラ折られないとわからないか?』
『…………。そうだな。折る気で来いよ』
おおお……!
姫と呼ばれ、誰からも新参者扱いだったヤヌシュの不敵な一言。周りの傭兵たちが沸いた。
『行け姫! 逆にハドリーの鼻っ柱を折ってやれ!』
『おいおい、負けんなよハドリー。参戦三ヶ月程度のルーキーに負けてるようじゃ、狂犬の通り名が泣くぜぇ』
無責任に囃し立てる声。
鞘こそ外さないが、ハドリーとヤヌシュの真剣対決。
二人は相対し、踏み込み、
「……ッ!!」
無心に剣を打ち合った。
その最中、ハドリーは余裕の態度で指導を入れてくる。
「お前剣筋がお上品なんだよ、もっとエグいの入れてこい」
「人間の主な弱点は股間、関節、呼吸器。だから行動力を削ぎたいなら股間か膝関節を狙え。
不意打ちで転がして、横から折る気で膝に体重をかけろ。相手の装備次第で積極的に金的狙うのもありだな。喉は上手く入れば大ダメージだぞ」
「頭と背中は仮に相手が鎧着てたって狙い目だ。ガンガン打ってけ。どうせいい鎧着てる奴なんて限られてる。人間、殴れば誰だって普通に痛いんだよ」
「ほら、どーした騎士サマ。もっと打ってこいよ」
「……
必死に食らいつき、追いかけるヤヌシュは充分に優れた資質を持っている。それでもハドリーの言葉は厳しい。つるりと彼の剣をいなし、弾き飛ばして。はぁ、とため息と共にヤヌシュを見つめる。
『なぁんかなぁ。頭でっかちなんだよな。センスあるし反射神経もいいし、もっと伸びそうなんだけど』
『随分上から目線だな……ッ』
『だってそうなんだもんよ』
荒い息をつくヤヌシュに対し、ハドリーは依然体力が残っている。うーんと首を捻る。
『殺意…………本気…………そういうのが、無いんだよ』
『本気じゃ、ない?』
「ああ。家族を助けたいって意気込むわりに、なんか舐めてんだよな。そんなんでサディークを殺そうなんて、笑わせんなよ」
呆れたようなハドリーのその言葉に。ついに我慢の限界が来た。ヤヌシュは一気に眉を釣り上げる。
「俺の家だけでなく、俺の覚悟まで愚弄する気か」
するとハドリーはピンと閃いた顔。ついで冷ややかな笑みを浮かべた。
「ああそうだ。こんなんが騎士の本気なら、東西聖戦の西軍は負ける。イラーフ教にみんな乗っ取られちまうだろうなぁ」
「なんだと……!」
ここでヤヌシュの。エッケハルトの怒りが頂点に達した。
ゴッ……!!
剣が地面にめり込む。
『ハドリー。その言葉取り消せ。取り消さないなら力ずくで言わせる。ぼこぼこにのして地面にキスさせてやんよ』
『へぇえ〜〜、言うじゃん? やってみろよ』
エッケハルトのグレイの瞳に、青い炎が灯っている。ハドリーはそれを面白そうに見返した。
「それそれ。そういうのが欲しいんだよ。ほら、来てみろノロマ。俺を憎いサディークだと思って殴れ」
「…………!!!!」
ビュオ。
エッケハルトは「いくぞ」の一言もなく剣を掴み、ハドリーに振りかぶった。一瞬の出来事。ハドリーは引きつった笑みを浮かべ、ガツンと鞘で受け止めた。
(押す? いや)
一瞬力比べの様相を呈したが、エッケハルトはそうしない。すぐさま交わりを外し、次のアクションに移る。一切の躊躇無く。真横に首を狙う。
「うわ、怖ッ」
当たれば充分に首の骨が折れそうな速さだ。ゴッ。受け止めるハドリーの鞘、その衝撃音がさらに重くなる。エッケハルトはまたも武器を外し、脇腹、肩、頭。柔らかく手首を使い、左右から連撃を放つ。
「…………!」
剣を振り続ける彼の目は、なんの感情も映していない。ただ真っ直ぐにハドリーを捉えている。その気迫たるや。
さしものハドリーもごくりと唾を飲んだ。これだ。これが、真に「人を殺そうとしている人間の目」だ。
「…………くッ!!」
ガツン!!!
エッケハルトはついにハドリーを額すれすれまで追い込んだ。冷や汗を垂らしながら、彼の一撃を真横に構えた鞘で受け止めるハドリー。ハードな傭兵生活を送ることで、〝元騎士〟の肉体はかなり改造されたようだ。腕力、つまり一撃の重さが随分と増した。
ぎり。ぎりぎり。
めり込め。額にめり込んでしまえ。確かな怒りと共に剣を押し込むと、ハドリーがついに音を上げた。
「わ、悪かった! お前と騎士を馬鹿にして悪かったッ、やれば出来るじゃん! これからもそんな感じで、サディークのこと考えつつぜってーぶっ殺す! の気持ちで敵を殴れよ!」
『………………。チッ、偉そうに』
『ごめんてば……!』
チラチラとウインクするハドリー。許してくれという意思表示だろう。……勝った、のか? エッケハルトが剣を下ろすと、
おおおおお!!!
周囲が一斉に沸き立った。狂犬が負けた。姫がひと泡吹かせた! 他人事ながら、酷く楽しそうだ。一方のハドリーも、よもや仲間の前で無様な敗北を喫するとは思わなかったらしい。負け惜しみがてら、悔しそうにエッケハルトの腕を褒めた。
「ははは、強くなったな〜エッケ」
『今更媚売ってんじゃねえ糞が』
『……東方語も上手くなったなぁ』
『お陰様で、罵倒のバリエーションはこっちの方が断然多くなったわ』
『…………頼もしくて何より』
乾いた笑いを漏らすハドリーを横目に、エッケハルトはふっと小さく息を吐いて。
「……これで俺は、対等な傭兵の相棒と呼んでもらえるか?」
「……!」
内心気にしていたのはそこだった。ハドリーもそう気づいたらしく、にっ。と笑みを浮かべる。
「…………ああ。もう二度と『守ってやってる』なんて言えないな。これからは隣で。一緒に戦ってくれよ」
「……ああ!」
弾けるような二人の笑顔。
エッケハルトとハドリーの関係は、新たな局面へ移る。
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