中章 奴隷軍人養成所

第10話 暴れ犬の狂想曲


 アレクサンドレッタを離れ、休み休み馬で一日走る。山を抜けた先、乾いた荒野にふいに現れたのは、エッケハルトも一度訪れた場所。低い樹木と砂と岩に囲まれた、クルーナという街だった。


 山で海風を遮られるからか、アレクサンドレッタより空気が乾燥している気がする。それでも夕暮れが迫る中、オアシスに寄り添うように人の営みが現れるのは本当にほっとする。

 無事に着けた。その思いでいっぱいになる。


「今日はここに泊まろう」


 ハドリーはここらの地理に詳しいようだ。街に入るなり、迷わず馬を預けにいった。エッケハルトはそれに倣い、彼同様馬を手放す。よくわからず右往左往したあげく、野宿する羽目になった一週間前とは大違いだ。

 やはりハドリーは頼りになる。手を組んで良かった。身軽になったついでに伸びをしていると。


『ようハドリー。今度はどこへ行くんだ』


 ふいに離れた場所から、知らない男が知らない言語で話しかけてきた。エッケハルトは思わずハドリーの背後にさっと隠れる。有色肌で剣を下げた男……彼の同業者か? 実際は挨拶程度の会話だが、そうとわからないエッケハルトはつい緊張してしまう。


 まるで借りてきた猫。そんなエッケハルトの様子を見て、ハドリーが軽く吹き出す。


「そう警戒するな。あいつは俺の傭兵仲間だよ。なんならお前も挨拶した方がいい。顔を覚えてもらえ」

「……大丈夫か? 俺は東西聖戦の生き残りだ。あちら側に突き出されたりしないか?」

 

「大丈夫。ここらはまだそこまでピリピリした情勢じゃない。しばらくはこの辺りを足がかりに傭兵業をする。知人を増やして、俺は傭兵をやってるんですとアピールするんだ」

「……わかった」


 ハドリーが大丈夫と言うなら大丈夫なんだろう。エッケハルトはおずおずと彼の隣に並んだ。黒と赤の民族衣装に白い肌、灰色の目。淡い金髪は頭に巻いた布でほとんど隠されていたが、相手の目には充分西方出身の人間と通じたようだ。物珍しそうに目を丸くした。


『こいつは? 見ない顔だな』

『最近知り合った男だ。西方出身のヤヌシュという』


 ヤヌシュと言う単語が聞き取れて、どうも自分を紹介されているのだとわかる。エッケハルトはぎこちないながらも、なんとか笑みを浮かべた。


『少し前に西から流れてきたらしい。俺と一緒に傭兵やるって言うから、可愛がってやってくれ。なんか仕事あったら回してくれよ』

『へえ、そうなんだ。じゃあこうだな?』


 男がにか、と笑い、片手を差し出してくる。エッケハルトはハドリーを見て、男を見て、こわごわその手を握った。男がぶんぶんとその手を上下に振ってくる。


『オレは____っていうんだ。よろしくなヤヌシュ。傭兵デビュー頑張れよ』

「傭兵頑張れよ、だって」

「あ、ああ……よろしく、ありがとう」


 ハドリーの通訳を挟みつつ、ひとしきりの挨拶が終わると、男は満足そうに去っていった。彼の名前はあえて割愛する。何故なら。


『エブベキルだ』

『ミトハトだ』

『トリュフォンだ』

『ジャラールッディーンだ』

『ムスタトだ』

『ルーホッラーだ』


 次から次へと誰かが話しかけてきて、一々紹介されるのだ。聞き慣れない名前ばかりで覚えられない。ましてや有色系の男たちはどいつも髭面だし、似たような顔立ちでみんな同じに見える。エッケハルトはだんだんくらくらしてきた。


「ハドリー、お前知り合い多すぎないか……? もう最初に紹介された男の名前が思い出せないんだが」

「ああ、ネジャッティか。あいつは面倒見良くて誰にでも優しい、普通にいい奴だぞ」

「くそ、記憶力がいい! 俺には真似出来ないなぁ!!」


 悔しいが、ハドリーは本当に人付き合いが上手いのだろう。アレクサンドレッタといい、ここクルーナといい、彼の知人はすこぶる多い。この調子ならどこへ行っても誰かと挨拶し、情報を仕入れて、それは上手く暮らしていくのだろう。


