第07話 情報屋の男が言うことには
燃え落ちた、戦場となっていたはずのシャルファは今どうなっているのか。
情報屋からの返答を待ちながら、数日。療養を終えたエッケハルトは、ハドリーと共に実に自堕落な生活を送っていた。酒場の賭けで日銭を稼ぎ、酒を煽り、ベリーダンスを踊る女を眺める。厳格なエッケハルトの父が見たら、それはそれは驚くかもしれない。そんな日々に浸ることに、あまりにも慣れてしまった。
いつぞやの雨はすっかり上がり、再び晴れ間がアレクサンドレッタに広がっている。騎士出身であることをあまり明かさないように。そう言われてハドリーの口調を真似し始めたのも、だんだん板についてきた。
シャルファを立って早2週間近く。
輝く金髪に白い肌、灰色の瞳の西方人エッケハルトは、すっかり砂漠と海の街アレクサンドレッタの住人になりつつあった。
「お兄さん綺麗ね。どこの人? 西?」
「そうだよ。遠く、遠くから来たんだ」
「なーにシケた面してんのよ。雰囲気台無し。疲れてんの? おっぱい揉む?」
「……要らね」
「ノリ悪〜い」
潮の匂いが微かに広がる馴染みの酒場で、どこから現れたのか、見知らぬ娼婦たちに左右から迫られる。さらに正面から女が来たと思ったら、その豊満な胸で視界を塞がれた。息が出来ない。苦しい。
バタバタもがいていると、エッケハルトに何者かの気配が近づいてきた。恐らくハドリーだ。
「おいおい、随分モテてんなぁ」
「ねぇ、この子ハドリーの知り合い? 随分可愛いじゃない」
「そうだよ、でもお手柔らかにな。そいつお硬い奴だから」
「え〜〜、いいじゃん。そういうのこそ落としたくなるのよ」
きゃあきゃあと甲高い声が周囲を飛び交い、やはり近くにきたのはハドリーかと思ったが。全くどうしてやろう。今は女と遊ぶ気分になんかなれないのに。思わずエッケハルトが眉間にシワを寄せたあたりで。
「おーい、金髪の兄さんは居るかい」
ふいに聞き覚えのある声が聞こえて、エッケハルトは慌てて女を押しのけた。低音の馬鹿笑いと大げさに騒ぐ声があちこちで響く、やかましい酒場の中で。小柄で細身の男が、なんとか巨漢たちの間をすり抜けてこっちへやって来る。
こいつ、数日前に仕事を頼んだ情報屋の男だ。間違いない。
「よぉ兄さん。調べついたぜ。聞く?」
「聞く」
「このままでいいか?」
「いい」
縋るような気持ちで情報屋の前にまろび出るエッケハルト。情報屋の男はこほん。一度咳払いをした後、澄ました顔で口を開いた。
「シャルファな。首都陥落したってよ」
「なっ……」
ついに嫌な予想が現実になった。隣のハドリーも硬い表情を浮かべている。エッケハルトは思わず言い募った。
「なら、中の、住民は。西方系の白人たちは、全員殺されたのか。捕虜は、出なかったのか」
「さぁ。とりあえずシャルファの城は燃え尽きてがらんどうになってるらしい。死者多数。まぁこれは中の住人かな」
「騎士が、戦っていたはずなんだ。40過ぎの男で、大柄で、甲冑で、見た目の色は俺と同じだ。同じような若い男も居たし、ローブを着た魔道師も、居たのに、みんなどうなったんだ」
死者多数。街の人々を救えなかった。一瞬絶望の念が頭をもたげるものの、いや。せめて父だけでも。兄だけでも。魔導師の一人きりでもいい、捕虜でいいから生きていて欲しい。
「何か、知らないか。俺の仲間なんだ。どんな小さな情報でもいい、彼らの行方について知っていたら教えてくれ」
エッケハルトが必死に尋ねるが、情報屋の男はいかにも迷惑そうな顔をした。ずいっと二本指の輪を突き出してくる。
「はい、これ以上知りたけりゃ追加料金寄越しな」
「…………ッ、外道……!!」
エッケハルトの目尻がみるみるつり上がっても、男は怯まない。むしろ面白がっているようだ。乾いた笑みをその唇に浮かべる。
「そう言われても、こちとら商売なんでね。オレの仕事は
「……貴様!!」
「まぁ、まぁ」
ここで見かねたハドリーが割って入った。黒髪に紺の瞳。大柄でいかにも鍛えられた身体。顔面に大きく傷が入った彼に鋭い目つきで睨まれると、情報屋の薄笑いが消えた。
「シャルファを落としたのはサディークだな」
「ああ、そうだ。情報を集める途中で聞いた。イラーフ教の勢力──あちらさんの界隈では英雄だとよ。ゼウス教の奴らに横っ面張ってやれたと」
「ふざけるな!!」
思わずいきり立ったエッケハルトだったが、ハドリーに片手を出されて押し黙る。情報を持ってきただけのこいつを責めてもなんにもならない。今大事なのは、極力たくさん情報を仕入れて後に役立てることだ。
「じゃあ、捕虜が出たとしたら、収監されたのはサディーク朝の首都ハルペだな。すぐ近くだ。馬で数日」
「今から行く!!」
「そりゃ気が早いってもんだぜ」
秒で次の方針を決めたエッケハルトだったが、ハドリーはそれにやんわりと待ったをかけた。何が楽しいのか、彼は小さくせせら笑っている。
「一応聞くぞ。これからどうする。親父さんたちが捕虜になったかどうか、可能性は定かじゃない。もう諦めて自由にならないか?
