第5話 01-205 宇宙港で逃走

 アカリは宇宙貨物船乗りだ。次の仕事のために、宇宙港の乗務員斡旋所で待機していることは別におかしくない。

 アカリは宇宙貨物船のオーナーなのだから、乗員募集をかけているのかもしれない、これも別におかしくない。

 アカリは朝から特に何もせず、無料のコーヒーばっかり飲んで時間を潰している。これはおかしい。

 特に彼の評判を聞いてわざわざ星団の辺境トレジエムにやってきた人から見れば、見るに堪えない惨状だった。

 アカリが斡旋所に来ているのにはもちろん理由がある。ただどうしようか、悩んでいるが全く真剣に見えないだけだ。仕事の依頼は来ているのだが、全くやる気にならない。

 前回の仕事も、ドラゴンとは名ばかりのトカゲの鱗をとってくるというもので、宇宙の配達屋がする仕事かと言えば違うだろう。宇宙船の出番があっただけまだマシか。今回依頼があった仕事、この惑星上での宝探しなんて、何でも屋……ではなく「冒険者」にさせておけばいいのだ、と思ったがもう受けてしまったものは仕方ない。誰かと一緒に行って、その人が全てやってしまってくれたら良いのにと思っている。あと一杯飲めば募集をかけようと思いながら間もなく昼時間だ。


 斡旋所のテーブル1つを占領して、だらけきっているアカリを注視している女性がいた。アカリの既知の人物であり友好的関係を築くことが出来ている数少ない人物だ。背丈はアカリよりは頭1つ分低く、十分女性的な体つき、赤みがかったブラウンの髪は肩に掛からない程度に揃えてある。普段はアカリをからかって楽しそうな優しい双眸は、アカリを睨みつけている。フロアの植栽の陰から。

 彼女、ベアトリクスはアカリと大冒険をしたくて、このトレジエム星系にやってきたのだ。諸事情でチームを組むことは出来なかったが、彼のファンであることまではやめていないつもりだ。その彼が、運送屋に就職した彼が、昼間から仕事も冒険もしないで、ダメ人間の見本のようにだらけているのが許せないのだ。植栽に隠れているのはただタイミングが悪かっただけだったのだが、あまり楽な姿勢ではない。隙を見て体勢を変えなければ。

 アカリはこのトレジエムでは有名人のため朝からずっと目立ってはいたのだが、木の影からアカリを睨み続けるベアトリクスもかなり目立っていた。トレジエムの船乗り達は皆二人の関係を知っていたので、面白いことが始まりますようにと祈りながら静かに見守ってくれているのだ。


 アカリは席を立った。空になったカップにコーヒーを注ぎに行くために。砂糖とミルクで甘めにしよう。アカリは甘いコーヒーは苦手だった。ミルクをたっぷり入れて違う飲み物にしなければならなかったので、そう決めるには勇気が要った。

 何か決意したときの目つきを見て観察者は彼がとうとう動き出すのだと悟った。クルー募集が用件であることは、斡旋所に来ている時点で分かっている。困難な仕事を仲間と共に達成するか、独力で挑み英雄の偉業に新たなページを加えるか決意したのだろう。ベアトリクスの持論だが、冒険は仲間と行うものだ。仲間と助け合って達成するから感動が生まれるのだと。

 斡旋所のロビーは静かに盛り上がっていた。アカリの船は小さい、彼がどんな仕事を受けての臨時クルー募集かは分からないが、募集するにしても多くて三人か。ひとりはベアトリクスだとしてあと二人、自分もその枠に入り込みたい。

 アカリは決して鈍感ではない。朝からベアトリクスが殺気を放ってきているのも分かっていたし、今斡旋所の中が異様な雰囲気になっているのも分かっている。ただ自己評価がとても低いため、この雰囲気が単に自分という有名人がこの場にいる事が原因だと思っていて、まさか自分と冒険をしたくてフロア全体が静かに争っているだなんて、思いもしなかった。

 何故ならアカリはしばらく冒険なんてしたくもないから。他の船乗りたちもそうだろう?と。彼は鈍感ではなく、考えないだけなのだ。

 ベアトリクスの行動に至っては、何かの遊びくらいにしか考えていない。知らない仲ではないのだし、彼女の性格から言って、言いたいことがあれば言ってくるはずなのだから。だから、自分よりも何周期も年上なのに、落ち着かないお姉さんだ、ヤレヤレ。くらいに思っていた。

 アカリがカウンターに近づく。その端末に入力する前に話しかけなければならない。直接話しかけることが出来るほど親しい人物はこの場には私しかいない!

 一旦クルー募集が掲示されてしまえば受注用端末からしか受け付けられない。既に受注用端末では小競り合いが始まっている。「アカリ君、お手伝いがいるなら、私でどうかな」と言うだけなのに、ベアトリクスも室内の雰囲気に飲まれてしまっていた。

 ベアトリクスが意を決して植栽の影から動いた。不自然ではない程度の早足でアカリに近づく。声をかけても不自然じゃない距離、二メートルまであと二秒。

 唐突にアカリが進路を変えた。

 あの方向は?コーヒーサーバーだ。

 アカリは何を持っている?カップだ。

 そして機械にカップをセットしたとき。

「あんたまだなんか飲むの!?」

 背後で膨らむ強烈な殺気にさすがのアカリも振り返った。

「ベアトリクスさん、なんで怒っているんです」

 どうやら睨みつけていたのは遊びではなく本気だったようだ。しかもいつの間にかすぐ後ろに来ていて、何のつもりか伸ばしてきた腕にアカリは身の危険を感じた。

 奇跡的なステップで掴まれることを回避したアカリは、そのまま勢いを殺すことなくすばらしい瞬発力で斡旋所の出口目指して走り出した。

 あの距離で回避されるとは思っていなかったベアトリクスだが、直ぐに切り替えてアカリを追いかけた。どちらもものすごい速度だ。

 とりあえずアカリはハイペリオン号まで逃げ切れば勝ちだ。西六五埠頭四番ゲートまで1,000メートルはあるか。鍛えてはいるが身体は普通のトレジエム人と変わらないのだ。半分の距離の体力が保てばいい方だろう。フェイントをかけつつ何とか逃げ切るしかない。

