1-10 組み手

 訓練場へと出て行くと、何処からともなく話を聞きつけた子供達が周囲を囲むように集まっていた。

 その中心にはエル、向かい合わせでベドカとファイが立っていた。



「ベ、ベドカお姉ちゃん、私は大丈夫だよ」

「ファイ、戦場はお前が思ってる程優しい所じゃないんだ」

「それは分かるよ! 前に行ったもん!」

「あんな遠巻きから見て何が分かるってのよ!! 」



 何やら喧嘩をしているが、これは本当にやっても良いのだろうかとエルは後ろを振り返る。



「こいつは面白くなりそうだな、おい。てか、お前ら電波塔行くんだな?」

「急遽決まりまして……というか、そんな事言ってて良いんですか? もし大怪我したら貴方が治療するんですよ?」

「………絶対大怪我させるんじゃねぇぞーッ!!」



 聞こえて来る耳障りな所は無視し、エルはキューベは見つめた。キューベはニコニコと口角を上げているだけで、何も止める気は無さそうだ。



(手を抜くのは苦手なんだが……)



 これはもう諦めるしかないだろうと、エルは大きく溜息を吐いた。するとそれが聞こえたのか、目の前に居るベドカがぐるんっと首を回転させた。



「絶対、負けない」

「あー……そうか」



 何と返して良いか分からずテキトーに言葉に出すが、ベドカは顔を紅潮させ、一層眉間に皺を刻んでいた。


 どんな返答が彼女を怒らせないモノだったのだろう。



「それじゃあ! そろそろ始めるぞ〜ッ!」



 遠くからのキューベの声に、ベドカの近くに居たファイが何歩か離れる。



「覚悟しろよ」



 ベドカがエルに向かって指を差すと、周囲もそれに乗じて歓声が上がる。


 エルにとっては此処は敵地と変わらない状況。此処でエルがベドカを殴り飛ばそうものなら、エルはとんだ悪役だろう。



(どうするか……)



 彼女の体格は、同年代の男性と比べても見劣りせず、それこそ同年代であろうクルーシュよりも体格は良い。まともに攻撃を受けるのはNG。



(なら……大体やる事は決まって来るか)


「よしッ! 始めッ!!」



 開始の合図が聞こえ、ベドカは拳を前に構えながら突進してくる。その速さは普通の兵と比べても上位と呼べる程の速さだろう。


 それにエルは何も構えず、ただ呆然と立っていた。



「バカにするのも大概にしろッ!!」



 ベドカの攻撃範囲内。強烈な右ストレートがエルを襲う。

 そして……ベドカの拳はエルの顔面を完全に捉えた。その後も次々とエルの身体に拳や蹴りが繰り出される。



「ははッ、面白れぇな。エル坊の奴」

「……あぁ、そういう事ですか」



 上がる歓声と共にエルの実力を知る2人は、それを見て頷く。

 そんな中、当の本人であるベドカの心境は穏やかでは無かった。



(コイツ!! 攻撃を受け流してッ!!)



 ーーそう。エルはベドカの攻撃を上手く受けていた。当たった瞬間首を回し、後ろに飛び、ベドカの攻撃にさも当たった風にして受け身を取っていた。

 それはまるで、柳の葉が風に揺れるが如く。



「ッ!!」



 何度も攻撃は当たる、だけどその殴った感触は全く無く……それが十数分経った頃、ベドカは攻撃するのを辞めた。


 ベドカは身体中から汗を滴らせ、肩で息をしていた。その足元にはボロボロな姿で寝転がっているエルが居る。


 誰が見てもベドカの圧勝の場に、何故か怒っているベドカに、周囲の者達は戸惑いを隠せないで居た。



「これは引き分けだな」



 そんな中、2人の近くに歩み寄るキューベ。ベドカはキューベから放たれた言葉に、顔を顰めた。



「……どういう事ですか」

「……私とした事が、勝ちにおいての定義を決めて無かった」



 そこでベドカは気付く。

 確かに、武器を使わない徒手格闘のみ、大怪我に繋がる攻撃をした時点でその者の負け……としかキューべは言っていない。どのようにすれば勝ちなのか、明確なルールが決められていなかった。



