「その前」の記録2

 友人はやはり慣れたようにホストを指名していた。

「隣良いですか」

「あ、はい」

 私がどぎまぎしていると一人のイケメンが私の隣に座ってきた。

「お姉さん綺麗ですよね、ああ可愛いの方がいいのかな」

「そんなの初めて言われて……」

 本当は「綺麗」だとか「可愛い」なんていう言葉は飽きるほど浴びていた。だけどそれは下心がありありだったし、何というかその言葉に嫌悪感を抱いていた。けれど彼の言葉に何の悪意も感じなかったのだ。


 その後も一時間ほど、彼と酒を入れながら話した。こんなに楽しく話せるなんて思っていなかったし、彼も楽しげにしていたと思う。その日、結局一五〇〇〇円を彼に使った。ただ不思議と清々しい気持ちだった。実家から仕送りはあったし、プラス塾のバイトもしていたから結構お金はあった。初めて私の外付けされた話題以外で、初めてポジティブに話せたのだ。


 それから友人がホストに行くときは私も必ずついていくことにして、次第に私一人で通うようになった。

「私さ、いつも外側ばっかり押し付けられちゃって、なんか疲れたんだ」

 私は初めて私の抱えるものを彼にぶちまけてみた。正直怖かった。所詮彼も私の外側しか見てくれない人だったのかもしれない、と。私の通っていた高校からこの大学に進んだ人も少なくは無かったから、友人ももしかしたらかつての私を知っているのかもしれない。だから結局私こそ芯を友人に見せることができなかった。

「そっか。今まで明希ちゃん大変だったね。でもそうじゃなくても、少なくとも俺は明希ちゃんのことが大事だよ」

 彼はそのまま私を肯定してくれた。認めてくれたのだ。それがとてつもなく嬉しくて、私は泣いてしまった。初めて私は彼にドンペリを入れ、そのために売掛をした。

 

払わなければならないのは残り六〇〇〇〇円だった。正直バイト代も足りないし、だからって親に頼めば勘当必至だろう。キャバクラの体験入店もしてみたがそれだけで六〇〇〇〇円を稼げるわけがなかった。

 それを友人に相談しようとも思えなかった。どこか友人に不信感を抱いていたのかもしれない。もしかしたら昔の私を知る人物と友人は繋がっているのではないか、と。


 歌舞伎町は好きだった。歩くだけで色々な発見と感動があったからホストには行かずともよくぶらぶらしていた。

「ねえお姉さん」

 その男性がどんな人かは私が何度も通っているから知っていた。スカウトだ。いつもそれとなく断っていたが今回は別だった。

「お姉さん綺麗だから、いくらでも稼げると思うよ」

「お願いしてもいいですか……?」

 私は援助交際を始めた。そのスカウトが所属する斡旋会社がマッチングし、そこから貰った額から給料分を貰う、というシステムだった。一回支給は最低限二〇〇〇〇円、ということは三回すれば返せる計算だった。

 二〇歳だっただろうか、私でも需要はあったらしく、次々と依頼が来ていたようだった。

「君がリノって子?」

「あ、はい。今日はお願いします」

「じゃあホテル行こっか」

 その男は四〇歳で、普通に就職し普通に家庭を持っていそうな人だった。私はこんな人に処女を捧げるのか、と一瞬辟易したがそれも全て彼のためだ、と思えばそれでよかった。


 仕事終わり、私は汚れたシーツと自らの身体を眺めていた。楽しい、とは微塵とも思えなかった。けれどそれが良かったのかもしれない。「楽しい」を仕事にすると辛くなるからだ。なら「辛い」と最初から割り切れた方がましだった。

 ホテルから出て私は歌舞伎町でしばし放心していた。多分うつろな目をしていたんだと思う――、その目には煌々とした光がいつもよりいじらしく見えた。大学二年のまだ暑い夜の日だった。


 売掛金を返す日、私は彼と付き合いたい、と純粋に思った。私の芯まで見てくれるような彼に最大限の愛で報いようと思った。

「ねえ、連絡先、聞いてもいい?」

「ああ。これ」

 彼と繋がったその日の深夜、私は彼に告白した。誰かを恋愛的に好きになるのも、告白するのも当然初めてだった。だから学生恋愛のような、そんなベタな文面だった、と思う。ただ彼はそれを受け入れてくれた。


 それから私はさらにクラブに通うようになった。彼にお金を使うことが一番の貢献、だと思っていたから。

「本当に今日もありがと! 明希ちゃんのおかげでナンバー五まで行けそうなんだ」

「本当! 良かった。なら今日もドンペリ入れるよ」

 彼は私の担当となってから多くの指名が入るようになった。それに対して嫉妬はしなかった。だって最高の男なんだからたくさんの女を惹きつけるのも当然でしょ? と信じて疑わなかった。ただその中でも私がエースだという自覚はあったし、実際そうだったと思う。あくまでも私が本命、彼は何度も言ってくれた。

「ねえ、どうすればもっともっと貢献できるの?」

「無理しないでね。たとえエースじゃなくても明希ちゃんが大好きなことには変わらないからさ」

 彼はそう言ったものの、何か腹の収まりが悪く、何度も彼のもとに通っていた。


 大学三年となると妹が東京にやってきた。私はあの友人が連れてきてくれた海へ妹を案内しようと思った。

「綺麗」

「でしょ? 私も友達が連れてくれたんだよね」

「へー。じゃあ私も誰か将来連れてこようかな」

「良いじゃん」

 私は夜の海、それに紛れるように涙を零していた。それがなぜ出てくるのかは正直理解できなかった。その後私は妹と夕食を摂った。

「私さ、初めて恋人ができたんだ」

「へー」

 妹は興味なさげだった。妹はそもそも両親から優遇されていた。だって東大には入れるほどだ、私の数倍頭がよかった。だからそんな妹には恋愛禁止を言い渡すこともなかったし、ある程度自由にさせていた。だから多分恋愛なんてわざわざ報告するものでも無かったのだろう。


 二一歳の誕生日、彼は初めて私の家に来てくれた。

「へー、綺麗じゃん」

「まあね。今ご飯作るよ」

「ああ」

 彼がここに来てくれた、という事実に心臓の高鳴りが止まらなかった。そして彼をもっと愛したかった。愛されたかった。その感情が全身を伝い、指を切ってしまいそうなほどに震えていた。


 食後、私は今日のために買った下着を付けて彼を誘った。

「ねえ……しない?」

「ああ」

 私はベッドで彼が服を脱ぐのを待った。彼は私のを少しずつ脱がしてから愛撫した。その一つ一つの行為がとても美しく、神聖だとさえ感じる。その恍惚に私はしばらく身を置く。その瞬間に閉じ込められるのならそれでよかった、と思うまでには。

「愛してる」

 私は気づけばそう唱えていた。その快楽にいつまでも溺れていたかった。


 次の日、彼は私とキスし部屋を出た。私はその快を少しでも除きたくなかった。好きな人に手を繋がれるとその手を洗おうと思えない感覚に限りなく近いものだ。友人からだろう、電話が鳴った。私はそれに応えることもせず、恍惚の延長に身を委ねていた。

 それからだいぶ落ち着いたころ、私はシャワーを浴び、シーツを洗濯していた。どうしてもあの快感を思い出して、それよりも素晴らしい感覚が無いと思うまでに。大学に受かった喜びも、今までの色んな事全部、それに敵うものはなかった。

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