 対してベアトリクスは第一三星系のベータ星出身だ。トレジエム人よりも遙かに身体能力が高いことで知られ、中でも彼女は頭脳も明晰な才媛だ。あらゆる戦場で戦ってきた彼女には単純なフェイントなどは通じない。アカリが彼女から逃げ切るためには無駄な動きをせずに最短距離を走りきるしかない。

 アカリ達は斡旋所のエリアを走り抜ける。このエリアは人が多く注意は必要だが、鍛えられた宇宙船の船員がほとんどのため、アカリとぶつかる寸前でも衝突前に避けてくれたし、アカリの後からベアトリクスが走ってくるのが見えると予め避けてくれる賢さもあった。アカリには若干不利なエリアであり、初期に稼いでいた5秒差のアドバンテージが縮まっていた。


 ベアトリクスは楽しんでいた。トレジエムに来てからトレーニング以外でこんなに走ったことはあっただろうか。全力で逃げる獲物を狩る、ハンティングはベータ星の乙女たちの間でも大人気のスポーツだった。狩った獲物をどうするかは自由だが、ここはトレジエムだ、捕まえた後は、放してやろう。また逃げればまた捕まえる。ベアトリクスはこの数年のモヤモヤしていた思いが吹き飛んだと感じた。この先は商業エリア、アカリは間違いなく隠蔽作戦に変更するだろう。逃げ込む先は分かっているし、先回りしても構わないが、ここは付き合ってやろう。自分の肉体と頭脳、全ての感覚を使い、英雄を狩るのだ。


 後少しで商業エリアだ。そこに紛れ込めば逃げ切れる、アカリには自信があった。

「ハイペリオン!僕の端末にエリアの地図と、僕とベアトリクスさんの位置をプロット、セキュリティ通路までの最適ルートを常時更新して表示!」

『わかった』

 アカリの視界の隅に周辺のマップが表示された。青い光点がアカリ、迫る赤い光点がベアトリクスだ。アカリの会社仲間しか入ることができないセキュリティ通路にたどり着けば、船の近くまで安全に行くことができるのだ。使える物は全て使う。フェア精神とか同情とか、生き残るために邪魔な物は全て捨ててきた。

 最初の角は右に行くべきを左へ。しばらくはあえて無計画に逃げ回る様子を演じる。12手目で「偶然」セキュリティ通路へ逃げ込むことができるはずだ。


 アカリの目的は自社のセキュリティ通路だ。ベアトリクスはそう確信している。セキュリティと名が付くが、隠されているわけでもなく宇宙港にオフィスを持つ企業が、関係者のために作ったプライベートな連絡通路でマップにも載っている。出入りにIDが必要なだけだ。仕事関係者のIDも登録されていて、決してアカリが思うほど安全ではない。先日まで関係者として仕事していたベアトリクスは彼を追いつめる地点まで計算済みだった。


 宇宙港には夜はないが、時間帯は真下の地上と合わせてある。今は昼の食事時、商業エリアは一日の内でも人出が多い時間帯だ。そんな中を超人二人が追いかけっこをしているのはとても迷惑で危険なことだった。

『アカリ、良くない事態だ。宇宙港の警備が動き出した。我々を逮捕する指示がでている』

「え?僕被害者じゃないか。それは僕も含んで?」

 確かに斡旋所のある従事者のエリアでは全力で走っていたが、商業エリアにはいってからは駆け足程度だ。それに今まで誰にもぶつかっていない。おそらくベアトリクスが全て悪いんだ。とアカリは思う。

 とにかくこれ以上騒ぎを大きくするわけにも行かず、アカリは逃走を中止した。後は姉達が上手くもみ消してくれると良いのだが。

 

 突然の獲物の逃走中止にベアトリクスは罠を疑った。建物の屋上から下のアカリをのぞき込むと、こちらに向かってアカリが手を振っていた。

「ベアトリクスさん、お終いですよ。ストップ」

 あまり面白くない終わり方だが、獲物が負けを認めるなら、それを了承するのがスポーツハントだ。

 屋上から何事もなく着地して、息を切らしてもいないアカリをじっとみる。自分とこんな風に張り合えるトレジエムの男も珍しい。やはりこの子は面白い。

「なによせっかく楽しくなってきたのに、もう限界なの?」

「限界というか、捕まる限界です。港の警備に」

「ありゃ」

 ベアトリクスは失念していたが、ここは一般人も多く訪れる商業エリアだった。確かに目立ちすぎたかもしれない。

「近所の警備隊のところに行きましょう。上手く行けば注意で済むと思う。ベアトリクスさんは誰かにぶつかっていませんよね?」

「商業エリアに入ってからは建物の上がほとんどだったからね、事故は起こしていないわ」

 近くの詰め所に出頭したアカリ達。幸いにもけが人や物損もなく、普段の行動も優良であったことから、今回はお咎めなしの注意で終わった。二人は警備隊長に陳謝した。

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