その後の記録
「その後」の記録A
その人が自殺した、という話を私はニュースサイトの通知で知った。最初せいぜい同姓同名だろう、と思っていたが年齢も全く同じで、結局自殺したんだ、それを知ったのだった。
その人のことの特徴をしばらくして思い出した。確か中学まで同じでそれで高校は県内トップ偏差値の学校、それからは知らない。
数日後、正式に発表された事件の概要を聞き、私は「風俗店従業員」という言葉にとても驚いた。私でさえ公立の大学に入れた、というのにどうしてだろう。なぜ最も関わることが無さそうな水商売に、だ。その人は酷いほど頭の良い人だったはずだ。恐らく出身中学校の中で最も秀才だった。先生がある種おふざけで出した問題にも即答するほどだった。中学で微積分だ。どんな芸当でできるものなのか。
私は中学の同級生と一か二年ぶりだか連絡を取った。
「ああ、〇〇さんでしょ? 覚えてるよ。それがどうしたの?」
「自殺したの」
「え?」
「でも不思議なんだよね。ちょっとお互い都合のいい時に会って話さない?」
「明後日土曜でしょ。その時なら」
「うん私も」
私はその一人にA駅にあるカフェで一〇時に会うことを約束し、ベッドへ潜り込んだ。自殺なんて別に毎日起きていることだし、その自殺に向かう感覚の対象がその人だっただけの話だ。だから特段不思議なことではない。しかしその人の職業とそのイメージがあまりにも不釣り合いであったように感じる。私はエアコンを弱にして、やがて眠りに落ちた。
公立大学の図書館、静寂とともに不思議さがまた込み上げてきた。特段図書館に行く理由は無い、ここにいてもさほど意味は無い。話してみないことには、その場所に行ってみないことにはどうにも落ち着かないのだ。しかしそれを行う時間も義理もきっと無いのに、である。
やはり静寂は自分の頭の中をそういった空白をしの不思議さで埋めてくる。だから私は近くのファミレスへと向かった。カランカラン、サー、といったドリンクバーの音、導入されてきた奇妙なロボットの動作音、「ファミレス」ごとく家族の話し声、それが私をさらなる静寂とし、孤独を感じさせる。ネットの誰かがいっていた「孤独は孤独の中に生まれない」という言葉を思い出した。
土曜日、私は卒業アルバムを持って、カフェでカプチーノに口をつけていた。八〇年代の落ち着いた洋楽が部屋を反響し、なぜ私がこんなことをしているのか一瞬分からなくさせる。
その人は人気者だった。秀才で、美人で、それで皆に嫌われない爽やかさを兼ね備えた真の一軍キャラ、と呼べば良いのだろうか、そんな人だった。私は特に人気者でもなく嫌われ者でなく、いやもしかすれば自覚していなかったのかもしれないが――普通の人であった。
「ごめん、遅れた?」
「いや、待ち合わせ時間ぴったりだよ」
私はレンガ調の壁に掛けられたローマ数字を見てそう言った。
「この子でしょ? 〇〇って」
彼女は私の持っているアルバムと同じものを持ってきて、その人を指さす。私は卒業アルバムを持っていたにも関わらず、この時までそれを開くことができなかった。もしかしたら私の抱くその人の顔と実際の顔がまるで違かったらどうだろう、という思いに駆られていたからだ。ただ同じであった。少なくとも彼女のその人と私のその人は同一だった。
「私の記憶じゃあ、彼女はそんな人だと思わないんだよね」
「うん。だってあの子ずっと一位だったよ。だから正直信じられないんだよね」
「あなたから電話着て記事を読んでみたけど、確かに信じられない」
私は外見も中身もその人と同一であることに安堵した。その安堵とともに恐怖がやってきた。なぜその人が水商売に身を置いていたのか。中学までのその人では明らかに理解できない。アメリカンを頼んだ彼女は私ともその人とも別の高校だから、結局のところ高校からのその人を追うことはできない。出身の中学であの高校に進んだ人はその人以外何人いるだろうか、しかし彼女の連絡先にも私の連絡先にもその高校に進んだ人間はいなかった。それ以上の事情を調べられるのは警察とマスコミだけだろう。
