第09話 別れと始まりの日



 怨敵サディークの奴隷になる。



 次の目標を達成するため、二人はアレクサンドレッタを出立する準備を始めた。

 

 衣類。水。携帯食料。ナイフ。カトラリー。薬、調理道具一揃い、着火剤、毛布、その他生活雑貨、野宿に必要な道具諸々。


 街の雑貨屋を巡り、必要な物を買い揃える。傭兵歴がそれなりに長いハドリーは、道具一式を揃えるのに一切の迷いがない。あっという間に品定めし、購入し、鞄に放り込んでいく。

 

 もちろんエッケハルトとて騎士の息子。遠征や従軍といった軍事行動は慣れていたが、結局のところ、それらの装備を一人で選んだ経験はほぼない。シャルファからの逃亡生活を始めた初期、彼が買った物はハドリーから見ればほんの一部だろう。遠出の認識が甘かったことを思い知らされた。


 あちこちの店を回り、荷物が一気に増える。ハドリーはそれをよいせと担ぎ、よろよろ歩いて。


「そんじゃ、重たい荷物は明日の朝馬にくくるとして……あーあ、これからしばらく荷物担いで歩くのか……つら……。俺にも馬が居ればなぁ……………」

「居ればなぁ、ってなんだよ」


 ハドリーの言い方は、まるでそれが「叶わぬ願い」であるかのようだ。何を言ってるんだ? なんのためにさっき金を作ったんだ。エッケハルトは隣の相棒を振り返り、あっさりと告げた。

 

「馬が欲しいって? なら買えばいいじゃないか」

「え、馬を?」

「さっき金貨たくさん手にいれたろ。馬なんて……安いのなら、銀貨5枚もあれば買えるだろう」

「えっ、銀貨5枚……………………。

 はぁ〜〜〜〜…………」


 途端に、ハドリーにため息をつかれた。え、何が気に食わないんだ。


「これだからさ〜〜、お坊ちゃんはさぁ〜〜〜〜。

 俺達が命がけで戦って、やっと銅貨を何枚か手に入れてる中お前はさぁ〜〜…………」

「え、え?」

「銀貨5枚の価値。お前絶対わかってないだろ……」

「え、えと、悪いわからない」

「嫌味ぃ……」


 その後いくつかの問答の末、ハドリーは馬喰ばくろうの元で実に頑丈そうな駄馬を買った。どっしりとごつい体格で大人しく、軍馬と違って速度は出なさそうだが、人と荷物を運ぶだけの用途なら存分に働いてくれそうだ。


 ハドリーは初めての自分専用馬に感激しきり。懐っこく鼻を寄せてくる馬に何度もキスし、すっかりメロメロのようだ。


「ごめんなエッケ、今ならお前の気持ちがわかる……自分を主人と認めてくれた馬を売るなんて、鬼! 悪魔! 鬼畜の所業!! 馬可愛いなぁ……!」

「それは良かった」


 このままハドリーを放っておくと、一日馬とイチャイチャして終わりそうだ。エッケハルトはぐいと相棒の首根っこを掴み、馬と引き剥がした。


「ほら行くぞ。あとはどこへ行けばいいんだ」

「ああっ、俺の天使アンジェリーヌ! また後でな……!」

「笑わせんな」


 あくまで彼らの当面の目標は、イラーフ教系国家の統治者サディークの奴隷となること。ひいてはエッケハルトの家族及び配下の情報を手に入れ、必要とあらばターゲットを殺すことだ。正直遊びに行くわけではないし、はしゃがれても困るのだが。


(ま……いいか……一人きりだと気が滅入りそうだし)


 どのみち、エッケハルトが目指すのは復讐だ。確実に修羅の道。何をどう考えても怒りと恨み、苦しみしか湧いてこない未来。そんな中、隣に明るいハドリーが居るのはなんだかありがたかった。


 実際。諸々の準備のためアレクサンドレッタを歩いていると、ハドリーを介した知人が何人も話しかけてきた。


「よう姫、せっかくここに馴染んだのにもう行っちまうんだって?」

「今度また、キレのいい野次聞かせてくれよな」

「男だろ、今度は殴り合いの方にも参加しろよ」

「それよりオレと飲もうぜ」

「飲み比べの方は興味あるか?」

「なんか色々大変らしいけど頑張れよ。みんなここで待ってるからな」


 ほとんどの人間が、〝ハドリーの連れ〟という形で顔を覚えてくれた。それでもこの世に「ここで待ってるから」と言ってくれる存在が居ることは、祖国に帰りづらく、この土地での居場所を追われたエッケハルトにとっては嬉しい申し出だった。


 たった一人でこの街に居るだけでは、得られなかっただろうものが。

 ハドリーと二人なら、沢山手に入る。

 不思議な感覚だ。


 


 その「縁」はこんな場所でも発揮された。



 

「ええ、明日? もう行っちゃうの?」

「じゃあ少しは遊んで行ってよ」


 日暮れを迎えた酒場にて、エッケハルトに甘えた声をかけてきたのは、すっかり顔なじみ同然になった娼婦たち。彼女らはエッケハルトを見つけるとすぐさま取り囲み、ベタベタ纏わり付いてきた。彼は相変わらず渋い顔だったが──


 そうか、明日出発か。

 しばらくあらゆる娯楽と疎遠になるし、下手したら死ぬのか。


 そう認識すると、一気に心持ちが変わった。やおらぽんと膝を打つ。


「わかった。今日は世話になる」

「本当!?」


 色めき立つ娼婦たち。エッケハルトはごそごそと懐を探り、彼女らに銀貨を渡した。


「その代わり、好きにさせてもらうぞ」

「やった〜むしろご褒美! 待ってました!」


 その言葉で左右に一人ずつ女を従えたエッケハルトは、キョロキョロと視線を巡らせ、ハドリーを探した。彼もまた、顔なじみと最後の挨拶でもしていたのだろうか。酒臭い店内で、ハドリーがたくさんの人に囲まれてげらげら笑っている。

