「その後」の記録D
一服休憩をしていると、血相を変えナンバー……何だっただろう、同期が小走りでやってきた。
「アンタの太客の子が」
「ああん? それが」
「自殺、したって、どんなに営業詰めたんだよ」
客は俺に毎月少なくとも二〇〇万を上げてくれる超優良客だった。だからこそ客の告白にOKした。同棲して、結構な頻度で夜を共にしていた。流石にゴムはつけていた。下手に妊娠させる方があまりにも面倒だったから。
その客が自殺した、という話を聞いて私はふう、と灰皿に擦り付けゆっくりと立ち上がった。
色恋営業によって客がおかしくなるのは良くある話だ。刺されるなんて当たり前、だから自殺ぐらいどうってことは無い、そう思っていた。しかし週刊誌と世間の目が許してくれなかった。もともとホストクラブは最近都知事に目を付けられていた。俺は店長から大目玉を食らった。今のご時世、世間様にまで目付けられたらホストという業界そのものも崩壊するのだ、と。そして俺は数か月分の基本給を押し付けられ、クビを宣告された。
「あのクソ女」
俺は空の高すぎるビル街と眩しき光に阻まれ、見えぬ星々に向けて舌打ちをした。
無職が暮らすには東京という街はすべてが高すぎる。もちろん貯金は一定数あるとはいえ、とりあえず仕事を見つけなければ生きることはできない。もう地元に戻ろう、そう思った。同棲していたマンションの部屋を引き払い俺は帰郷することにした。客のものはほとんど、というより何もなかった。
俺の地元はA市という中規模都市だった。遠すぎるわけではないが、新宿の夜に飛び込んだあの日から一度も地元には帰ってきていない。
俺は特急の車窓から見る景色にため息をついた。街は少し変化していた。俺が出て行ってから再開発が進み、あと一〇年いなかったらもう何もわからなくなっていそうなほどに。その中で俺は何が変われただろうか、ということにため息をついた。母は数年ぶりに帰ってきた私を受け入れてくれた。まるで組から足を洗ったヤクザのように私を抱きしめてくれた。ここに住む程度なら自分の貯金で半年過ごすことはできるだろう。ただ後ろを振り向けば高校までしか出ていない。それがさらに俺を疲れさせた。
あともう少し、もう少しの努力と運で俺は夜の帝王になれる。最初はそう思っていた。けれどもそんな幻想は一瞬にして崩れ去った。自分よりもはるかに顔の良い人間、話術で全てを虜にする人間、そこにいたのは間違いなく「天賦」だった。
俺にホストとしての才能が足りない、ということに気づいた後だった、自殺した客に出会ったのは。
「隣良いですか」
「あ、はい」
その客はどうやら付き添いで来ていたようだった。隣の人は既にここの常連で担当と既に飲んでいた。
「お姉さん綺麗ですよね、ああ可愛いの方がいいのかな」
「そんなの初めて言われて……」
男慣れしてないな、と直感した。もしかしたらこの体験客に好かれれば、これが最後のチャンスになるのかもしれない、そう思った。これでモノにできなければ俺はホストに向かなかったのだ、と思うことにしたのだった。
なまじ身体だけは頑丈だったし、年齢も二〇代前半ギリギリだったおかげでとある建設会社で働くことができた。A市のある県にもホストクラブはある。けれど俺はもう業界の中で噂が回っていたことのだと思う。客を自殺させたヤバいやつ、として。それは全くもって間違ってはいない。だからもう夜の業界には行けなかった。
その客は週に一度はクラブに訪れ、そして俺を指名してくれた。初めての固定客なのだ。だからこそなんとかその客を離さないようにしなければ、と思った。本当に最後のチャンスだったのだ。
「私さ、いつも外側ばっかり押し付けられちゃって、なんか疲れたんだ」
「そっか。今まで〇〇ちゃん大変だったね」
「女性脳」と形容されるように女は共感されることを好む。だから過度にアドバイスせず、俺はその客に言うことにひたすら耳を傾けた。その時初めて客は俺にドンペリを入れ、その日俺は客から告白され、俺はそれを受け入れた。
そこに「愛」があったのか。少なくとも自殺した客にはそれがあったのだと思う。俺にあったのか、と言えば誰かに批評してくれ、としか言いようがない。俺は「愛」を知らないわけではないし、客に与えていたはずだった。けれども自殺したのだから、無かったと言われればそうなのでもあろう。俺はその客に暴力を時折振るっていた。酒に酔っていた時だったからどの程度振るっていたか、それがどこまで客を追い詰めたのかは分からない。ただ正直暴力によって直接自殺したとは思えない。あの自殺した二日前、付き合ってから一年、いや二年だっけか……記念日があった。俺は客に「何か」を贈った。その二日後だった、だから理解ができないのだ。それが何かまでは覚えていない。またお酒を飲んでしまったから。逆に今日の今日まで依存症まではならなかったことが奇跡だと思う。
ホストという業界から完全に離れ、職場は男しかいないおかげで俺の過去を知る者もいなかった。だからこそ仕事は非常にやりやすく、気づけば客のことも忘れてしまった。ホストが刺されることも、ホス狂いが自殺することも決してありえないわけじゃない。なぜ俺だけこうなんだ、という怒りの感情に最初支配されていたが、それも気づけば考えない程に客のことは俺の少ししか占めていなかったのだろう。
それからしばらく経った日の仕事終わり、俺は同僚とタバコを吸っていた。タバコはホスト時代から吸い始めた。カッコ良い男に見えると思ったからだ。もともとの俺がそんな男だったかは正直覚えていない。ホストにならなければ云々は辞めた今にとっては最早どうでも良いことだ。そういえば、あの客も俺の影響で吸い始めた気がする。久しぶりにあの客を思い出した。もし俺と出会わなければその客は今頃別の道を笑顔で歩いていられたのだろうか、と少し考えるふりをして空を見上げてみた。東京じゃ絶対に隠れるような星座が少しだけ眺められた。
客は俺のことを憎んでいたのか? 少なくとも俺は憎んでいた。けれど愛と憎しみはきっと表裏一体なのだから客は俺のことを殺したいほどに憎んでいただろう、と思う。そうでなければ何か申し訳が立たない気がした。別に申し訳があろうとなかろうと客は死んでいるのだからどうしようもないのだが。ベッドから天井を見つめていると突然そんなことを考えてしまった。感情的な時よりもそれが抑えられた時初めて俯瞰的に捉えられるからだろう。ただその議論が果てしなく億劫だった。というより議論の果てに辿り着くことが怖かった。
「……これ」
「本当? 高くなかった?」
「別にいいよ。こんぐらい」
「うん。一生大事にするよ」
……ああ、と俺は呟く。昨日は寝る前に変なことばっかり考えていたせいであの客のことが夢に出てきてしまった。その中で客はネックレスをしていた。多分それが「何か」の正体だったのだろう。
俺は弁当を食い、雨の降りそうな曇り空の中煙を吐いていた。気づけば残暑も終わりかけ、やるせなさが俺を締め付ける。少なくとも俺は二度と改心すべきではないのだと思った。自殺してまで客は俺に呪いをかけた、というのにそれを後悔させたくなかったからだ。俺は何をすれば人生として不正解なのか、贖罪する気もきっとないのにそればかりを考えていた。やがて火が消える頃、俺は雲を眺めた。今あの客は空の上にいれば良いのにな、と素直にそう思ってしまった。
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