「大怪我に繋がる攻撃をエルが受けたとは思えないし……これでは勝ち負けは決められない、そうだろ?」



 問いただして来るキューベに、ベドカは口を噤む。


 方法として……『周囲の者から勝敗を決めて貰おう』などと言えば、十中八九自分が勝つ。確実だ。


 だがーー。



(相手に一切ダメージを与えられてないで勝ち? そんな卑怯なの認められない……)



 ベドカのバカと言えるまでの正義感に、ベドカはキューベの問いに肩を落とした。



「そうですね……」

「まぁ……ここは妥協案として、私達がクルーシュの指揮下に入るという所で良いんじゃないか?」

「待って下さい。キューべ様が僕の指揮の下、行動するって事ですか? この危険な任務を?」



 後を追って来たクルーシュは、キューベの提案に思わず待ったをかけた。するとキューベは肩をすくめ、余裕綽々な表情で言う。



「安心しろ。勿論、身の危険が迫るようなら私から指示を出す。基本はクルーシュが指示を出すという事だ」

「……なるほど、分かりました」

「そうと決まればだ……皆! このベドカの攻撃を受け切った根性のある子は今日から第5部隊の仲間になる!! 仲良くしてやってくれ!!」



 捲し立てられたキューベの発言に、周囲の戸惑いは消えはしなかった。

 しかし、騒つく周囲など気にせずにエルは地面から起き上がり、キューバを睨みつける様に見上げた。



「"場所と機会"は準備してくれる……だよな?」

「勿論。今はその時じゃ無い。良く分かったね?」

「そこまでバカじゃない……」



 2人でした契約の内容を再確認し、それにエルは満足げに鼻で笑う。

 此処にはもう用など無いと言わんばかりに、直ぐ立ち上がりベドカへと背を向ける。



「エル、これから日中はこっちで過ごすからな」

「……」



 聞こえて来る言葉に手を振って応える。

 人だかりまで来ると、そんなキューベに対しての無礼な態度に驚いているのか、それともあんなに殴られて平気にしているのに驚いているのか、その者らはエルを見て固まっていた。



「どけよ」

「「「……ッ」」」



 小生意気な言葉に一瞬「カッ」となった者も居たものの、皆はエルの為に道を開けた。


 それは恐れに似た感情なのか……退いた本人達も分からない。



「ふぅ……」



 疑念の視線が降り注ぐ人だかりを抜け、エルは建物の影へと腰掛けた。


 長い間、殺すか殺されるかという選択肢しかなかった戦場で生きて来たエルにとって、先程の組み手は普通の戦闘よりも疲れるものになっていた。


 あの様な戦い方をした事はあった。だが、それは相手を油断させる為の布石に過ぎず、こうも長時間攻撃を受け続ける事は無かった。



(殺さない事がこんなに面倒くさかったとは……だが、今は殺した事によって面倒臭い事になっている)



 ベドカの親を殺したのは自分。どういう相手かは分からない。だとしても、殺した相手を覚えてる訳が無い。



(俺はアイツの親を殺した。こんな扱いをされるのも当たり前か……)



 エルには、親が居ない。

 思い出されるのは、1人暗い路地裏で蹲っていたという事だけ。


 ただ、親は子供にとって大切な存在だという事は重々理解しているつもりだった……自分は仲間が出来るまで1人だったから。



 エルが黄昏る中、周りの子供達とは違った行動を取る者が1人近づく。


 殺気などと言った悪い気ではない事にエルは気付き、気づかない振りをしているとーー。



「あの、ありがと……お姉ちゃんを傷つけないでくれて」



 ーー振り返った時には、既にその者は背中を向けて走っていた。


 エルは青い髪がたなびく小さな背中をただ見つめるのだった。

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