第08話 二人の矜持、それぞれの想い
教会の鐘が12回打たれる時刻。澄み渡る空の下情報屋と別れた二人は、一度宿屋に寄った後、迷わず防具屋にやって来た。
重たい鎧を売り払い、ずしりとまとまった
袋の中で金貨がジャリジャリと踊る。その重さ、存在感と裏腹に、エッケハルトはかなり身軽になった。
首元に光る金の十字架のネックレス。腰から下げた立派な長剣。柔らかな金髪を潮風に遊ばせた元騎士エッケハルトの財産は、今や金銭以外ほぼこれだけだ。シャルファの城を出た直後に比べると、随分少なくなってしまった。だが彼に後悔の感情は一つもない。
その剣は、幼少の頃より戦う者として育てられた彼の「商売道具」であり「誇り」。
これが無いと話が始まらない。
一方、金の十字架は「彼の心」そのもの。
ただ神を信じ、その加護を祈る。
西方に生まれた彼の、アイデンティティ全てが詰まっている。
だから、今は売ったりしない。
エッケハルトは怯まない。例えどれだけ他の物品が手元から無くなろうと、一族から賜ったこのたった二つがあれば。どんなに身なりが貧しくなっても騎士で居られる。
それは彼の、本気の覚悟の現れ。
勝つために、奪われた自分を取り戻すために、必要な物を吟味した結果だ。
だから、仮に見た目の格が落ちようと今の姿は概ね満足なのだが。
「随分身軽になったな」
海辺の街、アレクサンドレッタのおおよそ中央にあたる繁華街。昼時だし飯を食おう、と移動する中、エッケハルトの隣を歩くハドリーがしげしげと相棒を眺める。
どうもハドリーは、いかにも騎士! という見た目だったエッケハルトが豪奢な装備を随分あっさり売り払ったことに、酷く面食らったようだ。あるいは、自分の助言で一気に高価な物を売らせてしまったことに、幾ばくかの罪悪感があるのかもしれない。
どちらにせよ、尻の穴の小さい庶民の考えだ。エッケハルトはふん、と鼻を鳴らした。
「そうだな。でも気にするな。剣と
「そりゃそうだけど……金銭と手に入りにくさの兼ね合いで言うなら、馬の方が売って良かった気がするけどな。あんな立派なブツ、この辺に売ってると思うか? いい鎧だったのに」
ふむ、そういうことか。入手の容易さ。だがエッケハルトは一瞬考えた後、やはりこれで良かったのだと再認識する。
あの愛馬はただの馬じゃない。何故なら──
「単純に馬と鎧を比べろと言われたら、やっぱり馬の方を手放さない。身を守るだけなら他の何にでも出来る。でもあの馬は、騎士に叙任された時父から貰ったものだ。手放すのは色々な意味で惜しい」
「…………」
あの馬は、故郷から共にやって来た愛しい相棒だ。勇敢でよく懐き、何よりエッケハルトの意図をよく汲んでくれる。理想の馬だ。あれほどの存在は、思い出込みで二度と出会えないだろう。
するとハドリーは、
「あーなるほど。諸々含めて馬のが大事なのな。つまり親父さんたちの形見的な?」
カラリと笑いながら、とんでもないことを言ってきた。わかっているくせに。父も兄もまだ死んでいない。そうと確認していない。なのに……こいつ、わざとだな。エッケハルトは不機嫌そうに瞳を細め、拳の背でハドリーの胸を叩いた。
「……殴っていいか?」
「悪い悪い。でも、夢が見られるだけいいじゃん」
ぽそりと告げられたその言葉。あくまで軽快な声音。そこに隠された本心。
もしかして、こいつは。
「もしかしてお前……国だけじゃなく、家族すら既に無い、のか」
「……そうだよ。
あの日、両親祖父母きょうだい、みーんな目の前で死んで、俺だけ残ったから。お前と違って、夢の一つも見られなかったんだよ」
出会った頃、ハドリーが言っていた。彼は11歳で生まれた国を失ったという。その時、同時に家族のことごとくをも亡くしたのだ。
似て非なる生育環境。
だからハドリーはたまにチクリと嫌な言い方をするのか。
俺はもう何もかも無くしたのに、と。
「…………。悪い」
「なんか、こういう話したらみんな謝るよな。むかつく。お前だって同じじゃないのかよ」
「…………………………それは、」
ごくりと唾を飲むエッケハルト。違う。違う。否定の言葉が喉まで出かかって、しかし出てこない。ハドリーになんと言えばいいのかわからない。彼はそんな困った様子のエッケハルトを見て、ふふ。と小さく笑った。
「……ま、いいや。とりあえず、お前は俺みたいになるな。
そのまんま、まーーっすぐなままでいてくれよ」
どういう意味だろう。褒められている気がしない。エッケハルトが眉根を寄せると。
「……それは、褒められてるのか?」
「褒めてるさ。めちゃくちゃな」
ハドリーはおおよそ心からにんまりと、笑みを浮かべたように見えた。そしてその話はそれ以上続かなかった。エッケハルトは静かに、彼に気取られないよう小さく息を吐く。胸元に忍ばせた十字架をぎゅうと掴む。
時に人に訪れる、突然の不条理による死。
それはあるいは、エッケハルトの家族もそうであるかもしれない。
だが、仮に悪い想定を極力しておくとしても。ほんの少しでも彼らが生きている可能性があるなら、それに賭けたい。祈らずにいられない。それが悪いことなわけがない。人間は希望を胸に灯せる生き物なのだから。
