序章 海と砂漠の街

第03話 一縷の希望


「はぁ…………176センチある女なんかそうそう居ないだろう…………」

「それが居るんだよ、特に白人はでかいから」

「……それにしても、甲冑……」

「素敵な女騎士様だなって思ったんだよ!!!!」


 海沿いの街でならず者に絡まれ、窮地を脱してからしばし。まさかの「全身鎧の女だと思っていた」という勘違いのせいで、エッケハルトはしばらく下らない問答をする羽目になった。

 だがまぁ。

 

 ウェーブがかったセミロングの淡い金髪。華やかなまつ毛。すらりとした鼻筋に、中性的でクールな目元、灰色の瞳。今でこそ汚れているが、磨けば真っ白になる肌。さらに添えるなら、一週間の強行軍でかなり痩せた頬。首から上しか見えない鎧姿では、まぁ、やつれた美女に見えなくも……ないかもしれない。


 これは「一人前の騎士」になったという自負があるエッケハルトとしては、かなり屈辱の状況だった。苛立ちのあまり、つい自己紹介を始めてしまう。


「全く……。私の名前はエッケハルト・シュタウディンガー。今年の春騎士叙任を受けたばかりの16歳だ。断じてやつれた女騎士ではない」

「どこの出身?」

「ここから三ヶ月ほど西に馬を走らせると辿り着く、海の向こうだ」

「つーと……アヴァロンかな」

「よく知っているな。そうだ、そこから。遥々ここまで、東西聖戦の救援をしようと父及び兄弟と共にシャルファにやってきたんだ」

「へぇ、ご苦労さん」

  

 話しながら、狂犬男が当たり前のように地べたに腰を下ろすものだから、エッケハルトもなんとなくそれに従った。鎧がガチャリと鈍い音を立てる。そういえば、これまでひたすら移動してばかりだった。本来なら、こうしている暇さえ惜しいのに。


 だが、目の前の男はのんびりした態度だ。お返しとばかりに自己紹介を返してくれた。


「俺、ハドリー。18歳。フリーの傭兵やってる」


 やはり戦闘職。短く刈った黒髪、よく焼けた黄色おうしょくの肌。顔面向かって右から左にかけて、斜めの大きな傷跡。顔立ちは全体的にキリリとしているが、どことなく人懐っこい雰囲気を醸している。

 それ以外に目を引いたのは、生成りのシャツ、黒いズボン。そして立派な刺繍の施された、丈の長い黒いベスト。エッケハルトはその美しさに目を惹かれた。


「それ。素敵な刺繍だな」

「ああ、これは俺の母国の民族衣装。気に入ってるから未だに着てる」

「出身を聞いてもいいか?」

「ノル・アルメイア。ここから北に行ったとこにあった、消えた小国だよ」

「………………消えた…………」


 男は、ハドリーは、あくまで明るくからっと言葉を続けた。


「俺が11歳の頃、隣国に滅ぼされちまった。それ以来ずっとこの辺で暮らしてる。傭兵になったのは14の頃かな」

「…………もう4年、戦い続けてるんだな」

「ああ。今年で5年目だ」


 ゆったり語る彼の声音に、悲壮感というものが一切ない。だが、彼が悲しくないなんて思えない。つい一週間前国を追われたエッケハルトは、複雑な気持ちで唇を噛んだ。


 ……こいつなら。話せるだろうか。意を決して。エッケハルトはハドリーを見返した。


「実は…………」



 

 

 そこでようやく、これまでの経緯をかいつまんで話すことが出来た。なんとかならないだろうか。祈る思いで、出会ったばかりのハドリーに相談を持ちかける。


「ううううん、シャルファがほぼ壊滅か。公爵に連絡…………首都奪還…………そう上手くいくかな……」

「もちろん、今から行ってももう手遅れかもしれないし、この国からすれば厄介事を抱え込むだけだ。それでも、せめて一言連絡だけでもしたい。西方の教皇までこの惨状が届けば、そこから援軍が来るかもしれないし」 

「まぁそれはな」

 

「…………ハドリー、頼む。私に協力してくれないか」


 やっと出会えた自分に好意的な人物。この好機を逃したくない。エッケハルトが縋るように見つめると、ハドリーはバツが悪そうに視線を反らした。

 

「………………

 ……………………

 …………………………はぁ、わーったよ。

 

 俺は分の悪い賭けがわりと好きでな。

 偶然とは言え出会った縁があるし、ちょっと悪いことした借りもある。だから……仕方ない。壊滅寸前の国を救いたいっつーお前のこと、助けてやるよ。なんか面白そうだしな」

 

「……ありがとう!」


 交渉成立。二人はぎゅうと固い握手を交わした。その上でハドリーは、にこにこと笑顔を崩さない。

 

「じゃ〜まぁ、俺はお前の望みが叶うまで一緒に行動するとして…………失礼ついでにひとつ聞いていい?」

「なんだ?」

「最後に水浴びとかの類をしたの、いつ?」

「……………………」

「……………………」

「………………………………。一ヶ月と……一週間前、かな」

「よし、案内するから鎧全部脱いで洗え」









「はぁ………………さっぱりした………………!」

「正直ヤバかったよ、におい」

「すまない…………」


 ハドリーに案内された先、彼の常宿にて。清潔な湯と西洋式石鹸、タオルに着替えを渡され、エッケハルトは実に一ヶ月オーバー越しの湯浴みを果たした。敵襲の不安が拭えず、どこへ行っても鎧を脱げなかった。正直、一旦戦場に出てしまえばこんなことザラだが。ようやく身も心も開放され、うーんと伸びをする。


