第02話 放蕩無頼の狂犬


「西へ」。


 落城間近の戦況でそう叫んだ魔導師は、未来をどれだけ予測していたのだろう。馬を駆り、随分移動したのにどこにも着かないな、とエッケハルトが思った頃。世界に夜明けが訪れ、彼の視界が燦然と開けた。

 

 地平線まで続く、広大な砂漠。

 

 ああ、どんなに急いでも一昼夜で着くようなものではない。絶望しかけた所で、馬に見知らぬ荷物がくくりつけられていることに気付いた。魔導師が用意したのだろうか、中には手書きの地図と最低限の水、食料、「旅費にして下さい」という走り書きと共に金貨が入っている。助かった。

 

 ありがたく地図に従い、最初の街に辿り着く。そこでさらに物資を調達し、街から街へと進む。ひたすら西へ。山に突き当たり、南へ。山道を見つけて、また西へ。7度も太陽が沈み、登る世界の中で。たった1人走り続ける伝令の旅は、彼の心を著しく消耗させた。

 

 こんなに時間が経ってしまっては、助かる命も助からないだろう。あの日の魔道師は、全てわかった上でエッケハルトを外へ放り出したのだ。長男である彼の兄は、父に付き従って死ぬ義務がある。

 だが次男の彼は、逃げ延びても罪にはならないだろう。


 騎士のことわりなど捨てていい。遥か彼方で構わない。生きて欲しいと。


 確かな願いを託して魔法をかけたのだ。


 至極真面目だが主人想いだった魔導師の、そんな気持ちが透けて見える。だが、エッケハルトの心は定まらない。そんな終わり方でいいのか。父も兄も弟も、過去も故郷も何もかも、捨てて自分だけ生き延びていいのだろうか。





 山を越え、海が見えた。街道最後の分かれ道。地図には

 「苦しければ西へ、悲しければ南へ」

 と書いてある。その先の街の名前は書かれていない。なんだこれは。こんな切羽詰まった状況で謎掛けか? エッケハルトはしばし唇を噛み、項垂れて。


(……悲しいか、苦しいかと聞かれると〝苦しい〟なんだよな。でも、それがなんだっていうんだ……)

 

 西へ行く道を選んだ。


 これはどういう意味なのか。

 

 疑問は残るが、ついに。やっと。エッケハルトは海に面した大陸の西端に辿り着いた。







 湿った潮風がエッケハルトの柔らかな金髪を撫でる。砂漠の強行軍の果てに辿り着いたこの街は、小さな窓の石造建築が並び、気持ち故郷に似た風景が広がっていた。道行く人々の服装も、懐かしい意匠の者が多い。首都シャルファ以降、これまで立ち寄った街はどこも褐色肌の住民が多かったため、エッケハルトはこの光景に心底ほっとした。

 

 さて、ここはなんという名前なのだろう。地図ではわざと街名が書かれていなかったので、住人に聞くしかない。だが行くアテなどない。エッケハルトは仕方なく馬を降り、なんとなしに街中を歩いた。


 しばらく行くと、手持ち無沙汰そうな男たちが数人路地に座り込んでいる。ラフな服装だが、腰から剣を下げているので同業者だろうか。とりあえず足を止め、彼らに声をかけることにした。


「こんにちは。ここはなんという街だ?」

「アレクサンドレッタだ。アンタ他所よそから来たのか?」


 通じた。エッケハルトは安堵のため息をつき、だが同時に大きな絶望に襲われた。首都じゃ、ない。そうか。魔導師にたばかられたか。


「…………。そうだ。私は、他所から来たんだ。この国の公爵に急ぎ用事があったのだが、道を間違えたようだな」

「はぁ? 領主様?? 会えると思ってんのか?」


 男たちが一様に目を丸くする。その後、うち1人が厭らしく双眸を細めた。


「…………は〜ん、アンタもしかして騎士か。随分立派な装備だもんな。なんだ、どこから流れてきたんだ」

「隣国シャルファだ。首都が奇襲で焼き討ちにあったので、救援を呼びたかったんだが…………なんでもない。世話になった」

「そうかいそうかい。まぁ待てよ」


 エッケハルトが踵を返すと、男たちが次々に立ち上がる。その瞳は皆、ギラギラと輝いていた。


「つまりお前さん、戦に負けてここまで逃げてきたんだな。んじゃあその馬も剣も鎧も、もう要らないだろ。置いてけよ」

「そうだ、これからはこんなのが要らない暮らしをすればいい」

「…………何を言っているんだ?」


 呑気者のエッケハルトも、ここでようやくこの場の空気が剣呑になりつつあることに気付いた。男達は皆、無遠慮に彼の容姿を値踏みしている。


「高そうな武具と馬だな。売ったらいくらになんだろ」

「この元騎士サマもかなりの上玉だ。東の奴らに売りつけたらすげぇ金になりそう」

「いいだろ? アンタはめんどくさい事からおさらば。俺達はウハウハ。いい事ずくめだ」

  

 ああ、そういうことか。エッケハルトは深くため息をつき、躊躇なく剣を抜いた。こいつらは違法行為で生計を立てる外道なのだ。

 ならば慈悲をかける必要など、一切ない。

 

「悪いが、ならず者にやる財産は何一つない。

 押し通る」


 静かに告げるエッケハルトの目の前で、男達も剣を抜く。1対4。やってやれない数ではない。

 否。誇りある騎士として、こんな奴らに負けるわけにはいかない。エッケハルトは剣のつかを利き手の下側に引き、真横からの攻撃に備えた上で男たちを睨みつけた。


「殺しても文句を言うなよ」

「そりゃあこっちの台詞だ。いくら鎧着てたって、この人数差だぜ。勝てると思うな」


 男たちはじりじりと間合いを広げ、エッケハルトを囲みにかかる。そうはさせるか。まずは目の前。

 ダン!