結局彼女との話は私の持っていたその人に対してのイメージが同一であったことのみだった。それ以上調べる必要もない、が色々な意味での気持ち悪さが胸に沈殿していた。それを中和するためわざとブラックを頼んだが、余計に塊として残るだけだった。
全て夢だった、そう思えば非常に楽だった。が、それがやはり沈殿して浚渫されない。私は新鮮な空気を吸いに川沿いの公園まで歩くことにした。
スマホにまた通知が来る。もう来てほしくないという思い半面、何か新しい情報が見つかるかもしれないという期待も同じくらいあり、私は指紋を合わせた。ただの料理特集で、私は少しだけ失望し通知設定をオフにした。
その人は二重人格か何かで、もう一つの人格に乗っとられたのではないか、という仮説を立てたがすぐに頭から放り出した。それであれば中学校三年間どこかで隠し通せるわけがない。少し歩けば汗が吹き出し、後で洗濯しなきゃな、とため息をつく。私は何のためにこんなことをしているのか。人生一〇〇年と言われる中でのただの三パーセントだけの付き合いだった人だ。家族でもなければ密接な友人関係でもない。しかしなぜその人に対してここまで考えてしまうのだろうか、私はまだ分からない。
それから私は毎日朝と夕にそのニュースサイトを閲覧し、新着を待った。しかし新情報が現れるのはあの事件から一週間ほどで、結局のところ「自殺」でしかないのだから、それ以上警察が何か言うこともなかった。
だからこそ私はすべてを忘れることにした。なぜならこの自殺というものを追う価値が無い、と国がお墨付きをして、架空を創造する週刊誌でさえ誰も深く触れることはしなかったからだ。そして私は今までの普通のことをして、その忙しさで忘れようと決めた。
自殺か、と私は呟いた。やはりその場所に赴かなければ、私は落ち着くことはできなかった。行く意味は果たして無い。行ったところで事件の真意は理解できないはずだ。しかしその衝動を抑えることができなかった。いや逆だった。衝動を完全に抑えるために、それが必要だと思った。
A駅から東京までは一時間かかる。だからこそ単純に行くのは面倒だが、その衝動を抑えるため私は東京に向かうことにした。
東京駅から中央線に乗り新宿駅へたどり着き、近くの喫茶店で少し息をついた。もしこれが昼だったらビルとアスファルトによって四、五〇度にもなるような熱が私を襲っていたことだろう。幸い今は西日とも完全におさらばする時間帯で、少し涼しかった。といっても半袖でも汗をかきかけるほどには暑いのだが。
自殺方法は飛び降りだった。今もそのビルは立ち入り規制がされているだろうが、ただの自殺なら清掃した後に恐らく開放されるのだろう。その人はどのような心境であの七階建てビルから飛び降りたのだろうか?
私は一度現場を離れて近くの、五階建てのビル屋上から見下ろしてみた。怖い、という感情が先にやってきた。これより高い場所から彼女は飛び降りたんだ。私だったら回避本能が勝って引き返すだろう。その本能をどう封じ込めたのだろうか? 私にはとても計り知れないものであった。
「あの……大丈夫ですか?」
一人の女性が私に近づいてきた。当然といえば当然だった。傍から見れば誰かの自殺に誘われて飛び降りようとしているようにしか見えないからだ。
「ああ……違いますよ。私はその自殺した人と知り合いで、なんでしたんだろうって。ここにいても分からないんですけどね」
「そうでしたか、でも警察来るかもしれないので程々にした方が良いですよ」
「そうですね。ありがとうございます」
私はビルの屋上を出て、予め買っていた花を彼女に供えた。私のもの以外献花の数は一つもなかった。もう自殺から一〇日経っていた。当然と言えば当然か、と思いながら手を合わせた。彼女が私を認識していたかは分からないが、けれど私はその手を合わせた。
A駅に向かう最後から三番目の電車に乗り、しばし放心していた。しかし不思議と事件のことで頭は埋め尽くされることはなく、自然と対岸の窓から見えるいくつかの街灯がよく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます