「……坊ちゃん、今王城で結構な噂が流れてるんですけど、聞きます?」


 あの戦闘が終わってから小一時間。

 自室のベッドで寝転がりながら文献を漁っていると、リリィの言葉にサラサは急に勢いよく体を起こした。


「強者が現れたのだな!?」

「この前振りでそれはないでしょうに」


 リリィは大きく溜め息をつきながら林檎の皮を剝く。

 いくら元気になったように見えても、体は病弱なまま。そういった部分を気遣っての行動である。


「坊ちゃんがロイツ様を倒したって話で持ちきりなんですよ。それはもう、結婚を諦めていた人に超絶イケメンの婚約者が現れた時ぐらいに」

「ふむ、それは話題になるようなものなのか?」

「大人のレディーにとっては格好の話題です」


 あまり異性に興味を示してこなかったブライツにはよく分からない話であった。


「今まで寝たきりの坊ちゃんがロイツ様を倒した。あれですよ? 剣なんて虐められる時しか持っていなかったのに、今日いきなりこれです。騒がれない方が無理な話ってもんです」


 まぐれという言葉もあるだろうに、噂では驚かれるばかり。

 きっと、まぐれが起きても敵わないほど、元のサラサは弱かったのだろう。

 想像以上の貧弱っぷりに、武で高みに登ったサラサは苦笑いを浮かべた。


「まぁ、噂はいつか消えるものだ。あまり気にしても仕方ないと思うぞ?」

「……坊ちゃんがこれからも「強者が来たのか!?」と言わなければ消えるかもしれませんね」

「難しい話だな」


 まったくもう、と。

 リリィは今日何度目かのため息をついた。


「そういえば坊ちゃん、さっきから何を読んでるんです?」

「地理だな。あとはこの国の歴史」


 まだまだサラサは知らないことの方が多い。

 強者と戦うべく肉体を磨くべきなのかもしれないが、まずは置かれた状況を理解する必要がある。

 力だけではない、知識だって今後戦っていくには必要なことなのだ。


「へぇー、坊ちゃんにしては珍しいですね。自ら勉強なんて」

「そういう気分の時もあるさ。なんだったら、一緒に勉強でもするか?」

「遠慮しておきます。プリティな顔をしているリリィちゃんですが、こう見えてもすこぶる頭はいい方なので今更したくありません!」


 どやぁ、と。可愛らしく胸を張るリリィ。

 正直賢そうには見えないが、本人曰くそうらしい。


「っていうか、頭がよくなきゃ平民の私が王族の傍付きになんてなれませんよ。試験がどれだけ難しかったと思ってるんです?」

「ふむ……てっきり君はこなせそうだから王族の傍付きになったと思っていたんだが」


 サラサの発言に、リリィの手が止まる。

 そして、恐る恐るサラサの顔を見上げた。


「え、えーっと……」

「君、それなりに強いだろう? 周りの使用人の子と比べて見ているが、君だけ雰囲気が異質だ」


 サラサは文献に目を落としながら口にする。


「重心が常に落とせるように低い。恐らく、すぐに私を抱えて逃げられるようにしているのだろう。その証拠に、時折私の腰の位置を視線で追っている。あとは体の軸にしっかりと一本芯が通っていることかな?」

「……………」

「扱う武器はナイフや小さな飛び道具で合っているか? そのメイド服も重いだろうに……現在所持しているのは二、三本だけではないだろう。色々持つのは構わないが、あまりレディーの持ち物としては相応しくないように見えるよ」


 さも確信を持っていると言わんばかりの口調。

 確かめるのではなく、答え合わせを求めない独り言。

 反論しようとしても、サラサの態度がそれを受け入れているように思えない。

 リリィはしばらく目を泳がせたあと、メイド服のスカートの下から一本のナイフを取り出した。


「慧眼がすぎますよ、坊ちゃん……一応、秘密職なんですからぁ」

「ははっ! 私が見抜けないわけがないだろう?」


 そうでなければ、昔は生き残れなかった。

 強者と戦ってばかりの戦闘狂い。色々と反感を買うことも多かったため、闇討ちなど日常茶飯事。

 こうして「できる」か「できない」人間を見抜く目は、自然と必要だったのだ。


「まぁ、君と戦おうなどとは思っていない」

「あ、よかったです」

「今のところはな」

「全然よくなかったです」


 王子と戦ったら首飛んじゃいますよ、と。ブツブツ呟きながらリリィは剥いた林檎をサラサに差し出した。


「あの、このことは黙ってもらってもいいですか? 私、バレたって知られたらクビになっちゃいます……」

「了解した。賄賂ももらったことだしな」

「賄賂じゃなくて優しさなんです……」

「知っているよ、君が優しい子なことぐらい」


 そう言って、サラサは差し出された林檎を口で受け取る。

 すると―――


「(ぼ、坊ちゃんがサラッとキザなセリフを……可愛い男の子相手に胸がキュンってしたんですけど)」

「ん?」


 リリィが何故か頬を染めてそっぽを向いた。

 いきなりのことに、サラサは思わず首を傾げてしまう。


「まぁ、しかしいつまでも読み漁っているのは性に合わん。早く手頃な強者と戦ってみたいものだ」

「……そんなに言うなら、もう一回訓練場にでも行ってみたらどうです?」

「誰かいるのか?」

「今の時間だと、王国の騎士さんが訓練中ですよ。もし気が向いてたら勝負でもしてくれるんじゃないですかねー」


 変わってしまった性格に慣れてしまったリリィは適当に答える。

 とはいえ、行ったところで相手にされないか、適当に剣でも持たせてあしらわれるのがオチ。


(坊ちゃんが人間だというのは今日のあの動作で分かりましたが、流石に大人には勝てないでしょうし)


 それに、実際に勝負も挑まないだろうと、リリィはもう一つ林檎を剥き始める。

 そして───


「それだ!」

「へ?」



 ♦️♦️♦️



「あーはっはっはー! やはりこのぐらいの塩梅がちょうどいいっ! 充分に楽しめたぞ、戦闘というのは素晴らしい!」


 それからしばらく。

 もう一度訪れた訓練場では滅多に見せない満足感を漂わせたサラサと、の姿が───


「もう坊ちゃんは大人しくするべきだと思うんです。惨事ですよ、惨事」

「むっ、何故だ?」

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