「その前」の記録3

 大学に行くと友人は私のその姿を見て微笑んでいた。

「なんだ、病気だと思っていたけど……処女卒業したみたいじゃん」

「……、なんで」

「そりゃ嬉しそうだもん。ま、分かるさ」


 それからしばらくして、私はまたホストクラブに訪れ彼に酒を入れていた。もう売掛が25万を超えていた。それを1か月後には返さなければならない。援助交際も結構中抜きされるし、じゃあ個人での援助交際はどんな人と当たるのか分からないものだ。だから私はお店にすることにした。

「へー、21歳? 若いのに」

「はい」

「うん。今日から来てくれるかい?」

「はい、お願いします」


 次の日から私は最低週1でソープランドに勤めることとなった。いつでも切れる、ということを聞いて安心できた。ソープランドも所詮援助交際と変わらない。それで日給50000円は出してくれるのだから良い商売だ。


 もし両親がこのことを知ってしまったら何というだろうか。「人間失格」だ、とでも言うのだろう。多分人間としては失格なのだろうが、私はそれで幸せだった。辛くなるほどに。けれどもどこか自分の幸福観が私の幸せを邪魔する。私は両親の血を半分受け継ぎ、両親の環境で育った。でも私は幸せだ。それを両親が作った私の「心」に針を刺す。けれど私はそれが心地よかった。


 それからしばらくしていつものようにシャンパンを入れていた頃、彼は1つ私に提案をした。

「同棲しない? 俺の家来なよ」

 私はその言葉に乗った。彼へ酒を入れるのと家賃代は正直馬鹿にならない。仕送りに関しては妹の方に送ってもらい、妹と会った時に貰う、という形をとることとなった。


 彼の家は家賃十数万でマンションの一室だというのに、ホテル、という感じがした。

「ここが家なの?」

「そりゃ。これ合鍵」

 彼はホストに行かなきゃ、と言い私は自分の荷物を幾分か整理して静かに部屋を眺めていた。もしあの日友人と歌舞伎町に行かなければ、きっといつまでも知り合うことは無かっただろう。こんなに人生が変わることなどありえない。その「ありえない」人生をこれからきっと歩むのだろう、と思うと少し感じるものがあった。


 彼が帰ってきて、ベランダに出たかと思えばそこではタバコを吸っていた。

「あれ、これ吸いたいの?」

「うん。貰ってもいい?」

 タバコが健康に悪い、なんてことは元から知っていた。けれどもこの時は彼に近づきたかった。同化したい、というのは言い過ぎかもしれないが同じことをしたかったのは確かだったと思う。

 ゴハッゴハッ、と私はせき込み、やや暖かい風が私と彼の間を抜けて行った。この苦しささえ愛なんだ、私はそう思い、その後また身体を重ねた。


 次の日、私は彼に会うためホストに行った帰り、あの友人とばったり会った。確かにこの頃は友人と一緒に行くことはほとんど無くなったし、ホストが終わったら一緒にどこか食べに行くという話になった。

「……それで担当のホスト凄いわね。前までランキング無縁だったのに今じゃトップスリーまではいけるんじゃない?」

「うん。多分エース客だとは思ってるよ。付き合ってるしね」

「……いや、それは無いでしょ」

「無いって?」

「普通彼女は店に呼ばないんだよ。ホス狂いの私が言うことじゃないけど、それは……」

「色恋営業って、言いたいの?」

「うん。普通はお金を使わせたくないからね」

「……ない、ありえない!」

「明希……」

「もう帰るから」

 私はその場所を出て、同棲する家まで走った。


 彼はまだクラブにいたから、1人ビールを開けていた。色々な感情がごちゃまぜだった。友人の言っていたことは多分本当なんだろう。だけどそれがどうしても脳が受け入れない。ただ、友人が私に嘘をついていると思えば、まだ楽だった。

 少なくともその時点では彼が私をどう思っているのか、それを聞き出すことはできなかった。私は彼を愛している、今私は彼に愛されている。だからその愛をとてもじゃないが壊すことはしたくなかった。


 次の日の出勤終わり、どうしても気分が悪く、彼とセックスしようと思った。彼は酒を飲んでおり、少し顔を赤くしている。

「ただいま」

「ああん? うっせえないい加減にしろ!」

 彼は私の胸倉を掴み、そして彼は私を痛めつけた。苦しい、怖い、恐ろしい、というネガティブな感情その全てが私を襲う。やがて彼は酔いつぶれたのか眠ってしまった。私は彼に毛布を掛け、できた傷を自分で消毒する。なぜだか涙が出てきて止まらなかった。私は彼の中心を知りたかった。だから何も悲しいことじゃない、むしろ嬉しいことだというのに、なぜだろうか、涙が止まらない。

 私は自分の「愛」に自信が持てなくなっていた。彼は初めて芯の部分の私を愛してくれた。だから私も彼の芯へ無限の愛を貫くべきだ、そう信じているし、そういうものだ。それによって自分が死んだ、としても。だけど私は少しその感情が揺らいだ。それがとても怖かった。私は家にある果物ナイフに手を伸ばす。そんな私は死んでしまえばいいのに、と本気で思った。彼を愛してるのだから、死ぬくらいできるはずだ。


 00年代ポップスの着メロがした。私は画面をスワイプしそれを取る。妹だった。

「もしもし」

「うんお姉ちゃん? 仕送りきたからいつ会える?」

「私はいつでも大丈夫だよ」

「じゃあ……明日。そっち方向に用事もあったしお姉ちゃんの大学に行くよ」

「分かった。ありがとうね」


 次の日の講義終わり、私は校門の傍でスマホを見ていた。最近まではガラケーを使っていたが今じゃガラケーが古臭いがどうのこうの言われるようになっている。

「お姉ちゃん!」

「あ、本当にありがとね」

「まあ事情聞いてたけど随分思い切ったことしたね。同棲でしょ? まあ憧れるけどさ」

「彼氏はいたっけ?」

「今はいないよ。まあ、縁が無かった」

「そっか。じゃあ足代じゃないけど」

「いらないよ。まあ彼のためにも使いなって」

 妹は数分おきのバスに乗り込んでいった。


 家に戻り、料理をしていると彼が帰ってきた。

「……おかえり」

 私は少し背筋が凍るのを感じた。もしかしたら私を殴るかもしれない。酒に酔って、また私を。

「本当にごめん!」

 彼は頭を床にこすりつけた。何か申し訳ないと思えてしまうほどで、なんだか時が止まっているような気がした。アナログ時計の刻む音だけがその場を流れている。

「うん、大丈夫。きっと大変だっただけだよね……」

 私は彼の顔を上げ、そして抱きしめた。

「許して、なんて言わないからさ……」

 それから彼は初めて会った時の、彼のままだった。何度も身体を重ね、私をとても愛してくれた。


 ただ彼は派手にお酒が入ればあの日がプレイバックされたかのようになるのだ。そこまで含めて彼を愛そうと思っていたし、そうしていたのに。だからこそ、「愛」の自信が揺らいだ。それを証明するために自分の身体を傷つけるようになった。したくないこと、痛いこと、辛いことをできるという証明を。

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