 人をかきわけ、彼に近づく。相棒はすぐさまエッケハルトの存在に気がついた。


「お、どうした?」

「こいつらと少し遊んでくる。そんなにかからずすぐ戻る」

「おお? ついにうぶなねんねから脱皮するのか……感慨深いなぁ」

「うるさいな、そういうんじゃない。……逆願掛け、みたいなもん」

「ギャクガンカケ?」

「ああ」


 馬具を売り、鎧も売り、服も食べ物もすっかりこちらの文化に染まった。おまけに昼も夜も酒盛りし、しょっちゅう女に囲まれる暮らし。これほど堕落してしまっては、さすがに自分の中ではともかく、父他古い知人の前で「立派で清廉な騎士」を名乗るのは気が引ける。


 ならば、父たちを救うまでくだらないプライドは捨てると決めよう。

 ここで新しい自分になるんだ。

 そう心に誓ったから。


 かくしてエッケハルトは決別と決意の儀式を兼ねて、アレクサンドレッタ最後の夜を豪勢に過ごした。

 なお一応報告しておくと、娼婦の皆様には大変満足していただけたようだ。もう立てない、明日はお休みしよう。二人が嘆く中、ハドリーの元へ戻るのはそれなりに気分が良かった。





 





 西方歴1145年、1月半ば。

 いつにも増してよく晴れたその日は、実に出発日和だった。

 エッケハルトはハドリーに借りていた服全てにブラッシングを施して返却し、新たに買った自分用の服に袖を通す。


 黒地に真紅の刺繍をふんだんに施した、ゆったりした衣服。頭にも同意匠の布を巻き、金髪を隠す。これは砂漠の遊牧民の民族衣装らしい。これだけ派手な服なら、最悪の時顔より服に意識が向く。いざという時はこれを脱ぎ捨て、逃げるといいだろうというハドリーの入れ知恵だ。


「お、似合ってるじゃん」

「どうも」


 馬に荷物をくくりつけ、颯爽と跨り、いざ出かけようとすると。アレクサンドレッタの住人たちが、早朝にも関わらず何人も外に出て二人を見送ってくれた。

 老いも若きも。

 それだけで、ハドリーがこの街の住人に存分に愛されていると知れた。


「ハドリー、死ぬなよ」

「エッケ、またな」


 口々に声をかけ、手を振ってくる。

 エッケハルトとハドリーはそれら全員に手を振り返し、大声で叫んだ。


「ああ、またな!」






  


 かぱっ、かぱっ、かぱっ。

 軽快に馬が走っていく。

 空は快晴。風もなく、穏やかな天候。


 二人はとにかく、南東を目指して移動を開始した。しばらく走ると如実に建物がなくなってくる。山を超え、街2つまではアティオンの領土。そこから他国、サディークの領土に入る。


「そういや、これから敵地に行くからには身分を偽るんだろ。偽名、なんか考えた?」

「ああ、テキトーに。ヤヌシュ、でいいや」


 山に向かう途中、ハドリーが呑気に世間話を振ってきた。

 これからは「エッケハルト」なんて長くて御大層な名前は名乗れない。短く、地味で西っぽすぎない名前がいい。だからヤヌシュ。こんなんでいいだろう。

 

「そうか、ヤヌシュか。俺はもうあちらさんに顔も名前も覚えられてる。そのせいで完璧にサポートしてやることは、出来ないかもしんないけど。いざって時は一人で頑張れよな」

「心配どうも」


 ハドリーはあっちに顔と名前を覚えられている、か。それが功を奏せばいいのだが……はてさて。並んで走る二人の衣類が音を立ててはためく。


「あと、とりあえず次の肩書き。お前も傭兵ってことでいい? 貧乏過ぎて西から流れてきて、仕方なく剣を振ってるタイプ」

「設定はなんでもいいよ」

「わかった。じゃああとやることは…………

 あっちの領土で、お仕事見つけないとな」


「え?」


 お仕事? なんで?

 エッケハルトは思わず馬上でハドリーの顔を見てしまった。彼は極々真剣な顔をしている。


「いいか、まだシャルファが落ちて一ヶ月も経ってない。しばらくは怪しい動きをしない方がいい。あちらさんに信じてもらえる程度に、戦に出て傭兵のふりをするんだ」

「…………」


「急ぎたいお前の気持ちがわからないとでも思ってるか? いいか、そもそもお前の言ってた状況から2週間。基本的に親父さんたちの生存は望み薄だ。その上で、もし生きて捕らわれてるとしたら、見せしめの可能性が高い。長く牢屋に閉じ込めて、国内外に手柄をアピールするのが目的だ。

 だったら下手に焦るより、確実な潜入を目指した方がいい。本当にみんなで生きて帰りたけりゃな」

 

「……わかった」


 話しながら山に入る。整備された街道を通れば、迷わずあちら側に辿り着ける。

 

 エッケハルトと並走するハドリーは、晴れやかな笑顔。白い服に黒いベスト、黒い髪を靡かせて、隣の相棒を確かに見つめた。


「頑張れよ、ヤヌシュ。応援してる。お前の伝説はここから始まるんだ」

「んな大仰な……」


 


 二人の小さな一歩、そして大きな冒険の始まり。

 東西それぞれの神は、一体誰に微笑むのか。


 


 

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