「その後」の記録B

 同僚が自殺した、ということを店長から知らされた。いや店長は「とある事情で辞めることになった」と言っていたが、自殺だということは明白だった。その飛び降りを見ていたわけではない。ただどう見ても出勤が自殺した日からピタリと止まり、今日まで来ていないのだから。

 自殺そのものは大したことではないのだと思う。同僚以外でも私の知っている範囲で少なくとも二人は何かしらの方法で死んでいる。世間の反応だってよっぽどのことがなければさほど熱いものでもない。確かに同僚は美人だったが、それでも風俗なら同僚と同レベル、いやそれ以上の女はいる。だから心中とか、そういうゴシップのネタにならない飛び降りはただの自殺として処理される。少なくとも過去二人も同僚もそうであった。


 自殺しそうな雰囲気があったのか、と言われれば、今にして思えばあったと思う。休憩室で何度か涙を流すことも最近はあった気がしないでもない。けれども風俗をすれば酷い客も一定数いるのだから、たまたまキツイやつに何度も指名されていたのだろう、とは思っていた。事実私もそういう客は何度も経験していたから、きっと同僚もそうだとは思っていた。

「ねえねえ、あの子自殺したんでしょ? 評判どうなるのかしらね」

「無かったことになるでしょ。元々合法か怪しいのに」

「確かに。堕ちる子なんていくらでもいるか」

 風俗は一度足を踏み入れると、目標とか希望が無ければさらにその下へ足を踏み入れることに躊躇しない、という。かくいう私も二年ほど前にキャバ嬢になったばかりだというのに気づけば風呂屋をしている。それが今の所辛くないわけでもないが、正直自殺はできそうにない。

 そういえば、最近同僚は出勤の姿にこだわらなくなっていた。酒に酔っているわけでもないのに、髪を整えず、シャワーをいつも使っていた気がする。それ自体ダメ、というわけではない。ただそう思えば自殺の兆候は確かにあったのかもしれない。

 自殺の理由は何か、それは私の知るところではない。大方辛いことで人生に絶望した、みたいなものだろう。または何か薬でもキメてふらふらと。「人の命は地球より重い」なんていう言葉を思い出したが、多分本当は違う。それが正しければ人を人が殺すことは無い。原爆を落とす人もいない。所詮人は何かの動物と変わらないのだ。


 二日後、驚くべきことがあった。あの時少しだけ会話した女が同僚に続いて自殺したのだから。その人も今度は別のビルから飛び降りた。これには流石の運営も応えたようで、全キャストにカウンセリングを希望者にするということになった。私はそれを望まなかったが、それでも数人がそれを受けていた。

 その自殺はもう二人、未遂ではあったが続き、少しだけ話題となっていた。ただ、警察が言うには連続自殺は珍しいことではないのだという。ある種「空気」がそうさせるらしい。もちろん問題ではあるが、ある種「呪われた」学級というものもあるようだから、結局不思議なことではないということを聞いた。

 かなり金を積んだのだろう――、結局自殺の連鎖は無くなり通常通りの営業ができるようになった。


 あれから数日か、一つのニュースを目にした。関連ニュースは自殺当時のニュースだけ。そこから引用されたものもない。その記事を見た私は驚いたと言わざるを得なかった。だって彼女は学生時代頭の良い生徒会長だったのだから。正直理解ができなかった。なぜ彼女がこの業界にいたのか。私はやっぱり馬鹿で、それで大学中退して、今に至る。そしてこの業界を望んで入ってくる人はよっぽど性癖が歪んでいるとしか思えない。それは同僚だって同じだと思う。だからなぜ、そんな道に向かったのかそれは私には分からない。