「傭兵は人脈作りと人付き合いも大事な仕事だ。愛想が悪いと仕事を紹介してもらえないし、嫌われ者だと寝首をかかれる。広く浅くでいい。お前も上手くここに溶け込め」

「…………わかった…………」


 夜。ハドリーが案内してくれた宿屋で寝台に腰を下ろす。彼は気疲れで参ってしまったエッケハルトのために、今夜の飯は外で買った物を部屋で食べようと言ってくれた。ザクザクした丸い揚げ物を渡される。これはアレクサンドレッタでも食べたアレだろうか?


「あれはキッべ。肉入り。これはファラーフェル。ひよこ豆オンリー」

「はぁ……そうなんだ…………」

「そうげんなりするなよ。新生活は始まったばかり。焦らずのんびりやろう」


 ハドリーが隣に腰を下ろし、むしゃりと揚げ物を噛み砕く。 

 

「この辺の言葉も俺で良ければ教えるよ。とにかく最低数ヶ月。傭兵として暮らして……ゆくゆくは奴隷軍人養成所に入る」

「奴隷軍人、養成所?」

 

「ああ。傭兵として何度も戦争を生きのびれば、どこかで誘いの声がかかるはずだ。俺はイラーフ教に縛られるのが嫌で断ってたが、次の機会があればそれに入る。まぁ文字通り、例の奴隷軍人を育てる……学校みたいなもんだな。

 そこに潜り込めたら、サディークに拾われるのを待つ。こっちからアピールしてもいいけど、とにかく。今はそれが目標かな」

 

「………………」


 傭兵。軍人。奴隷。新しい生活。

 憎きサディークの、奴隷になる。


 エッケハルトはぎゅうと唇を噛み締め、改めて次の目標を反芻した。


 ああ、こんな事でへこたれている場合ではない。なんでもする。あいつを殺すためなら、そうだ。オトモダチ作りだって勉強だって、今の自分には必要なこと。やらねば。


 ハドリーは硬い表情で黙り込んだエッケハルトを眺め、ぽんと彼の頭に手を置いた。そのままわしわしと撫でる。


「エッケ、気負いすぎるな。大丈夫だ。俺が居る。二人でやろう」

「…………ありがとう」


 力強く笑みを浮かべる彼の表情に、ひどく勇気づけられる。エッケハルトはようやく寛いだ心地になり、ほっと一息ついた。

 ……そうか、今日はずっと緊張していたんだな。知らない土地で、知らないことをやろうという状況に。だが彼は一人じゃない。ハドリーが居てくれる。


 俺が居る。二人でやろう。


 その言葉が、遅れてエッケハルトの心に染み渡る。……やれる。二人なら。こいつとなら。

 どんな困難でも乗り越えられる。

 不思議とそんな気持ちになった。


「うし、じゃあ今夜はもう寝て。明日からぼちぼち仕事探しますか。実戦で剣振るのもきっといい経験になる。必要ならなんでも教えるからな」

「はは、その他はともかく戦闘の方で負けたくは無いな。見てろ、これでも子供の頃から剣を振ってきたんだ」

「ほ〜ん。そんじゃお手並み拝見といきますか」


 じ、と互いに視線を交わす。安心が貰えるだけじゃない。ハドリーはほんの少しの楽しみも用意してくれた。確か2歳差。彼の方が年上だが、訓練も含めれば剣を握っていた時間は圧倒的にエッケハルトの方が長い。

 負けたくない。

 いいだろう。傭兵業、全力で取り組んでやる。


 強い決意を胸に秘め、静かに眠りについて。

 




 後日。





 


『死にたい奴はどいつだ!! かかってこいクソ野郎共が!!』

(速!)


 無事ありついた傭兵としての初陣。買い直した安価な鎧を身に着け、父から貰った長剣を下げて、戦場に出たのはいいものの。


 ハドリーはわざと最前線に陣取り、しかも戦闘開始の合図──ドラムの音に合わせて自軍の旗が振られた瞬間、暴風のように走り去ってしまった。

 え、何事。速すぎる。全身じゃないにせよ、鎧着てるんだよな。え、人間あんなに速く走れるものなのか? どうなっているんだ?