お前もちったあこの街に馴染んできただろ」
カマかけだ。エッケハルトは咄嗟にそう思った。この質問は、彼の覚悟を問うているのだ。そんな手に乗るものか。エッケハルトはハドリーを睨みつけ、眉間にシワを寄せた。
「いいや、そんな甘言には乗らない。私は真剣に家族の行方が知りたいから、これまで金も労力もかけたんだ。こんな僻地で遊び暮らすなんてあり得ない。
そんな下らない欲を満たすために、ここまでやって来たわけじゃないんだ」
「言っとくけど、ハルペは個人で突撃してどうにかなるようなちゃちな街じゃねぇぞ。あちらさんの首都。何度大軍に攻囲されても跳ねのけてきた、とりわけ堅牢な城塞都市だ。
そんなとこに何をしにいく?
まさかヤケになって自殺がしたいのか?」
「違う。父と兄、配下が生きているか確かめたい」
下卑てやかましい酒場の、二人の周りだけ。あまりに真剣な様子の二人に気圧されて、そこだけがぽっかりと静まり返っていた。派手な化粧を施した娼婦がぱちぱちと瞬きを繰り返している。
片や西方の由緒正しき騎士。
片や彼のやることに手を貸す地元の傭兵。
なるほど、そうだったんだ。
誰かが口にしたのも、二人の耳には届いていない。
「じゃあもし、ハルペで探した結果全員死んでたら?
その可能性は高いぞ? 耐えられるか?」
ハドリーが最後の念押しをしてくる。もちろん、そんなこと最初から想定している。何度も何度も頭をよぎり、否定し、それでも現実としてありえる未来を。
エッケハルトは恐れない。
希望と絶望を同時に胸に秘める。
彼の瞳は強い意思を
「……もし丹念に調べた結果、全員死んでたら。
その時はその男を。
サディークを。
殺す」
エッケハルトは本気だ。何度も想像した惨劇も、今や彼を前に進ませる原動力でしかない。
異教徒を殺す。
今や彼とその一族の悲願となったその祈りを胸に抱き、
「ふぅん、面白ぇーじゃん。俺、分の悪い賭けに乗るのだーいすき」
合格。と言いたげだった。ハドリーはパン、とエッケハルトの肩を叩き、ぐいと抱き寄せる。
「でも、だとしたらお前の全身鎧はむしろ邪魔だぞ? あれはどうするんだ。あんないい鎧を着てちゃ、すぐに生き残りの報復戦闘だってバレちまうだろ。上手くやりたいなら、あれの上手い使い所を考えないと」
「なら、売る。処分する。鎧一式を捨てる程度で父様たちを救えるなら、いっそ安いもんだ」
売る。大事な一財産と言える立派な全身鎧を、こうもあっさり売ると宣言するとは。
間髪入れず返ってきたエッケハルトの答えに、若干ハドリーが怯む。
「あっいや、でも、全部売ったら身の守りは……」
「安い鎧を買い直せばいい。その方がハルペとやらに潜り込むのに都合いいんだろ?」
「えっと、なるほど……?」
エッケハルトの目に迷いはない。
ああそうだ。あからさまに騎士の姿で行っても、いいことなんて一つもない。それこそ重くて動きにくい上に、敵地真っ只中なら良い的になるだけだ。
それより、もっと現実的かつ効率的に。最悪の場合、狙うは憎き仇サディークその人だ。狙いが個人なら、むしろ身軽な方がいい。ああそうだ。いっそ国取りだ首都奪還だなんてでかいことは言わなくていい。
家族と仲間を奪った張本人を殺す。
このドシンプルな理屈でいいのだ。
(……待ってろ、サディークとやら。例えどんな結末になろうと。俺はお前を許さない。必ずその
エッケハルトの美しい顔、淡い灰色の瞳に、憎しみの青い炎が灯る。
決まった。次に目指すは、アレクサンドレッタから馬で約数日の距離。
サディーク朝の首都、ハルペという街だ。
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