 夕方の出勤、とあるビルに人影を見つけた。その女がもし自殺すればどうなるだろう。私の目の前で死体となってしまうだろう。それはあまりにも気分が悪かった。

「あの……大丈夫ですか?」

 女は私の声に振り向いた。

「ああ……違いますよ。私はその自殺した人と知り合いで、なんでしたんだろうって。ここにいても分からないんですけどね」

「そうでしたか、でも警察来るかもしれないので程々にした方が良いですよ」

「そうですね。ありがとうございます」

 その女は静かにビルの階段を降りていった。私は一縷の好奇を覚えた。その女は「なんでしたんだろう」と言っていた。つまり同僚の昔の姿、ニュースでやっていた学生時代を知ることができるかもしれないと。

「すいません。突然でアレですが連絡先交換しませんか?」

「そうですね」

 正直同僚であることを告げるのには抵抗があった。自分が風俗業の、その中の本番まで行くタイプの仕事をしていると果たして言えるのだろうか、と思ったからだった。

 私たちは別れた。都会ならではの喧騒と、しかし日常に戻らなければならない、もしくはそれすら日常なのだ、と言い張るようなある種の静けさが入り混じる夜、普段は全く考えつかないことが不思議と頭を衝く。


 その日も仕事は退屈だった。その退屈さがもしかしたら人を自殺に駆り立てるのではないか、そんなことを考えた。そうであればきっと私もどこか自殺の兆候がある、ということだろう。途端に自らが怖くなった。だからそれを避けるため人は何かに走る。私は同僚とすれ違うほどだったからそれが何かまでは確かに掴めないが恐らくホストとかだろうとは感じ取れた。それで色恋に乗せられた、けれど自殺にはいささか飛躍しすぎていないだろうか。

 少なくともその女を知って分かったことが一つあった。同僚の人生には誰も知りえないような「特異点」があるのではないか、ということだった。その結論はあまりにも平凡ではあるが、それは少なくとも核として存在するはずだろう。ただ私は探偵ではない。しかもその「退屈」にいつも押されて生活していて、そんなことを調べる暇もなかった。


 次の日の昼、私はマンションの外紫煙を燻らせていた。ここから同僚の自殺現場は流石に眺めることはできない。が、行こうと思えばバスに少し揺られるだけで良い。そういえばなぜ私は風呂屋で働いているのだろう。理由は多分、それでしか生きていけなかったからだろう。それ以外の説明を考えてみたが、少なくとも火が消える時まで思いつくことは無かった。だから案外同僚が風呂屋にいたのも多分同じくらいどうでも良いことだったのだろう。けれども私は自殺していない。つまりどこか私と同僚とでは何かがずれていたのだろうか。同僚が風呂屋に来たのは今から一年ほど前で、確か二一歳と名乗っていただろうか。その時のことを思い出そうとしても元々関わりが無いのだからそれ以上思い出そうとしても何も出なかった。

 だから会ってみよう、そう思った。私はその女の人に連絡を取り、次の土曜日にその女と私の家の中間地点の駅近くのカフェで話すことにした。少しだけ勇気を使った。なぜなら同僚を知っている、ということは少なくとも風俗業をしている、という可能性を持たれるわけだから。

「どうも。先日はありがとうございました」

「いえいえ。失礼だとは思いますが……。あの時自殺は考えていたのですか?」

「いいえ。本当になんでだろう……って。親友というわけではないのですが」

 目の前の女は私に軽蔑らしき視線を向けず私に卒業アルバムを見せた。そこには今とほぼ変わらぬ美貌が写っていた。その女曰く同僚は女バスに入っていたそうで、その写真にも、やはり同僚の特異点を見つけることはできなかった。

「それで……、この人はどんな人でしたか?」

「私もそう親しいわけでは無かったのですが、やっぱり時々涙を流していて、自殺しそうな雰囲気はあったのかもしれません」

「そうでしたか」

「あまり鮮明な答えでなくて申し訳ありません」

「いえいえ。貴重なお話ありがとうございます」


 その女は私に頭を下げてから帰っていった。その女は私が風俗業であることを知ってか知らずかそこには触れなかった。私だって多少整形はしたが、同僚の写真を見る限りそのような気配は微塵も感じなかった。だからきっと同僚にはどこか善性が残っていたということなのだろう、と思う。残された私のコーヒーの湯気が寂しく見えた。

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