「うわっ、手足ほっそ」

「ろくな食事を取れなかったからな」

「いや、にしても。全然筋肉なくない? もっと食って鍛えて太れ。飯奢ろか?」

「それはありがたい。が……

 お前、見るなよ男の湯浴みなんて…………」

「いや、こんな金髪白人美人滅多に見れないから……つい…………」

「ついって」


 二人が居るのは宿の中庭だ。真冬だが、温暖な地域だし熱いお湯が横にあるとそこまで寒くない。他の誰も見ていないのをいいことに、二人は他愛もない会話を続けた。


「女だったら抱いたのに……」

「やめろ気色悪い」

「生まれ変わってくんない?」

「無理だ」


 桶の湯、身体、桶の湯、身体。タオルを何度も往復させ、しばらくせっせと洗っていたエッケハルトだったが、30分ほどするとようやく全身綺麗になった。砂と垢で濁った湯を勢いよく捨て、一気に立ち上がる。


「ほら、どいたどいた。次は何処に行くんだ」

「次は飯。俺の馴染みの店に連れてってやるよ。ついでにシャルファが襲われた時の話も聞かせて欲しい」

「わかった」


 乱雑に全身を拭き、借りた服に袖を通す。簡素なシャツと下着、ズボンだったが実に気持ちいい。


「…………ぷは、」


 飯。食事。なんだか久しぶりにマトモな食事を取る気がする。何故だろう? エッケハルトはふと、傍らで財布の中身を確認するハドリーを見て。


 ああ、そうか。誰かと落ち着いて食べる食事が久しぶりなんだ。


 そう気づき、ふ、と笑みを漏らした。


 誰かと一緒に食事が取れるというのは幸せだな。







  


 海沿いのこの街に日没がやってきた。エッケハルトは上着を貸してもらい、恐らく街の中央に位置すると思われる繁華街にやって来た。馬と鎧は宿屋。なんとも身軽で、洗った頭も軽い。気持ち肌寒いが、故郷と比べるとまるで冬とは思えない穏やかな空気に、ほろりと心がほぐれた。橙色の海が眩しい。


「なんだ、海の方ばっか見て」

「ここ一週間、ずっと砂ばかり見ていたから。綺麗だなと思って」

「あーなぁ」


 二人は今、店の外にどんと置いてあるテーブルセットに腰を下ろしている。頼んだ料理が来るまで、ハドリーは自前の地図を広げて周辺諸国の説明をしてくれた。


「ここ、地図の左側が西方。そんで大陸を左から右に向かって大きく抉ってるこの窪みが竜口海。

 これに沿ってゼウス教を信奉する西方系国家が並んでて、竜口海の右上、竜の喉に当たる一番北が、今俺達が居るアティオン公国。領主もとい公爵が居る首都のアティオンはもっと南だな」


(南…………)


 魔導師が書いていたのはこれか。


「アティオンの南がトリノ伯国、さらにその南がイルシリア王国。ゼウス教とイラーフ教両方の聖地を抱えてる。お前が来たシャルファはアティオンの東隣だな」

「ああ」

「んでシャルファの周辺から攻めてきたとなると、まず間違いなくセルチュク帝国系だ。サディーク……ブーリカ……大セルチュク朝? ロマニアの方か?」


 ぶつぶつ言いながら地図をなぞるハドリー。この辺はかつてエッケハルトも父と領主から習ったが、とんと実感がわかない。情けない。

 ふいにハドリーが顔を上げる。紺色の瞳と目があった。

 

「……えーと、お前の名前……」

「エッケハルト」

「じゃあエッケ、敵さんの旗はどんなんだったか覚えてるか?」

「……旗? 確か……」


 夜闇にひらめいた憎きあの旗は、無地の黄色だった。

 

「……何も描かれていない、黄色だった」

「ああ、じゃあサディークか。

 セルチュク帝国系列、サディーク朝。それを治めるサディークって野郎は、かなり荒くれた統治者でな。勇猛、粗暴、トリッキーな作戦……奇襲もお手の物。結果悪い噂に事欠かない、あちこちに恨まれてる男だ。

 俺こいつの下で戦ったことあるけど、まぁ大胆な奴だよ」


 そうこうしていると料理がやってきた。焼かれた薄切り肉、ボール状の揚げ物、スープに浸かった何らかの野菜巻き。白いどろどろした物はなんだろう。とにかく形容しがたい、西方とはまるで違う料理ばかりだ。


「ま、とりあえず腹減ったろ。食え。奢る」

「ありがとう……」


 エッケハルトが勧められるまま一口食べると、存外に美味い。気持ち酸味が際立つ味だ。フルーツや野菜が多いのかもしれない。


「……美味い」

「良かったな」


 ハドリーはそう言って、一旦地図をテーブルの脇に避けた。彼もまた木のカトラリーで食事を始める。


「もう夜になる。細かいことは明日以降にしよう。公爵に連絡を取りたいなら、手紙書いて飛竜を使え。金あるんだろ? 馬でえっちら片道一日以上使うくらいなら、飛竜飛ばした方が早い。

 良いとこ生まれの騎士様なら字ぐらい書けるだろ。今日は休むといい」




 


 その後は二人で向かい合い、黙々と料理を食べた。

 徐々に太陽が海に飲み込まれていく。

 暗くなる世界。

 そこに静かに、一番星が輝く。


 それはまるで、暗澹たる現実の中でエッケハルトが掴んだ、一縷の希望。


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