 軸足を一歩蹴り出し、大きく腕を振って斜めに振り下ろす。


「うわ、速!」

 

 ガツン! 男が剣で防御し、刃同士が交わる。追撃を入れやすい、有利な状況をとった。無意識に笑みが零れる。その上で相手がセオリー通りに来るなら、一旦身を引いた方がいいだろうか。数瞬考える間に、男はエッケハルトの下腹を蹴り飛ばしてきた。かなり度肝を抜かれる。


「ッ……!」


 すんでで倒れることこそ逃れたが、一度崩したバランスを立て直すのは難しい。体重の軸が後ろにずれた、そう認識した時には男たちに囲まれていた。


「……定石セオリーを外すなんて卑怯だぞ!」

「はぁ? 勝負は勝てばいいんだよ!」


 そのうち1人が、エッケハルトの背後から飛び蹴りをかます。ついに膝をついた。エッケハルトは即座に後方に身体を捻りそいつを柄頭で殴ったが、さっき前に居た奴が今は背後の敵となる。即座に死角から頭を蹴られた。きりがない。

 超近距離戦用に剣を持ち直す暇も与えられない。これが実戦か。


(私は、こんな所で終わるのか)


 ふらつく頭でなんとか立ち上がろうとしたが、それを許されるわけもなく。ぐいと金髪を掴まれた。汚い男の顔が覗き込んでくる。


「お前、どこ行きたい? 東でも南でも好きなとこ選ばせてやるよ」


 下卑た笑み。歪んだ口元。だがエッケハルトの灰色の瞳は澄んだままだ。怒りをその双眸に灯し、睨みつける。

 

「…………私は、貴様のような下衆な人間の言いなりにはならない…………騎士の誇りにかけて、ぶちのめす!」


 拳一閃。重たい手甲で思い切り殴ると、相手は大仰に倒れ込んだ。勢いでいくらか髪が引きちぎられた気がするが、この際どうでもいい。とにかく、この場を安全に切り抜けなくては。

 怯んだ残り三人の視線を受けて立ち上がる。いっそ殴り合いの方が速いかもしれない。格闘で十分な攻撃力があるわけだし。エッケハルトがそう思っていると。


「おい、楽しそうなことしてんな。

 俺も混ぜてくれよ」


 ふいに、視界の外から何者かの声がした。目の前のならず者達が目を剥く。

 

「げっ、狂犬……!」

「おいおい、はじめましてで犬呼ばわりかよ……せめて『狂犬ハドリー!』とか、そういう感じで呼んでくれよな」


 静かだが、どこか弾んだ声色。エッケハルトが背後を振り返ると、そこにはいつの間にか若い男が1人立っていた。


 漆黒の髪、黄色の肌、闇色の瞳。向かって右のひたいから左の頬に向かって、斜めに傷跡が走っている。背が高く、ぱっと見の範囲でもかなり立派な筋肉が見て取れる。腰には長剣を下げており、恐らく戦士的な職業──非常に戦い慣れた人間だ。

 そんな精悍な顔つきの男が、こちらを楽しそうに見ている。どうやら会話の流れから察するに、この男はある程度有名人のようだ。何者だ?


「ほらほら、俺がにこにこしてるうちに去りな。今なら痛くしないから」

「うるせぇ、4対2になったからって勝てると思うナヨ──」


 言葉の途中で。狂犬と呼ばれた男はならず者の顔面ど真ん中に躊躇なく蹴りを入れた。エッケハルトの眼前でそいつがくずおれる。いくら蹴りにしても、一発で沈むとは大したものだ。エッケハルトは思わず目を剥いた。


「次はどいつだ? お望みなら首だって飛ばしてやるぞ」


 狂犬男が剣を抜く。長い。ツーハンデッドソードという奴か。軽く子供の身長くらいある刃物を、男は悠々と構えている。


「狂犬なんつーあだ名を知ってるなら、俺が本気ってこともわかるよな?」


 鋭い犬歯を見せた笑み。3対2。ならず者たちは退くか押すか一瞬迷ったあげく、結局バラバラと逃げ出した。よほどこいつが怖いのか。エッケハルトが驚いてそいつに視線を送る。


 するとその男は、


「お、引いたか。これで危機は去りましたよ、姫。どうか労いのキスを私めに……」


 なんと、やおら片膝をついてそんな台詞を吐いたのだ。エッケハルトは右を見て、左を見て、迷ったあげく静かに告げた。


「…………あの、私は男なのだが」

「はぁ?! 男かよ!! きりっとした好みの女だと思ったのに!! やられた!!!!」


 そんな事を言われても、正直困る。




 

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