若騎士と狂犬

葦空 翼

プロローグ

第01話 誇り高き十字の騎士



 どふっ、どふっ、どふっ。


 湿った砂漠を蹴立てる音が鈍く響く。

 肌寒く真っ暗な夜空の下を、一頭の馬が駆けていく。

 その背には1人の甲冑を纏った青年の姿。

 彼の背後から火矢がいくつも飛んでくる。

 彼は必死に手綱を握りしめ、左右に馬を操ってそれを避けた。

 風切り音が強烈な「生」を感じさせる。




「西へお行き下さい!」




 父の配下である魔導師がそう叫んでいた。


「どうか西へ、海が見えるまで!

 隣国に救援を求めるのです!」


 燃える城壁を破りなだれこんで来た兵士たちは、故郷では見たこともない旗を持ち、見たこともない鎧を着ていた。浅黒い肌、黒い髭、真っ白な帽子。原色の衣装。


 異教の民。


 我らの敵。




 馬上の彼は唇を噛み締め、馬を駆ることしか出来ない自身を呪った。何故。何故。


 騎士の家に生まれ、異教の民を討てと教えられた自分が、家族と仲間の危機に逃げることしか出来ないのか。







 彼の物語の始まりは、8か月前まで遡る。







「異教徒を討て、1人も逃すな。

 騎士の本分は弱者の守護、神への献身、そして異教徒との戦いである。

 これより我らは東方へ向かい、友好国家シャルファの救援、守護にあたる。

 長い旅路となるが、この父の言葉を誇りと思い、ゼウス教信徒として恥じぬ戦いをするように!」


 西方歴1144年、春。父が十字を象った剣を掲げたその日、彼は16歳にして騎士となった。

 重厚な全身鎧。立派な長剣。金の拍車と頑健な馬を貰い、しなやかに金髪をなびかせた彼は、凛々しく唇を引き締めて父を見つめた。


「エッケハルト、お前も来い。

 叙任式を済ませたのだから、お前はもう一人前だ。騎士の務めを果たせるな」

「はい、父様。その任務、謹んでお受けします」


 声をかけられたエッケハルトが笑顔で応えると、父も満足げに口角を上げた。さらさらと風が木々を鳴らす。


 父曰く、エッケハルトを含む計四人の息子を連れた彼は、遠く遠く。知人の息子が治める国へ向かい、異教徒を討つ。同じ神を信仰する同胞を救いに行くという。その信念に付き従えることは、エッケハルトにとって何より誇りだった。




 西方の民の心の拠り所であるゼウス教。

 一方、東方の民が信じるというイラーフ教。




 この時代の西方の騎士は、とにかくイラーフ教の信者を駆逐するのが主な仕事であり名誉だった。


 おおよそ50年前、両者の聖地を巡って始まった東西の戦い、通称「東西聖戦」は、今なお激化の一途を辿っている。父が口にしたシャルファ伯国は聖戦初期の建国以来、西方以外の東南北全てをイラーフ教国に囲まれ苦戦しているという。そこで、古いツテを辿って父に救援の知らせが届いたのだ。


 本日一族が集められ、父が語ることには、今月末には東方の果て──片道3ヶ月かかるという途方もない遠方へ向けて旅立つらしい。そこは緑輝く平原に石造りの城が並ぶ西方と比べ、ただひたすらに砂漠が広がる粗末な荒野だという。きっと乾ききって暮らしにくい、恐ろしい場所なのだろう。だが。


 父の晴れやかな顔に憂いは一つもない。


「なぁに、お前と弟たちはともかく、私とあいつは歴戦の騎士。兵を100人も連れていけば充分な戦力となるだろう」

「はい。平野の騎馬戦で父様と兄様に敵う者は誰もいません。あちらに着き次第、積極的に攻めて駆逐してやりましょう」

「はっはっは、綺麗な顔して血の気が多いなお前は! それでこそシュタウディンガー家の男子だ!」


 からからと笑う父を見て、エッケハルトが口を噤む。


 ウェーブがかった淡い金の長髪、穏やかな灰色の瞳。なだらかな頬と高すぎない鼻、長いまつ毛を持つ彼は、確かに女性的な顔立ちだった。いかめしい父ではなく美人の母によく似た彼は、それが内心コンプレックスだったため、ぐぬぬと唇をひん曲げる。


「だから。だからですよ。私ももう大人の男なのですから、二度と令嬢だの姫だの言わせません。もっともっと槍も剣も鍛えムキムキになって、父様も兄様も超えてみせます」

「わはは、そうかそうか。楽しみだな。では旅の支度でもしなさい。もうすぐここを立つのだから」


 片手を振りながら去る父──エッケハルトの言葉を全く信じていない様子の父を見て、今に見てろと舌を出すエッケハルトは。


 8ヶ月後の冬、そんな家族たちと生き別れることになるなど、露ほども思っていなかった。










「敵襲! 敵襲です!! 北方より異教の兵多数! 今この城に戦える者はほとんど居ないのに……どういたしますか!?」

「ええい、それでも屈するわけにはいかぬ! 城壁の上へ出ろ! 弓矢を射掛けて少しでも敵を減らせ!」


 西方歴1144年、11月末。父配下の魔導師が叫んだのが、地獄の始まりだった。領主と全兵士が敵軍接近の報を受けて郊外へ向かう中、この城に残った戦力は体調不良の父とその看病で残った兄、魔導師、エッケハルトのみ。全てが想定外で、ここから巻き返せる方法はそう簡単に思いつきそうもなかった。


「防衛戦って何をすれば良いのですか?」

「どこを重点的に守るべきですか?」

「そもそもあいつらは何をしているのでしょう?」

「門を開けようとしている? それにしては静かなような?」


 次々と城内の領民に質問され、対応に追われる父と兄。エッケハルトは魔導師、司祭その他と城壁に登りなんとか攻撃を続けて、しかしなんとかこらえられたのも一ヶ月のみ。すぐに決着がついてしまった。


「火だ」


 最初は黒い煙だけが見えた。こんな状況で食事の支度か? いや、なんらかの悪い薬を燃やしてこちらの自由を奪うつもりか? そんなことを考えている間に、あっという間にその火が燃え上がって。


「もう限界です! エッケハルト様、門を降りて下さい! このあと我らに残された道は、門扉から入る敵を少しでも殺すことのみです!」


 魔導師に腕を引かれ、引きずられて階段を降りた。何故? 何が悪くてこんなことに? 何があればこれを防げた? ぐるぐるとエッケハルトの頭を疑問符が回ったが、それは何一つ彼らの状況を救ってくれなかった。


 燃える門、燃える木戸が盛大な音を立てて破壊される。ああ、あとは名誉ある死を選ぶか、名誉なき生を得るか。エッケハルトが呆然とする中、彼の意識に活を入れたのは共に戦い続けた魔導師だった。


「エッケハルト様、こうなれば西へお行き下さい!

 どうか西へ、海が見えるまで!

 隣国に救援を求めるのです!」


 彼が叫んだかと思うと、エッケハルトの身体がほのかに光った。待ってくれ、私はまだ戦える。矢傷も浅い。父様と。兄様と。西方の騎士として、神が託した使命を全うするのだ。


 そう言いかけたが、それを音として吐き出すことは叶わなかった。気がつけば燃える城から放り出され、広い砂漠の上。傍らには武装した愛馬が居た。故郷から何千キロもの距離を越え、共にやってきた相棒。これに乗り西を目指してくれという、魔導師の切なる願い。


「…………、くそっ……!」


 迷っている時間はない。燃える城からある程度離れた場所に降ろされたのは、戻って来るなというメッセージに他ならない。エッケハルトはすばやく地形と月を確認し、馬に跨った。


(西…………海が見えるまで……!)


 確か西には、シャルファと同じくゼウス教を信仰する西方由来の国があったはずだ。そこまで行って、救援を呼ぶ。今彼に出来ることはそれしかなかった。


「…………! …………!!」


 遠くから何やら怒鳴り声が聞こえる。続いてエッケハルトのごく近くに火矢が刺さった。まずい、気取られた。急がなくては。彼は金の拍車が輝くブーツを持ち上げ、パァン! と馬の腹を蹴った。


ヒヒィン!!





 馬が一声鳴いた後のことは、よく覚えていない。

 火矢が飛んできたということは、こちらが救援を呼ぼうとしていることなど、とうにあちらに知られているのだろう。

 ならば暗いうちに。世界が闇に包まれているうちに。

 とにかく逃げなくては。


 西へ。

 

 エッケハルトは金の髪を靡かせて、ただひたすら馬で駆けた。









 西方歴1144年、12月末。







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