神よ。今もどこかで彼らを見守っているだろうか。
そうであれば、どうか彼らに慈悲と守護を与え給え。
エッケハルトは胸元を握りしめ、視線を上げる。強い海風が彼の髪と全身を撫でる。ハドリーはそれを静かに。無言で見つめていた。
カラスに似た声が断続的に響く。眩しいほどに輝く海の上で、カモメが鳴き交わしている。今日はやけに数が多い。良い餌でも見つかったかな。エッケハルトがそれをぼんやり眺める。
馴染みの飯屋、屋外に鎮座するいつもの席。テーブルの上にはまたしても地図。あーむ。ハドリーが豆のペーストをつけたライ麦パンに齧り付き、咀嚼する中。彼が指し示すハルペという街は、ここアレクサンドレッタから山を越えて少し行った所。本当に近いように見える。
「さて、このハルペ。ここに潜り込む具体的な方法なんだけどさ」
ハドリー曰く敵の懐。簡単には入り込めない堅牢な城塞都市。さてどうするか。エッケハルトが彼の話の先を促す。
「何か策があるのか?」
「無くはない。お前、『奴隷軍人』って知ってるか」
「なんだそれ」
ハドリーは食事を続けながら、淀み無くエッケハルトの疑問に答えてくれる。
「イラーフ教の奴らがこぞって囲う、有能軍人の卵さ。
最初は奴隷。でもあいつらは奴隷にある程度の人権を与える。だからそいつが他よりとりわけいい働きをしたら、領地も高い地位も与える。そしてそいつは将軍となり、国の支配者になる」
「へぇ、随分太っ腹なんだな」
イラーフ教。西方の神ゼウスを否定する悪魔の集団だと思っていたが、その裏でそんなことをしていたのか。エッケハルトは黙々と薄切り肉を食べながら、ハドリーの言葉に耳を傾ける。
だがそのあとハドリーが口にした言葉は、彼の予想を遥かに越えて刺激的な内容だった。あくまでさらりと言われたが、到底一度で飲み込みきれない。
それすなわち。
「だから、俺とお前でこれを目指す。
サディークの懐に、直接潜り込むんだ」
「は? サディークの、……奴隷に?」
え。今なんて言った? 親の仇かもしれない男の奴隷になれ? 正気か? エッケハルトがぽかんと呆けた顔をすると。ハドリーは心底愉快そうに唇を持ち上げた。
「勿論。お前がそんなん
それを踏まえた上で、これからの行動を決めてくれ」
「…………!」
なんと意地が悪いのか。そんな風に焚きつけられて、すごすご引く男なんて居ない。エッケハルトはハドリーを睨みつけ、唇を引き結ぶ。
「…………言うじゃん。やらないわけ、ないだろ。
いいよ……やってやる。
奴隷? 下剋上? 上等だよ」
「ああ、いいねその顔。
めちゃくちゃ好きだよ」
射抜くようなエッケハルトの視線を受け止めるハドリーは、至極ご機嫌だ。これでもかと瞳を細め、満足そうな笑みを浮かべている。
決まった。二人はこれから、奴隷を目指して行動する。ハドリーがパチンと手を叩く。
「そんじゃ金も出来たし、飯食ったら改めて旅支度だ。
急ぐんだろ? ざっとあれこれ買っちまわないとな」
ハドリーの態度はあくまで軽快だ。故郷を奪われ、傭兵になり、身体を張って食いつないで、それでもこうして他人に手を差し伸べる。
何がそんなに彼を突き動かすのだろう。
エッケハルトはふと疑問に思い、聞いてみた。
「そういやお前、なんでそんなに俺に良くしてくれるんだ?
ハッキリ言って、お前にとって俺は無関係の他人だろ? いや、頼んだのは俺だけどさ。にしても……」
するとハドリーは、これでもかと言わんばかりの爽やかな笑みを見せてくれた。
「そんなこと言うなよ。困ってる奴を助けるとさ、これから不幸になるかもしれなかった人を一人でも減らせたかな、って思うんだ。
ただの自己満足だけどな」
「…………」
自己満足。
彼は簡単なことのように言うが、実際それを実行するのはとても難しい。
あの日困り果てて縋り付いたエッケハルトを、悩みながらも受け入れてくれたハドリー。逆に自分がその立場だったら、同じように出来るだろうか?
騎士は「弱者を助けろ」と代々言われて育つ。それをどこまで貫けるだろう。今こうして、自分の立場を危うくしてまで助力してくれる彼を見ると、複雑な気分になる。
エッケハルトはぱくりと肉を口に運んで。
「……あのさ。ハドリー、改めてありがとう。お前が居てくれて良かった。これからもよろしく頼む」
「お、何々? 俺の気高さに惚れた? かっこいいだろ俺?」
「うん、自分でそれを言わなかったらもっとかっこよかったんだけどな」
ハドリーと出会って、早一週間ほど。その間、彼の軽薄さには呆れるばかりだったが──その一方で、救われる思いもあった。
もうすぐここアレクサンドレッタを立つ。
それが出来るのも、知識経験共に豊富な彼の存在あってこそ。
きっと全てが終わったあと、彼には頭が上がらなくなるだろう。
「…………ま。別にいいけど。お前がかっこいいのは事実だし」
「やだ、面と向かって本気で言われると照れる」
「自分で話振っといてそれかよ」
二人がこうして、のんびり出来るのもあと少し。
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