 あっけに取られたエッケハルトは、敵を倒すとか自分の身を守るとかそんなことも忘れて、とにかくハドリーを追いかけた。エッケハルトの居る場所はまだ交戦区域に入っていない。他の兵とてやることは同じだ。


 最前線を行く仲間を追いかけ、敵の陣地を犯す。敵が抗ってきたら各々の武器で殴り、地面に転がし、それを踏み越えていく。「戦争でやること」の主な内訳はシンプルにそれだけだ。


 だから、最も大事になるのは敵勢力と交戦する最前線の人間なわけだが。ハドリーは恐ろしく「最前線慣れ」していた。誰より速く駆け、誰より早く敵と交戦態勢に入る。敵さんもそのあまりの速さに、あっけに取られたようだ。わぁわぁ声が上がる敵兵の群れの中、ハドリーの剣が閃いているのが見える。

 つまり、彼は敵陣まっ只中に居るのに平然と生きているのだ。


『わはは、どうした! その程度か!? 歯ごたえねぇなぁ、もっと楽しませろ!!』


 彼が握るツーハンデッドソード。一般的な物より長いその刀身は、彼のように先陣を切る人間のためにある。まずリーチがある。それだけで敵より有利が取れる。その上で、鋼の心臓と共に敵に殴り込み、「敵の武器」を軒並み戦闘不能にさせるのが主な役目だ。


 槍の長い柄。弓の持ち手部分。ツーハンデッドソードより軽い武器。全てをなぎ倒し、味方のための道を開く。一番勇猛で一目置かれるが、一番死にやすい誰もやりたがらないポジション。

 最前線のツーハンデッドソード使い。


(ああ、狂犬ってそういうことだったのか)


 エッケハルトがふとそんなことを考えていると、最初は戸惑っていた敵軍も、そのうちハドリーが味方すら置き去りにして単騎で突っ込んできた大馬鹿者と気づいたようだ。鋭い怒号が飛び交う。彼一人に大勢が群がる。


『囲め! 敵はこいつのみ! 袋にしろ!!』

『させるな! あいつに続け、味方を見殺しにする人でなしになりたくなきゃな!』


 進軍を鼓舞するドラムの間隔が早まり、いよいよ互いの全兵力が最前線に追いつく。結果ハドリーは仲間に囲まれ、なんとか袋叩きを免れた。彼の勇気が仲間の戦意を存分に高めたおかげだ。誰より速く敵陣に飛び込んだハドリーの姿は、愚者ではなく勇者と皆の目に映った。それだけ鮮やかな戦いぶりだった。


『行け! 行け! この勢いで残存戦力もぶっ飛ばせ!』


 結局この日の戦いは、これでもかと士気の上がったこちら側が勝利した。敵は気圧されて、既にちりぢりになっている。あとやることと言えば、戦後処理くらいだろうか。周囲を見回せば、逃げる敵を追いかけ回す者、もういいやと歩みを止める者。仲間の行動はバラバラだ。そんな戦勝ムードが漂う自陣の中で、エッケハルトは改めてハドリーの仕事ぶりに感動してしまった。


 ただ一人、大地に力強く立ち尽くすハドリーは。

 確かに今日の戦における英雄と言えた。


 エッケハルトが軽い足取りで彼に近づく。隣に立つと、ハドリーもそれに気づいてにっと笑みを向けてきた。


「どうっすか姫、俺の戦いぶりは?」

「かっ……こよかった。正直歩兵として最前線に立つのは初めてだけど、味方があんな風に攻めるのってすごく勇気が貰えるんだな。凄い。勇敢。痺れる。俺もああなりたい」

「わはははは、もっと言って! と言いたいとこだけど、俺みたいになったら早死にしちまうぞ、やめとけ!」


 キラキラした笑顔を浮かべるエッケハルトと、一仕事終えて満足げなハドリー。二人は無事、共に並んで帰ることが出来た。

 


 これにてエッケハルトの傭兵デビュー終了。

 今後の彼らの行く末は如何に。


 


 

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